ノーチと私と死んでいく主人を見つめていたもふもふの話
第3話-① 「そうか。君はネネ・イグナチェフだね?」
■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り近くの路地裏 占いの店『コーシュカ』 2階ネネの部屋 フェヴルア小月(2月)4日 11:00
ぽたりぽたり。
ぽたりぽたり。
雨が降っている。
軒先から寂しい音がする。
雨音から逃れるように、私は毛布をかぶる。
冬にしてはめずらしく、朝から雨が降っていた。
私はなんとなく憂鬱になってしまい、ベッドから出られなくなっていた。
毛布から顔を少しだけ出す。
窓のほうを見上げる。
ガラス越しに灰色の空から雫が落ちていく。
誰かが泣いているみたい……。
それをなぞるように指先を宙に動かす。
心が沈んでいく。
柔らかい泥の中で最後を悟ったように沈んでいく。
止めようと思っても止められない。
深い泥の奥底へと引きずられていく。
アンナさんとリシチュカのこと。
アドラス君とのこと。
それに……私のこと。
光が消えた瞳。
血でできた海。
自分がやってしまったことの大きさに気がついて、泣くことしかできなくなったあの日。
消えてしまいたい。
このまま雨に溶け込むように……。
ノーチがベットの上へ飛び乗った。毛布をかぶったままの私に覆いかぶさる。
濡れた黒い鼻で私の顔を嗅ぐと、少し困った顔をしていた。
「ねえ、ノーチ。私、死んだらダメなのかな」
ノーチが私をじっと見る。それから毛布の端を噛んで引っ張った。中へ入りたいのか、前足でひっかく。
私は毛布をめくると、ノーチを大きな体を招き入れた。どすんと倒れこむようにして、私へ背を向けて横になった
そっと抱きしめる。
袖がめくれて素肌にノーチの柔らかな毛が触れる。くすぐったい? ううん、ちょっと違うかも。私とノーチが混ざって溶け込むような感じがしたから。
私は胸のボタンをひとつだけ外す。
ノーチが私を感じて寝返りを打つ。その大きな足の間に、自分の体を挟み込むようにして抱きついた。
少し埃っぽいけど、心が落ち着く匂いに包まれる。
綿毛のような胸毛が、素肌にやさしく触れる。
このまま……。
このままかじられたい。
このままノーチに殺してもらいたい。
首を噛まれて、自分の骨が砕ける音を聞きながら……。
ノーチを深々と吸い込む。
人が自ら死にたくなるのって、きっとこんな気持ち。
それは落ち込むとか、追い詰められるとかじゃなくて……。誰かのために死ななきゃって思ってしまう。
私にとってそれは……。
扉をコンコンと叩く音がした。扉越しにエルヴィラさんが私へたずねる。
「ネネ、起きてる?」
「はい……」
「ちょっと仕事。あ、占いの方ね。お客さん来てる。すぐ下へ来れる?」
「行きます」
ノーチの足をゆっくりと持ち上げ、ベットから抜け出す。
着替えようとしたら、ノーチが「ぼふ」と一声だけ吠えた。振り向くとまだ寝そべっているノーチが、少し残念そうな顔をしていた。
■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り近くの路地裏 占いの店『コーシュカ』 1階居間 フェヴルア小月(2月)4日 11:30
なぜここに衛士が……。
腰につけている長剣が動くたびに音を立てていた。
よく見ようとずれたメガネを手で直す。どうやら本物ぽい。私はとまどい、足を止める。
「大丈夫だよ」
後ろからエルヴィラさんがそう言う。それから私の腰をぽんと叩く。
仕方なしに前へと進む。近くまで来ると、ふたりの衛士は言い争っているようだった。
「占いに頼るようではな……」
「衛士長、そうは言ってももうこれぐらいしか手がないんです」
「しかしな……」
「おかしいと言ったのは衛士長が最初なんですよ?」
「そうだが……」
私はふたりに気づいてもらえるように、できるだけ大きな声をあげる。
「ようこそ占いの店、コーシュカへ」
声に驚いたふたりが、私のほうへ振り向いた。
「君が占い師なのか?」
「はい、ネネと申します」
「こんな若い子で大丈夫なのか?」
「衛士長は……。しわの数で占うわけではないでしょうに。ネネちゃん、気を悪くしないでね」
若い衛士はにこやかに笑ってそう言う。
目の鋭い衛士は、私をまだじろじろと値踏みするように見ていた。
「今日はどんなことを占いたいんです?」
ふたりが顔を見合わせる。若い衛士が、うつむいて言う。
「いま捜査している事件のことでね」
「事件?」
「おそらくは……連続殺人事件だと思っている」
人が死んでいる。人が殺している。
衛士長が、言葉を継ぐ。
「巧妙に自殺しているように見せかけている。でも、手口がすべて同じなんだ」
「詳しく……話を聞かせてください」
エルヴィラさんがみんなに椅子をすすめる。
4人がそれぞれの椅子につくと、衛士長が手のひらを組みながら話し出した。
「この一週間で毎日自殺が起きている。いずれも飼っていた犬や猫が刃物で刺されて殺され、その飼い主は首を吊っている」
「1日にひとりですか?」
「そうだ」
「今日はまだ被害を受けた人はいませんね?」
「ああ。昨日の夜からこの時間まで、新しい事件は起きていない」
「なぜ刃物だと?」
「飼い主はいずれもナイフや包丁をその手に握りしめている」
「血はついていましたか?」
「いや。だが……」
「12回刺されていましたか?」
「ああ……そうだが……」
私は衛士長からの視線で、自分がやってしまったことに気づく。
それを知っているのは、何の術なのかわかっている魔術師、もしくは犯人ぐらいなのに。
「すみません。私は魔術を習っていたことがあって、この方法は……」
「そうか。君はネネ・イグナチェフだね?」
エルヴィラさんが立ち上がる。
「待て。何もしない。約束する。こうして身分を隠しているということは、何か事情があるのだろう?」
「なぜ、私のことを……」
「姉がクォデネンツ魔法学園で教師をしていてね。知っているかな、召喚学のクラスナ先生」
「……知ってます」
「天才だと姉は言っていた。実際に私もこの目で一度だけ君を見ている。たくさんの本に囲まれながら複雑な術を次々作るところを。急にいなくなり、みんな寂しく思ってたよ」
「父に言われて、私は家へ戻るしかなくて……。いまはただの占い師にすぎません」
「……そうか。深くは聞かない。イグナチェフ公爵のことも。おまえもいま俺が話したことは忘れろ」
「それはいいですけど……」
若い衛士が不満そうに私を見ている。
エルヴィラさんが椅子に座ると、何かを吐き出すようにため息をつく。
心配したのか、ノーチが私のそばにお座りをして、身を寄せた。
衛士長が私にたずねる。
「聞かせてくれ。俺は犯人を止めたいだけだ。これはなんなんだ?」
「呪術……です。最愛の人を目の前で殺したら誰でも怒ると思います。殺したいほどに……。これはそういう類のものです」
「どういうことだ? 結びつかないが……」
「飼われている動物は主人を信頼しています。それは育まれた愛でしょうし、長い間に築かれた想いです。この犯人は目の前で主人を自殺に追い込み、『こうなったのはあいつのせいだ。そいつを呪え』と言って動物を殺します。12の刺し傷は、契約した魔族に魂を捧げ、それを強力な呪いへ変えるためです。これはそういう呪術のひとつです」
「……ひどいことをする」
衛士長があごをさすりながら何か考えていた。
「君を信じよう。犯人を見つけて捕えたい。協力してもらえるかな?」
「……わかりました。できるだけのことはしてみます」
砂盤が暖炉の前に置かれていた。エルヴィラさんが持ってきてくれたんだろう。
私は立ち上がると、砂盤の前に進んだ。その横に置かれていた物を手につかみ、砂盤の上まで持っていく。
そっと手を開いた。
銀の鎖が垂れ下がる。その先に結ばれた水晶の矢じりが、揺れる炎に照らされてきらめいた。
「お願い、みんな。教えて。こんなひどいことをする人のことを……」
水晶が揺れる。ふらふらと揺れだす。
衛士の人たちが立ち上がり、よく見ようと私のそばにやって来た。
水晶が砂盤の片隅でぴたりと止まる。何かを指し示しているように。
私はその位置にいつも用意してもらっている丸い小石を置いた。
水晶が動き、また別の場所を指す。それが繰り返される。7箇所目を示すと、水晶はだらんと垂れ下がった。
衛士長が口を開く。
「これ……。全部犯行現場の場所か?」
「そうだとしたら、最初がセンナヤ通り沿いの現場じゃないですか? だと、すると……この間に川があって……」
「当たりだ。ここはドヴォルツォ大橋の近くで起きたところだ」
水晶が揺れる。最初の現場と言われたところから、灰でできた猫の手が伸びた。ちゃいちゃいと水晶に触れてじゃれていた。
「衛士様。最初の事件のところには猫がいましたね」
「ああ」
「次は犬。抱えられるぐらいの」
「その通りだが……。なぜわかる?」
だって砂盤にいるみんなが訴えているから。
でも、それは言えなかった。私はただの占い師。死霊使いだと教えたくなかった。
「なあ、犯人の居場所はわかるのか?」
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よろしくお願いいたします。(*- -)(*_ _)ペコリ
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