6、東雲遥香は真相を突き止める
夜ともなると、さすがに冷え込んでくる。
それなのに、僕は
叔母さんは、けしかけて来た遥香が迷惑をかけただろうからという理由でギフトカードを用意してくれたらしい。なぜそんな気遣いのできる人から遥香が……。
「おい、眠るなよ」
その遥香が僕のほっぺたをつねった。容赦がない。
「何の説明もされずにこんな所に一時間以上も隠れてんだ。感謝してくれ」
「そうか、なるほど。私の推理を聞きたいか」
「僕の声が脳味噌に辿り着くまでに何があったらそう解釈できるんだ」
遥香は興奮で目をキラキラさせながら、僕の腕を掴んだ。
「奴は夜更けすぎに罠へとかかるだろう」
「雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろうみたいな言い方するなよ。そもそも罠ってなんだよ?」
今朝も遥香は言っていた。結局、全く説明されずじまいだったのだ。
「よく思い出してみろ。奴の玄関にあったカレンダーに赤丸がつけられていただろ。そして、君は昨日言っていたな。『明後日は不燃ゴミの日だ』と」
「つまり、明日だね」
「奴は明日に出すゴミを夜のうちに出すつもりなんだよ。誰にも見られないように」
「まさか証拠を……?」
植え込みの向こうでガサリと音がした。遥香は僕の口を手のひらで覆うと、息を潜めて様子を窺った。
少し離れた場所にマンションのゴミ捨て場がある、ゴミ捨て場は小屋のようになっていて、アルミの引き戸を開けて中にゴミを置くようになっている。そのゴミ捨て場の引き戸を誰かが開けていた。
「行くぞ」
遥香がスマホを片手に飛び出した。慌てて後について行く。
遥香のスマホのライトを浴びて立っていたのは、隣人だった。
「正体を現したな、殺人鬼め!」
「さ、殺人鬼……?!」
隣人は目を白黒させてその場に立ち尽くす。遥香が不敵な笑みを浮かべていた。
「探偵助手よ、そのゴミ袋を確保せよ!」
「だから、助手じゃないっつーの……」
言いながらも、隣人の足元に転がっていたゴミ袋に近づこうとする。
「待て! 何してるんだ!」
隣人がゴミ袋を抱えて物凄い剣幕で叫んだ。遥香がフフフと笑い声を漏らす。
「ずいぶん慌ててるようじゃないか」今朝のオドオドした姿とは違う。解決編になると人格が変わるのだろうか。「どうやら、その中には誰にも見られたくないものが入っているらしい」
ゴミ袋を抱える隣人の様子からすると、かなり重そうだ。
「た、ただのゴミだ……! お前たちには関係ないだろ!」
「中身を見せなければ、警察に連絡するぞ」
遥香がスマホを掲げた瞬間、隣人はゴミ袋を抱えたまま彼女に向かって突進した。いきなりのことで反応が遅れた遥香が思いきり突き飛ばされて、アスファルトの地面に尻餅を突く。
「遥香!」彼女のもとに駆けよる。「大丈夫か!」
「たわけ。あの殺人鬼を追わんかい!」
遥香が指さす先、ゴミ袋を抱えたまま住宅地の道路を走って逃げていく隣人の背中がある。
彼を見失わないように、僕は慌てて立ち上がって地面を蹴った。まるで夢でも見ているように現実感がない。
「待て!」
隣人の背中に声を投げつけながら、細い路地を駆け抜ける。走りながら振り返る隣人の必死の形相に、僕は遥香の推理を受け入れざるを得なかった。
──まさか、隣の部屋の住人がバラバラ殺人を……!
逃げる殺人鬼を追うなんて人生に一度あるかないかというようなシチュエーションだ。僕は謎の高揚感で全身が躍動するのを感じていた。
隣人は路地から出て、住宅街の中ほどにある公園へ駆け込んだ。そこの広場を突っ切って、ちょっと行けば駅への近道だ。本気で逃げるつもりか。
と、公園の向こう側に自転車に乗ったパトロール中の警察官を発見した。
「おまわりさーん! そいつ、悪い奴です!」
息が切れるのも厭わずにそう叫ぶと、弾かれたように警官がこちらを向いて、駆け抜けようとする隣人の前に立ちはだかった。
「そこを
隣人の悲痛な叫ぶも空しく、警官の足払いが華麗に炸裂。隣人はゴミ袋を投げ出しながら地面に突っ伏した。
◇◆◇◆◇◆
「だから、ラブドールなんですって!」
近くの交番に連行された隣人に遥香と一緒について行った僕たちは、呆気に取られていた。ゴミ袋の中から出てきたのは、バラバラになったラブドールだったのだ。ほとんどバラバラ死体だが、確かに精巧な人形だ。
「じゃあ、なんであんなに必死に逃げたのよ」
警官のおじさんが呆れ顔で尋ねる。
「バレたくなかったからに決まってるでしょうが。それをこいつらに追いかけ回されて……」
僕たちは指さされるが、遥香は知らん顔でそっぽを向いた。
「いや、でも、ハイヒールとか女性ものの服は……?」
ゴミ袋の中にはそれらのものも突っ込まれていた。隣人は顔を赤くする。
「クリスティーヌに着せてたんだよ」
「クリスティーヌ?」
「こいつだよ!」
隣人は交番の机の上に広げられたバラバララブドールを見下ろした。遥香が腕を組んで、うなずいていた。
「確かに、遺体を解体したと思われる時間では、人体を処理するには短すぎるか」
勝手に納得しているが、こいつが最初に遺体をバラバラにと言い出したんだ。
隣人によれば、ラブドールには硬い骨骼が入っていて、それを切断するために
「たぶんそういうのを処理してくれる業者とかいるだろうから、次からはちゃんとそういうところに頼んでよ」
「はい……。すいません」
隣人はすっかり委縮して頭を下げた。
結局、殺人事件なんてものはなく、僕たちは肩透かしを食らったまま交番を後にすることになったのだが、遥香は何事もなかったかのように歩いて行こうとする。その背中に隣人の声が飛ぶ。
「おい、ちょっと待て。お前、名前はなんというんだ?」
壊れた操り人形のようにぎこちなく振り向いた遥香はボソリと、「
「それは僕の名前だろ! この期に及んで逃げるなよ」
「
隣人は静かに笑った。
そして、どこからともなく取り出した名刺を彼女に渡すのだった。
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