第1話-⑤ 「夜は私の時間です。あなたに勝ち目はありません」


 「呪ったのはあのお客さん自身です。魔族と取引して強力な呪術を手に入れた。たぶん呪い殺そうとした相手はオリガです。王家はそれを許しません。呪いを相手へ返しました」

 「ああ、わかった。呪った本人の身代わりに飼ってた犬が跳ね返った呪いを受けた……。そんなとこ?」


 ノーチをなでながら下にうつむく。


 「犬は……飼い主を選べません……。リシチュカは主人に会えてあんなに喜んでいたのに……」


 私のくやしさを追い払うように、エルヴィラさんが自分の手のひらに拳を叩く。


 「なら、話しは早い。あの女をぶっとばす」

 「今日はもうご飯を食べて寝ましょう。夜になりましたし」

 「え、それでいいの?」

 「王家は確実に罰を与えます。先ほど探していた人物の身元を伝えましたから、何かは起きるでしょう」

 「逆恨みされない? 私はともかくあんたは……」

 「この家なら安全です。オリガが置いていったものもあります」

 「これ……聖水ね?」

 「たぶんネフィリア大聖堂で汲まれた月の滴です。魔族への効き目もあります」

 「まあ、いいけど……」


 エルヴィラさんが私に手を伸ばす。私をなでたかったその手がすぐに止まる。


 「ねえ、ネネ。抜け駆けしないでよ」


 心配させている。兄と同じように。


 「しません。大丈夫です」


 私はエルヴィラさんに嘘の微笑みを返す。


 きっとリシチュカの主人は私に会いたがっている。

 だから、夜中にそっとベッドを抜け出した。



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ ネウスキー大通り デケンブリ大月(12月)16日 2:00


 リシチュカの最後の場所を見たかった。ノーチもそんな感じで私を見つめていた。


 「それでいい?」


 ノーチに顔を寄せてそうたずねると、頬をひとなめしてくれた。それで、ペトローヴナ家の屋敷に向かうことは、ノーチとふたりで決めたことになった。


 エルヴィラさんを起こさないように、私とノーチはこっそり家を抜け出す。それから真っ暗な夜の街へと歩き出した。


 雪は変わらず振り続けていた。顔に当たる風が、冷たいのを通り越して、針で刺されているように痛い。


 「ノーチ、平気?」


 フードが飛ばされないように両手でつかみながらノーチに声をかける。だけど、ノーチは私のことを置いて黒い闇夜を駆けていった。


 街の中心にあるネウスキー大通りをまっすぐ北へ向かう。こんな寒い夜は、誰一人歩いていない。みんな温かいベッドのほうがいいものね。

 灯りが落ちた商店の並びを越えると、グレルサブを横切る大きなネヴ川に出た。その先には、大きな跳ね橋であるドヴォルツォ大橋が見えた。緑色の大きな鉄の橋には、白い雪の帽子がかぶせられている。

 橋の向こうには大きな屋敷たちが暗闇にまぎれている。王都にいる貴族たちが夏に避暑へ来る場所だった。ペトローヴナ家の屋敷はそのさらに奥にある。


 先に行ってたノーチが橋の真ん中でお座りして待っていた。私を見つけているのに、ここまではやってこない。


 「もう……。そこまで行くから」


 積もる雪と吹き付ける風に気をつけながら、ノーチがいるところまで歩く。あと少しというときに、ノーチはくるりと向きを変え、その先にある闇に向かって低く吠えた。


 誰かいる。


 闇が形を成す。その人は、コートの袖があちこち破れ、ほつれた髪が風にたなびいていた。

 やつれた姿だったけれど、それは昼間にやってきたお客さん、アンナ・ペトローヴナさんだった。


 私はその場で身構える。ノーチはずっと低いうなり声をあげていた。

 彼女は私を見つけると、風に負けないように大きな声をあげながら近づいてきた。


 「ねえ、占い師さん。なぜ私は認められないのかな? なぜ私は妃になれないのかな? なぜ、私は主人公になれないの? 何かわかるかな?」


 ノーチが飛び掛かれるぐらいの距離になると、彼女はコートの胸元を開けた。


 小さな顔がうごめいていた。それは肌に埋め込まれて暗い色をしていた。それぞれが苦悶しながらうめき声を低くあげていた。


 「すごいでしょ。同時に10も呪いの言葉が吐けるんだよ。これって無敵ってことだよね」

 「……魂を魔族に売り渡したんですね」

 「ええ。力が欲しかったの。だって、いまの王家を全部やっつけたら、私が妃になれる。そうしたら、やっと私の物語が始められるから」


 ノーチのうなり声が強くなる。牙をむき出しにして怒りをあらわにしている。


 「それでも王家からの刺客には苦戦したみたいですね」

 「殺したわ。20人はいたかしら。あとはあなただけ」

 「もう終わりにしてください。こんなことリシチュカだって……」

 「ねえ、占い師さん。死霊使いはどんな土からも魂を呼び出すって聞いているわ。でも土のない橋の上ではどうなのかしら」


 彼女は優越感に身を焦がしながらにんまりと笑った。

 私の言葉も、リシチュカの想いも、みんな無視して。


 この人は……。


 私は、勝てると思っている彼女に、薄ら笑いを浮かべた。


 「そう……なんですか?」


 それが彼女を怒らした。


 「おまえ! おまえが!!」


 胸元の顔達が一斉に呪詛を吐く。それはやがて黒い渦巻くもやとなり、剣のようになって固まった。それは、ところどころはどろりとした黒いものが流れ落ちている。


 呪いを具現化して鋭い剣にしたのか……。


 近くにいるだけでも引き込まれる。

 自分の死を望みたくなる。


 「あの人が教えてくれた。おまえを殺すしかないと!」


 彼女がそう言うと、黒い剣が私に向かって飛んだ。ひゅんという風を切る音が耳元で聞こえた。かぶっていたフードが吹き飛ぶ。頬から鋭い痛みと熱さを感じる。


 最初の一撃が私をかすめたのを見ると、彼女は跳ねた。欄干の上、少し離れた道の上、橋上の監視塔。宙返りを繰り返し、飛び跳ねながら、呪いを私に向かって何度も何百回と投げた。


 でも、無駄だった。


 ゴリっていう骨を砕くような音をノーチがさせる。

 噛み砕かれた呪いが橋の上の汚れた雪に飛び散り、黒い染みを作り出す。

 それが何百という呪いの結果だった。


 凍る橋上を滑りながら着地した彼女は、私を指さして叫んだ。


 「なんだ、そのでたらめは!」


 私は静かに言う。


 「夜は私の時間です。あなたに勝ち目はありません」





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