第3話-③ 「今日はいっしょに寝るよ。あんた、いつも夜中に抜け出して、どっか行くんだから」


 エルヴィラさんは前に一歩踏み出すと、魔族をすり抜けながらただ歩いた。

 立ち止まると、刀をさっと振る。いつのまにか刃を染めていた黒い血がぱっと散った。


 魔族は振り向くこともできなかった。首が落ち、腕が落ち、足も胴体もバラバラと崩れていった。


 「ありゃ……。これは片づけが面倒だわね」


 エルヴィラさんは笑っていた。

 恐怖が……。身がすくむ想いが、いまになって湧き上がってきた。


 動けずにいると、路地の奥のほうから聞き慣れた声がした。


 「加勢するまでもなかったな」


 黒いコートを着込んだレオニードさんが歩いてくるのが見えた。

 エルヴィラさんが顔を真っ赤して怒り出す。


 「見てるなら、なんとかしなさいよ。このアホ先輩」

 「なんとかなったじゃないか」

 「そうじゃなくて!」

 「エルヴィラ。事態13だ。我が君は深く憂慮されている」


 すぐに馬車が2台駆け付けて来た。何人かの男が降りると、黙々と魔族の遺体を拾いあげ、前の方に止めた馬車へ放り込んでいった。あっという間に終わる。レオニードさんは一通り確認すると、別の馬車に向かって駆け出した。


 「待ってください、レオニードさん! 何が起きているんです?」

 「若い衛士は拘束した」

 「どういうことですか?」


 レオニードさんは笑うだけで、それ以上何も言わなかった。

 同僚だったのだろう。魔族の……。


 雨粒を払いながら、レオニードさんが馬車の中へ入っていく。作業をしていた男たちも乗り込むと、ばたんと扉を閉めた。すぐに動き出す。湿った雪を跳ね散らしながら馬車は去っていった。

 その光景を黙って見ていたエルヴィラさんに、私はたずねた。


 「事態って……」

 「魔術的な戒厳令だよ。これから何か大きな事件が起きる」



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り近くの路地裏 占いの店『コーシュカ』 3階エルヴィラさんの部屋 フェヴルア小月(2月)4日 16:30


 エルヴィラさんは古いタンスの奥を「おかしいな……、ここにあったと思うんだけど……」と言いながら、ずっと何かを捜していた。

 私はベットに腰掛けながら、それをぼんやり見ていた。

 

 「あ、あった。これこれ。懐かしいな、先輩からもらったんだよ。ほら、ノーチ。これをおまえの主人へ持っていってあげて」


 ノーチが渡されたものを咥えると、しっぽを揺らしながら、私のところにやってきた。

 これって……。


 「……ナイフ、ですか?」

 「護身用だよ。持っときな」


 細かい革細工が施された鞘を抜く。鋭い刃がギラリとランプの光に照らされた。


 「防御結界や戦闘用のスキルも付与されているんだ。ああ、それと。ナイフの先に紐ついているだろ? 首から下げとくといいよ。何かあったらすぐ使えるから」

 「はい……」


 まだ襲われたときの想いが体から出ていってくれない。


 それは殺意。

 魔族たち。そしてエルヴィラさんにも。


 震え出す。

 なぜエルヴィラさんは平気なんだろ。


 「あの……。まだ少し身がすくんじゃって……」

 「あんた、自分が敵から殺意を向けられても平気なのに、どういうこと?」


 エルヴィラさんが怖くなった。なんて言えなかった。

 私は話題をそらした。


 「その……。やっぱり犯人は父なんでしょうか?」

 「なにかやらかすんだろうよ、きっと」


 父は人々をいつも駆り立てる。

 エルヴィラさんも、レオニードさんも。

 アンナさんだって……。

 みんな、みんな……。


 私のせいなのに。


 「なあ、ネネ。私達はここで見守るしかないんだよ」

 「そう……ですね……」

 「お願いだから家にいてちょうだいね」

 「はい……」

 「嘘吐き」

 「ええ……」

 「そんな顔してないし。今日はいっしょに寝るよ。あんた、いつも夜中に抜け出して、どっか行くんだから」

 「ええと……」


 私とノーチは、どうしたらいいのかわからなくて顔を見合わせた。



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ 宮殿広場 フェヴルア小月(2月)5日 0:00


 雨は小降りとなり、いつしか雪へと変わっていた。


 ちらつく雪の粒が私の肩に乗る。

 私の白い息が暗闇の中でもわかる。

 はああって息を吐くと、白い煙が大きく漆黒の中に漂っていった。


 グレルサブのほぼ中心にある広大な宮殿広場は、湖の水面のようになめらかな雪原が広がっていた。

 私はその真ん中で、ノーチといっしょにぽつんと立っていた。


 少し遠くには木々が見え、その奥に王家の住まいである離宮がかがり火で明るく照らされていた。

 あれではオリガが眠れないだろうなと、ふとそんなことを心配してしまった。


 誰かが走っている音がする。

 黒い木々の前を隊列を組んだ人たちが離宮に向かって進んでいる。白い礼服を着た司祭も混じっているのが遠くからでも見えた。


 警戒厳重。でも……。

 父はむしろそれを喜ぶだろう。


 反対側を振り向くと、そちらは暗闇だった。

 灯りを落とした家々が眠っている。その近くにはユスフ家の広大な屋敷が猫が寝そべるように横たわっている。


 私は目をつむる。

 手のひらに意識を集中させる。

 白い魔法陣がいくつも形を作っていく。


 「我は冥獣を従える者なり。我と進む小さき者たちよ、ここに集え」


 雪がぼこっと動いた。

 それは雪でできた犬であり、猫であった。

 それぞれがぷるぷると体を震わすと、みんな暗闇のほうへ向いた。


 「ごめんね、みんな。お願い、探して!」


 一斉に駆けだした。雪で仮初めの体を与えられた子たちが、暗闇の中へ走っていく。


 陽動かもしれない。私達をおびき出そうとしているのかもしれない。それでも……。


 私はじっと待つ。

 目をつむる。

 自分の息遣いを感じる。

 通り過ぎる風の音に耳を澄ます。


 きゃひんという犬の悲鳴が聞こえた。


 「ノーチ、こっち!」


 私に言われる前からノーチは動いていた。雪を蹴り上げる。走る。黒い闇に向かって、ぐんぐん速度をあげる。飛ぶように疾走する。

 それはまるで流星が夜空を駆けていくようだった。



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ ペデルコフ通り路地裏の商店 フェヴルア小月(2月)5日 0:30


 事件が起きている家はどこかなのかよくわかった。玄関の厚い扉が獣の爪によってずたずたに引き裂かれている。

 たぶんノーチがやったのだろう。


 ……行かなきゃ。


 走ったせいで体に負担がかかる。

 乱れる息が、体の自由を奪う。


 苦しい……。

 私はその場で膝をついてしまった。


 行かないと、ノーチが……。

 動いて、動かなきゃ!


 ドゴォォン。


 爆発した。


 すさまじい轟音が耳をつんざく。

 メガネがひび割れる。

 いくつもの破片が頬をかすめる。


 家の一階が吹き飛んだようだった。

 壁や窓が、無数の破片となってあたりに飛び散っている。


 ノーチが低い声で吠えているのが聞こえた。ずっと吠えている。


 「ノーチ!」


 壁が壊れたところからノーチが姿を現す。私をちらりと見ると、少しだけしっぽを振った。それからすぐに家の奥にある暗闇に向かって、吠え出した。


 錆びた血の濃い匂いがただよう。

 何かがこすれる音がする。


 壊れた家の暗黒から、それが姿を現した。



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