第2話-終 「僕はお姉ちゃんを忘れない。薄くなんてさせない」


■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り近くの路地裏 占いの店『コーシュカ』 ジニア大月(1月)12日 11:00


 1週間ほどだったはずが、少し伸びてしまった。それはフェリクスが私以外の人に嘘をついたせい。


 私が屋敷の部屋をぼろぼろにしたのは、アドラスの魔法が無意識に発動したことにしたらしい。それがなぜか認められることになり、クォデネンツ魔法学園がアドラスを学生として受け入れることに決まった。


 学生の証であるブレザーを着ると、アドラスはすっかり支度を終えたようだった。「お金持った? ハンカチは?」とたずねるエルヴィラさんに、「もう、そんなに心配しないでください。さっきも確認してましたよ」と少し笑っていた。もう普通にしゃべれるぐらいに回復していた。


 開いた玄関の扉から暗い廊下へ、まぶしい陽光が差し込む。それに照らされたアドラスは、だいぶ大人びて見えた。

 迎えに来たフェリクスが言う。


 「グリュフォール家が支援するそうだ。これからおまえはアドラス・グリュフォールと名乗るように」

 「わかりました」

 「デミトフの名を捨てる訳ではない。いつかその名をまた誇れるように努力するんだ。わかったね?」

 「はい……」


 私は励ますように、一歩外へ踏み出た彼に言う。


 「クォデネンツ魔法学園はとても良いところだよ。いろんな人が教えてくれて、いろんな人がやさしくしてくれる。占いの先生を見つけたら頼ってね。あなたの弟子のネネがそう言ってたと言えば大丈夫だから」


 彼が足を止める。振り向く。腕を広げる。ぎゅっと私を抱きしめる。


 「忘れない。僕はお姉ちゃんを忘れない。薄くなんてさせない」


 いつもなら他人に触れられるのは、とても怖いことなのに……。


 「うん、そうだね……」


 いまはただ、アドラスの温かさを体に感じていた。



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り ジニア大月(1月)12日 11:30


 長距離を移動する馬車は、家の前の路地裏には入って来れないほど大きかった。だから馬車を止めているスネグラチカ通りまで、みんなで歩いてきた。


 4頭立ての黒い馬車に、ふたつの獅子が描かれたユスフ家の紋章が輝いている。

 従者の人に扉を開けてもらい、アドラスはタラップに足をかけて飛び上がるようにして乗り込んだ。

 そのあとからエルヴィラさんが大きな旅行かばんをアドラスに渡す。

 フェリクスが従者に「よろしく頼む」と伝える。

 私はそれを後ろからそっと見守っていた。


 鈴の音がした。

 それは足元を過ぎ、馬車の中へ駆け上がっていった。


 「お姉ちゃん、ジェーニャはいまどこ?」

 「アドラスの膝の上にいるよ。のんびりあくびしてる」


 そう言うと、彼は嬉しそうに見えない猫をなでた。その手が届くようにジェーニャは体を動かす。もうお互いに触れることはできない。それでもアドラスはここにジェーニャがいると信じている。


 「ありがとう、お姉ちゃん!」


 アドラスが手を振る。膝の上に座っていた幸せそうな猫が、私に向かって一声だけ鳴いた。

 それは私にだけ伝わる。ありがとう、感謝、そして……。


 馬車の扉が閉まる。「はっ!」という御者の掛け声で馬車が動き出す。馬の蹄がつむぐ軽やかな音と、溶けてきた雪の上を車輪が走る速い音。その音がだんだんと小さくなり、姿も通りの向こうへと行ってしまった。


 エルヴィラさんがぽつりと私に言う。


 「……まあ、ちょっと寂しいな」

 「ええ……」

 「さてと。家に戻ろうか。なんか温かいお茶でも……」


 私はフェリクスの袖を少しつまんで引っ張る。


 「少しだけ時間はありますか……兄さん」

 「どうした、急に」

 「近くに小さな教会があるんです。そこまでで良いですから」

 「ああ、かまわないが……。あまり時間はないぞ」

 「はい、それで大丈夫です」


 エルヴィラさんのほうに振り向くと、私は深々と頭を下げた。


 「ごめんなさい、エルヴィラさん。先に帰ってもらっても良いですか?」

 「いいけど、平気なの?」

 「はい。すぐそこですから」


 エルヴィラさんが、いつもと違う私に気がついたかもしれない。やっと決心した私を不思議に思ったかもしれない。それでも「いってらっしゃい」とにこやかに私達へ言ってくれた。


■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り 月皇教会スネグラチカ支部 ジニア大月(1月)12日 12:00


 それは通りからひとつ道を外れたところにある石造りの小さな教会だった。ふたりで開かれた扉をくぐり、中へと入る。正面には白い棒に銀色の円盤が刺さっている彫像が見えた。月を模したもの。私達が祈るもの。

 円盤にはわずかな光が差し、薄暗い教会の部屋からは、本物の月のように神々しく見えた。月を讃える教義に則って、どの教会でもそうしているのだけど、私はこのこじんまりとした教会がいちばん好きだった。


 お祈りを捧げることもせず、左側の壁面にまっすぐ向かう。そこにかけられた小さな肖像画を見ると、フェリクスはやっとわかったようだった。


 「ああ、そういうことか。去年列聖されたな」

 「この教会には年越しのときにここへかけられたのを見かけて……」


 私はその場でひざまずいた。フェリクスも私のすぐ隣で同じようにした。ふたりで胸に手を当て、頭を下げる。


 お母さん。

 聖女だったお母さん。

 いまはもういないお母さん……。


 「ネネは覚えているのか?」

 「少しだけ、薄っすらと……」

 「おまえが屋敷の坂道で転んでな。わんわん泣くから、あわてて母さんを連れて来たんだ。おまえを膝の上にのせて治癒魔法をかけて……。それからすぐに笑い出して母さんに抱き着いたんだ。僕もつられて笑ったよ」

 「幸せ……だったのかな」

 「ああ、幸せだったさ。そんなものは、いつも一瞬で通り過ぎていく」


 足音がした。白いあごひげを伸ばした司祭様が歩いてくる。


 「その人は聖女タチアナ様と言ってな。数千もの魔族をひとりで退けて、月に上がったそうだよ」


 そういうことになってるんだ……。

 そういうことにしなくてはいけなかったのは、わかっている。


 後ろ盾を無くし、私たちに八つ当たりをしていたお母さん。

 産んだ子供を存在しないことにされ、悔し涙を流していたお母さん。


 お母さんは、弱い人だった。

 それでも大勢の人にとっては、魔族を打ち滅ぼす強い聖女だった。


 「おまえさん方によう似とるな。黒い髪も……。ああ、きっとタチアナ様がお前たちを守護してくださる」


 あの母猫のように、お母さんは私のそばにいるのかな。そうだといいな……。

 フェリクスが立ち上がると、司祭様にあわてて詫びた。


 「すみません。勝手に祈りをささげてしまい……」

 「かまわんよ。ああ、ノーチもお祈りしててえらいな」


 ふと見ると、ノーチはお座りして、私達の後ろで見守っていた。


 私達は司祭様に「月の導きがあらんことを」と言い合い、別れを告げる。


 教会を出ると、雪が積もる通りをノーチといっしょに歩いていく。晴れた陽の光がキラキラと雪を照らし、目にまぶしいぐらいだった。

 轍にできた水たまりを避けたところで、フェリクスが私へつぶやく。


 「言うのはためらっていたが……」

 「……私のときと同じでしたか?」

 「ああ。魔族への防御結界があの家にはなかった」

 「苦しめた子供を魔族へ捧げる魔術ですか……」

 「そうだ。イグナチェフ公爵のやり方と似ている。あの母親はもう……」

 「どうして、そんなことをするんでしょうか……」

 「おびえていたよ。伯爵は王都にいて、こちらには戻ってこないそうだし、資金も尽きかけていた。彼女なりに家を守ろうと、がんばっていた結果がこれだ。子供のため、とは言ってたが……」


 必死に息子を助けてくれと懇願したお母さん。

 息子に鞭を与えて、しつけだと言い張っていたお母さん。

 そして私達を守ることができなかった無力なお母さん……。


 「同じお母さんなのに、どうして……」

 「みんな子供のためと思ってるのさ。それが本当にそうなのか自分ではわからないくせに」


 フェリクスが立ち止まると私へと振り向く。


 「ネネ、おまえはダメじゃない。本当の母さんより、ずっと立派だと思う」

 「そんなことは……」

 「子供をひとり助けたんだ。過程はどうあれ、結果はそうだ」

 「でも……」

 「母さんは実の子すら、どうすることもできなかった。おまえにはできた。それは誇っていい」


 私はとまどいながら、「うん……」とうなづいた。私にはそう言われる資格はないと思っていたから。



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り近くの路地裏 占いの店『コーシュカ』 ジニア大月(1月)12日 12:50


 家に着いて玄関の扉をトントンとノックする。待っていたのかな……。すぐにエルヴィラさんが扉を開けて出迎えてくれた。


 「ああ、やっと帰ってきた」

 「ごめんなさい。時間がかかって……」

 「いいわよ。あんたたちに水を差すほど、私もあれじゃないわ」


 フェリクスが玄関で立ち止まると、ふいに頭を下げた。


 「これからも妹を……頼みます」


 フェリクスが顔を赤くしてそう言った。いまさらとも思ったけれど、フェリクスもいろいろ考えてしまったのかもしれない。


 「あら、めずらしい。明日は大雪になるわ」


 エルヴィラさんがにやにやと笑う。


 「フェリクス様。言われなくても私はネネをちゃんと守ってあげてるよ。たまにすっぽかされるけどね」

 「ありがとうございます」

 「お茶を飲めるぐらいの時間はあるでしょ?」

 「僕は……。いや、あります」


 フェリクスがコートを脱ぎながら家へ入る。久しぶりにそんなことになってしまい、嬉しいのか驚いているのか、自分でもよくわからない。そんなあいまいな感情のまま、私は家へとあがろうとした。


 ノーチが頭を私の足にぐいと押し付ける。とても寂しそうに、何度もそうする。

 私はノーチの頭をなでてあげながら言った。


 「そうだね、ノーチ。きっとお父さんが来るね」



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反響が大きければ連載させていただきます!

続きは4/20までにもう1話公開できたらと思っています。


よろしくお願いいたします。(*- -)(*_ _)ペコリ

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