第3話-④ 「魔族! 魔族こそがァッッッ!」
人より少し大きく、やせ細った裸の女性のように見えた。
お腹より下は無く、背中から無造作に生えたたくさんの細い腕が、その体を宙に支えていた。
青白い顔が動いた。それは私を見つけると、にたりと笑った。
「ああ、占い師さんだ……」
「死体喰らいになったんですね、アンナさん」
人の死体や魔族の体を寄せ集めて、死んだばかりの魂を与える方法。生き延びたいばかりに魂は体を求める。それが人の形をしていなくても。
それは死霊術のひとつだった。そして、お父さんが得意とする魔術だった。
「ああ、わかった。おまえも私をバカにしていたんだ!」
「バカになんか……」
目の端で私は捉える。
白い小さな犬と、それに寄り添う人が、道端の雪の上に放り出されていた。さっきの爆発で、吹き飛ばされたのだろう。
そして、ふたりは動かない。たぶん、もう二度と……。
助けられなかった……。
助けようとしていたのに……。
「みんな生きようとしていたのに! どうしてあなたは……」
「知るか! 私をバカにしてきた奴が悪いんだ! 私からだいじなものを奪い去り、私を王家の一員にしてくれなかった奴らみんなが!」
「それでも、リシチュカはあなたのことが大好きだったんです!」
「あはははは。なにそれ。それがどうした!」
カタカタと音を言わせながら、いくつかの手を持ち上げる。その手にはナイフや剣が握りしめられていた。
私はとっさにアンナさんに向かって手をかざす。現れた防御結界の魔法陣が、ほとばしる白い光を闇夜に投げかける。
剣を振り下ろす。防ぐ。何度もそうする。剣が横から薙ぎ払いに来る。動きが読めない。軌道が変わる。
刃のその先には、ノーチがいた。
「ダメっっっっ!」
手を伸ばしてノーチをとっさにかばう。
剣が鋭い風の音を立てた。
斬られた右腕が、血を流して雪の上に転がっていった。
焼けるような強い痛みに、頭を貫かれる。
体が壊される。
壊されてしまう。
あの日と同じように……。
ノーチの鳴き声が聞こえた。
遠く。低く。悲しむような声がした。
腕があったところに、無数の黒い文字が舞った。それは細い帯のように連なり、斬られたところへ刺さる。その肉をえぐられる痛さに、私は苦しみ叫ぶ。それでも文字たちはやめない。文字の帯が紡ぎあい、重なり合う。文字は人の骨になり、肉になり、腕を復元していく。
「……どういうことだ?」
アンナさんが顔をひねる。不思議そうに私を見る。
「ノーチ……」
元に戻った腕を見つめる。
また、私は……。
頭を誰かにやさしくなでられた。
びっくりして後ろを振り返った。
ノーチが人の姿に戻っていた。
輝く銀色の長い髪を星の川のように垂らし、夜空のような黒い服を身にまとっていた。
きらめく星のようにきれいで、最初に出会った頃と変わらないノーチが、そこにいた。
私はあわてて言う。
「ノーチ! だめっ! せっかく隠れてたのに!」
「もう、いい。もう……」
「でも!」
「あれの匂いがするんだ」
ノーチがまっすぐ見つめてる。
通りの奥に広がる暗闇を見つめている。
そこから男がひとり、闇の中を這い出てるように歩いてきた。
「ほう、なるほど。死霊使いは犬の方だったか」
「お父さん……」
「これはこれは。ネネ・アシュワード第3王妃であらせられるか。もっとも廃妃であるが。そして我が愛娘でもある。そうであろう?」
ノーチが私をかばうように前へ出る。
「父よ。人の身でありながら、すっかり魔族らしい風貌になっているな。おまえを亡き者にするために、私達は生きて来たよ」
こぶしを握り締めながら、ノーチが苦々しく言う。
私はその震える拳をそっと握りしめてあげた。
「ほう。我が娘なれど、魔狼の体を与えてやった恩を忘れるとは。この失敗作め」
私は父に叫ぶ。
「ノーチの体を返してください。お願いです!」
「養子とはいえ、ネネも我が娘ではないか。ふたりで父である私に歯向かうとは、実に嘆かわしい」
雪を踏みしめる音がする。父は私達のすぐ前に来ると、振ってくる雪を受け止めるように手のひらを広げた。それから灯りの魔法を唱える。
青白い魔法の光に、少し笑っている父と、悔しさに歯噛みしているノーチの顔が、暗闇に浮かんだ。
父は私へ顔を向けると、寂しそうに語りだした。
「ああ、ネネ。かわいそうな我が娘よ。忌み子として産まれたおまえを我が家が引き取ったのは、まさに僥倖と思ったものだ。兄をユスフ家に取られたときは、実に悔しかった」
「それは……お母さんが……」
「本当に母の意思だと思っていたのか? 子供を食うぞと脅せば、母親が取る行動などひとつしかないだろう。おまえは私に差し出された贄なのだ」
「違う。そんなことは……」
私は押し黙る。
フェリクスが聞いたら、なんて思うだろう……。
「日頃からおまえをいじめ抜き、目の前でだいじにしていた者を殺した。たいへん聡明な我が娘だ。周りのものを皆殺しにして、罪の果てに自殺するだろうと思っていた。それから魔族にふさわしい体を与える手筈であった」
突然、父が手を広げ、激昂する。
「だがァッッッ! 屋敷にいた136人と自分の命を犠牲にして取り戻したが、この犬だと! あまつさえ、その犬が元の死霊使いに戻り、ネネの魂を引き戻しただと? ふふ、ふはははははっ! なんと滑稽ではないかッッッ!」
私はあとずさる。父がそんな私を見て、手を伸ばす。
「ネネ。そのような魔法で生かされている脆弱な体よりも、もっとよい体を父は与えてやろう。普通に暮らせることができ、普通の幸せを享受できる体を。どうかな、愛しい我が子よ」
ノーチが私と父の間に割り込む。
「ネネ、考えなくていい。こいつは悪だ。絶対に悪い奴だ」
父はノーチを指さしながら怒り出した。
「なんだと? この私が悪だと? こんな犬ごときのためにネネは大勢の人を犠牲にしたのだ。さて、この私と何が違う? おまえが悪と思う父と、おまえが愛している者との違いはどこにあるッッッ!」
父は私達を責め立てる。
違う。でも、違わない。
私は父と同じ人殺しなんだ……。
ノーチを助けるためにたくさんの魂を用意して、虹の橋から連れ戻した。
だから私は……。だから……。
「王族! こいつもそうなのか! バカにしやがって! こいつらを殺させろ!」
アンナさんが生えている無数の手で、こらえきれないようにどすどすと積もった雪を叩く。
「黙れ」
バァンッッ。
弾けた。
アンナさんの体が、黒い塊になって、家の壁や雪の上に散った。
染みとなってしまった。
錆びた血の匂いになってしまった。
もう体はこの世にはない。
ひどい……。ひどいことを……。
命を何だと……。
父は高らかに叫ぶ。
「魔族! 魔族こそがァッッッ! 人類の救い手であり、自然の摂理なのだ……。これをわからぬ者どもには、私は容赦しない。たとえ我が子であっても」
黒いマントをひるがえすと、私達へまっすぐ右腕を伸ばす。向けた手のひらから、赤い魔法陣が現れる。
「さあ、戦うとしよう。おまえらの血も肉も魂さえもッ! 我が君、我が魔王アルザシェーラ様への供物として捧げよう……」
ノーチがふっと体の力を抜いた。
「殺す。私達のために」
父が怒鳴る。
「来いッッッ!」
ノーチが駆けた。父に猛攻を加える。魔法で強化した体で、魔法を付与した拳で、父を乱れ打つ。態勢を崩したところに、すかさず魔法でできた槍を打ち込む。父はそれを笑いながら避けた。
私は手をふたりにかざす。
「すべての星よ、すべての精霊よ、私に力を貸して!」
目の前に光が集まる。
圧すら感じるぐらい、強く輝く。
「ノーチ、避けてッッッ!」
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