7、東雲遥香は居場所を見つける

 翌週の土曜日、僕は遥香はるかと共にこの街の片隅にある小劇場にやって来ていた。雑居ビルの地下への階段を降りながら、後ろの遥香がちょっとした非日常感に高揚しているような声を漏らす。


「さっきの看板を見たか? 『ウォークインクローゼットの女』というのは、まさしく『衣装戸棚の女』のカルパッチョ作品じゃないか?」

「カルパッチョじゃなくてパスティーシュね。全然違うだろ」


 シャツにジャケット、プリーツの入ったミニスカートにパンプスという遥香にしてはTPOをわきまえたような出で立ちの彼女を振り返って見上げる。


「開演前にもバックステージに来ていいって言われてんだっけ?」

「うむ。VIPってやつだな」


 地下一階の劇場前のホールにはまばらに人が入っていた。

 彼らの談笑の向こう、バックステージの入口で隣人が手を振っていた。


     ◇◆◇◆◇◆


 遥香は隣人に手渡された名刺に目を落とした。


生方うぶかたひじり……劇団キセル代表?」

「役者をやってると言っただろ。こうしてあったのも何かの縁だ。今度の公演に君たちを招待するよ」


 交番を出た生方はバラバラのラブドールと衣服などを詰めたゴミ袋を片手に颯爽と夜の住宅街に消えていった。


     ◇◆◇◆◇◆


「よく来てくれたな」


 大部屋の楽屋では、本番を控えた役者たちが思い思いの様子で過ごしていた。その一角にある生方のスペースに僕と遥香は身を寄せていた。


「本番前の忙しい時間にお邪魔して大丈夫だったんですか?」


 僕が心配の声を向けると、生方はさっぱりとした笑いを返してきた。


「気にするなよ。いつもと違うことが起こるのは歓迎なんだ」

「フン。ラブドールをバラバラにしたと男とは思えんな──」

「バカ!」生方が慌てて遥香の口元を抑える。「そのことは俺たちだけの秘密だ」


 人見知りの遥香だが、意外にもここでは堂々としたものだ。


「あら、その子たちが例の?」


 花束を持って楽屋に入って来たすらりとした美人が生方に声をかけてきた。


「ああ、そうなんだ。後でみんなにも紹介するよ」


 花を置いて颯爽と出ていく彼女を、遥香はポケーとした顔で見送っていた。


「彼女が今日の主役だぞ」

「あの人って──」


 僕が先を続けようとするのを生方は無言で制した。

 僕が何を言いたかったのかというと、彼女はあの夜の主役でもあったんじゃないかということだ。気のせいかとも思ったが、生方の反応を見る限り、あながち的外れというわけじゃなさそうだ。


「何を言おうとしたんだ?」


 遥香が首を傾げたが、僕は曖昧に誤魔化した。


「なかなか賑やかじゃないか」遥香は立ち上がってざわざわとした楽屋の中を見回す。「色々見て回ってもいいのか?」

「もちろん。ただ、ステージには上がるなよ」


 生方に送り出されて、僕は遥香に手を引かれながらバックステージの探検に出た。遥香がこういう世界に興味を示しているというのが意外で、僕はなぜか嬉しくなってしまった。


     ◇◆◇◆◇◆


 公演が終わり、劇場に拍手が満ちる。チラリと見る隣の席の遥香も満足そうな表情で、カーテンコールをするステージ上の役者たちに熱視線を送っていた。


「遥香、演劇に興味あるのか?」


 熱の冷めやらぬ劇場の中で、僕は遥香にそう言った。否定されるものかと思っていたら、返って来たのははにかんだような笑顔だった。

 二人で終演後のバックステージに向かい、楽屋で汗を拭いている生方に声をかけた。生方は僕たちの目を覗き込んだ。


「どうだった?」

「チャップリン的な喜劇と悲劇の対比が見事だったぞ」

「ほう、分かってくれたか」


 意気投合したように生方が遥香と言葉を交わす。

 その会話の流れで、遥香がモジモジとしながら楽屋を見渡した。


「明日も公演があるんだろう?」

「ああ。今日と明日の二日間の公演だからな」

「ええと……」遥香は視線を彷徨わせる。「明日も来ていいか?」

「なんだ、気に入ってくれたのか? じゃあ、明日も席を──」

「そうじゃない。裏方の仕事ぶりを見たい」


 遥香のその言葉に、僕は耳を疑ってしまった。彼女にしてはずいぶんと積極的なことだ。急な遥香の願いを生方は快諾した。思わず、僕は頭を下げてしまう。


「すいません。突然こんなことお願いしてしまって……」

「ハハハ。いいさ、別に困るようなことじゃない」

「きっと今日の公演で刺激を受けたんだと思います」

「フン」遥香は照れ隠しに鼻で笑った。「まあ、そうとも言う」


 高校生になる前に、遥香にとって何か夢中になることができたということなのかもしれない。

 ひと通り挨拶を終え、僕たちは劇場を後にすることにした。足取り軽く地上への階段を駆け上がる遥香の後ろを追いかけて、僕は感慨深い思いを口にした。


「遥香も普通に何かに影響を受けるなんてことがあったんだなぁ」

「何を言っている?」


 地上に出て、遥香は僕を振り返った。陽が落ちかけて、街には夕闇が迫っていた。遥香は鋭い眼光で口を開く。


「今日の公演を見て気にならなかったのか?」

「へ? 何が?」


 遥香は盛大に溜息をついた。


「生方が誰かと言い争う場面なんてなかった。つまり、あの夜、生方がセリフの練習をしていたというのはウソだったというわけだ。これは灯台下暗しだ」

「ちょっと何言ってるか分からないけど」

「そして、あのラブドールとさっきの女優はどこか似ていた」

「あ、気づいてたの?」

「私を誰だと思ってる?」


 ──大食いのポンコツ。


「そして、極めつけは、あの女優が楽屋に持ってきた花束……。あれはキンギョソウだった。キンギョソウの花言葉は『でしゃばり』だ。誰かから贈られたものだとしたら、穏やかじゃないな」

「ちょっと待って。どういうこと?」


 遥香はニヤリと笑った。


「あの劇団には何かある。私はそれを探るために潜入する」


 ああ、そうだ。改めてこう言わなければならない。


 東雲遥香は探偵に憧れている。


 だが、大丈夫だろうか? ありもしない事件を追いかけるハメになりはしないだろうか?


「よし、早く帰って作戦を練るぞ」


 楽しげに声を弾ませ歩き出す彼女の足を、僕は止めたくなかった。

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東雲遥香は探偵に憧れている 山野エル @shunt13

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