第101回 有機的な物語にする。
カクヨムコンも中盤となり、それまでの過程で得たさまざまな教えや気づきを再考し直し、一編の短編を書きました。
「ヤタワタリの島」( https://kakuyomu.jp/works/16817330669699655575 )という作品です。この作品で気をつけたところや注意を払ったところを
この作品は「ハルモニア」(カクヨム版では「宇宙の果ての場所」( https://kakuyomu.jp/works/16817330668770836227 ))のリライト作品です。設定や
「ハルモニア」の第一稿は星新一賞の提出作でした。創作仲間にメールで送りつけて読んでもらったところ、自分の手応えとは裏腹に芳しいものではありませんでした。どういうコメントをいただいたかというと、盛り上がる気がするけれどこれでは設定で、物語をもっと読みたかったという話でした。時間も無いなか、私は頭を抱えました。これを提出しても部分点は貰えるかもしれませんが、
このときのことを後から考えると、私の中でこういう構成にしているという純然たる意識があったことは確かです。なぜならそれが多重の構造に影響しているからです。
それから落選の報せが届き、少し作品との距離が取れたところでサード・オピニオンを貰いました。それはこの小説は有機的ではないという指摘でした。私にはそれがどういう視点なのかよくわかりませんでした。よく小説の上達している人間が言う有機的とは何なのだろうと思ったものでした。一度、それは小説を書くことから掴み取らなければならないと思いました。ですのでもう一度、同一設定で書き直しすることを自分に課しました。すべてを書き終わって分かったことは
「有機的……有機体のように、多くの部分が集まり強く結びついて一個の全体を形作り、その各部分の間に緊密な統一と連関があること。」
有機体というものを良く知らない、理系ではなくSF作家でしかないので、何とも言いづらいですが、その有機体なるものは多くの要素が全体を形作っている、さらに無駄な要素など、そこにはないのだということでも言えば良いのでしょうか? 小説を構成する言葉や単語のレベルと、あらすじやセクション、そうした縦の構造を見たときの
そうしたとき、構成にも横方向のルールが働くということに改めて気づかされました。これは奥深い気づきです。縦方向の構造は横方向のルールを越えてはならないという文章のメタルールです。その緊密な統一は文章に適度なゆとりをもたらしてくれたのも副産物でした。このゆとりがあることで読者の視線に入ってくる文章になっていると思います。
小説の言葉は言葉である限り、機能を孕むということを肝に銘じておかなければならないと同時に、そうした有機的な書き方は柔らかい印象を与えます。
つぎに考えていることは、たとえばCDのアルバムを例に取ると分かりやすいと思います。どのような全体性を獲得する術があるかということでしょうか。全体性の作り方はきっとあるはずです。複雑な、あるいは複雑に見えるものを柔らかくデザインする方法があるはずだろうと思います。私が今まで見てきたのはCDの一曲の部分でしかなかったのです。部分を全体に馴染ませるにはどうすればいいかを作品を通して学んでいかなければならないです。
私はずっとプレイリストを作っていたのです。つぎはアルバムを聴かないといけないと思いました。
最後になりますが、カクヨムコンではたくさんの素晴らしいSF短編を読みました。別の連載( https://kakuyomu.jp/my/works/16817330668418575855 )でそれらのSF短編のリンク集を作りましたので、そちらでもSFの世界に触れてみてください。きっと良い出会いがあるはずです。
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