第1話-③ 「それ、ネネの良くない癖ってこと」



 「ええ。これまで何度か同じ話を聞いてます。黒いものはきっと『呪い』です」

 「呪いって、死んでしまえとか、貧乏になってしまえとか……」

 「動物の目にはそんな『呪い』が、黒いかたまりが動くように見えるみたいです」


 砂盤の灰に触れる。すぐに子猫がじゃれるように灰が指先にまとわりつく。


 「呪いがありました。それはどんなものかわからないんですが、身代わりにリシチュカが亡くなりました。では、誰があのお客さんを殺そうとしたんですか?」

 「貴族にはありがちなことだよ。足の引っ張りあいさ」


 それはよく聞く。でも、貴族は呪いを『解決』できる。


 「ありがちなら、呪い除けや呪い返しが普及します。そして実際にそうしたものがたくさんあります。魔避けの類、屋敷への結界、護符……。貴族の財力なら平民よりもたやすく集められます」

 「まあ、そうだけど……」

 「呪いは防げるはずなのに、どうしてあの人は呪いを防御しなかったのです?」

 「それは……。結界か何かが破れていたんだろうよ」

 「そう……でしょうか……」


 何かがおかしい。

 きっとこうして世間から離れたところで暮らしている私達にも、このおかしさは関係している。ここに亡くなった犬へ会いにお客さんが来た、ということはそういうことだと思う。


 「ちょっと調べてみてもいいですか?」


 エルヴィラさんがカップのひとつを差し出す。私がそれを手にすると、あきれたように言う。


 「まったく……。頭が良すぎるのも考え物だわ」

 「私はそんなことは……」

 「わかってんの?」

 「何がです?」

 「それ、ネネの良くない癖ってこと」


 エルヴィラさんは自分のカップのお茶を一気に飲み干す。私へ言いたいたくさんのことも。



■アシュワード連合王国 北都グレルサブ スネグラチカ通り沿いの小さなカフェ『ヴォルフ&ベランジェ』 デケンブリ大月(12月)15日 15:00


 貴族社会を知らない人にその複雑怪奇さを想像させるのは、とても難しくて……。うーん。そうだね。まずは学生時代を思い出してみたらいいかな。

 いろいろなグループがいたと思う。頭の良い人たちのグループ、ちょっとやんちゃなグループ、何か趣味やスポーツなどでつながっているグループ……。そして変わり者と呼ばれ、孤立している人たち。

 みんな平静をよそって表立っては争わない。でも、裏側では激しい思いが渦巻ている。憧れ、恋愛、陰謀、陰口、仲間外れ、蔑み……。

 貴族社会には、それに加えて、地位、名誉、お金、領地問題、友人関係、親族関係、婚姻関係、愛人関係、それに養子縁組。実にめんどくさいことにあふれている。


 こんな貴族社会で生きていくためには、いつも頭を使わないといけない。そう。誰かのしっぽをうっかり踏まないように。

 だから私は、その専門家に会うことにした。


 私とノーチは通り沿いのカフェへ向っていた。風はなかったけれど、大き目の雪はぽたりぽたりと灰色の空から舞い降りている。通りは雪が足首ぐらいに積もっていて、整然と並ぶ石畳をすっかり隠していた。


 見るからに寒そうな景色だったけれど、今年新しくした黒い羊毛のコートは暖かいし、エルヴィラさんからもらった皮の手袋も冷たさを感じさせなかった。少し食べ物を口にして、ポーションで魔力回復もした。私は寒さを気にせず雪降る街の中を歩いていた。


 「ノーチは寒い? 大丈夫?」


 そうたずねるとノーチの黒い鼻先を私へ向けて、私を見つめた。そこにふわりと雪の粒が落ちる。


 「あとで濡れたとこを拭くね。もうちょっとだから」


 返事の代わりにノーチはすたすたと前へ歩いてしまった。もう……。私はそれを追いかけて行く。


 そのカフェは小さいけれど古くから店を開いていて、初代勇者がここでお茶を飲んで魔王討伐に向かったとまで言われているようなところだった。ほら、こんな感じの古い石組の壁と古い木の扉。私とノーチはその前に立っている。

 私はここが大好きだった。これから会う人もそうだと言っていた。


 ノーチはぶるんぶるんと体を震わせる。私もそれにならってコートにかぶった雪をぱたぱたと落とす。ぎいぃという音を立てながら扉を開けると、カウンターの向こうから「いらっしゃい」と声がかかった。褐色の体をした大きな女主人が、バンダナでまとめた髪のほつれを直しながら私に微笑んでいた。


 「彼は来ていますか?」

 「うん。いつもの席。ノーチちゃんにこれね」


 ぽいと乾いた布を渡される。


 「ありがとうございます」

 「寒かったでしょ? 君達は温かいミルクでいい?」

 「お願いします」

 「ネネちゃんのには花蜜を少し入れて甘くしてあげるね」

 「いつもすみません」


 そこは小さなカフェだった。椅子もテーブルもカウンターも壁も床も、みんな古くて鈍い輝きを見せている。お客さんはその人だけだった。ランプから放たれる控えめな灯りが、その人だけを照らしていた。


 「頼るな。こういうときばかり、おまえは……」


 束ねた長い黒髪をいらいらといじりながら文句を言われる。

 私はそれを無視するようにテーブルの向かい側に座る。すぐそばに来たノーチの足元を布で拭きながら言った。


 「私にはもう身分も地位もありませんから。フェリクス・ユスフ様」


 嫌味に聞こえた気はする。でも、これは本当のことだし……。


 「僕に頼らなくても生きていけるようにしろと、何度も言っているはずだ」

 「もう少ししたら占いだけで暮らせそうです」

 「違う。こういう厄介事のほうだ」


 フェリクスのカップを見る。ほとんど飲まれていない花穂茶から湯気が見えない。すっかり冷えている。いつからここで待っていたのだろう。お昼にユスフ家の屋敷へ使いを出したから、それからすぐに来たのかもしれない。


 結局、私は……いつもと変わらない。こうして心配しているフェリクスから文句を言われるのもずっと変わらない。曇るメガネごしに見えるこの風景も……。


 「ネネ。おまえをいますぐユスフ家に迎えたいと思ってはいる。イグナチェフ家におまえを行かせたのは大失敗だった」

 「過保護が過ぎます。フェリクス様だって、養子の地位ではありませんか」

 「様をつけるな。私はお前の兄なんだぞ」

 「ここは外ですから」

 「そうであってもだ」

 「私は平民です。ユスフ家のような大貴族には迎えられないぐらい堕ちた身です。兄さんに迷惑が掛かります」


 フェリクスの鋭い目が私を貫く。仕方がない。そう思っていたい。そうじゃなきゃ心がつらくなる。ノーチを拭いて濡れた布をぎゅっと握りしめる。


 ふいにノーチがテーブルに頭を乗せた。なんだろうと思ったら「ぼふ」と小さく不満げに吠えた。

 つい私達は笑ってしまった。


 「ありがとう、ノーチ。大丈夫だよ」

 「僕たちは喧嘩しているわけではない。わかってくれ」


 ふたりでノーチの頭をなでてやると、テーブルから頭を離し、満足したようにその場でお座りをした。


 「先に要件を済ませよう。ネネ、その身元を知りたい人間の容姿を教えろ」


 私はフェリクスのほうへ振り向くと、つぶやくように言った。


 「金髪、灰色の瞳、白い肌。年齢は20代ぐらいです」

 「訛りはあったか?」

 「いえ、普通に王都で話されているアクセントでした」

 「何か紋章は?」

 「とくになくて……。ああ、でも。古いブローチを胸元に着けていました」

 「それの色と形は?」

 「灰色に近い白で、彫られたモチーフから相当古く思えました」

 「それは交差している剣か? 何かの動物か? それとも女性の顔だったか?」

 「女性の顔でした」

 「それは古代神話に出てくる女神ミエーシャだ」


 フェリクスが目をつむる。こめかみのあたりを人差し指でこつんこつんと何度も叩き出す。空気が泳いでいく。ミルクがふつふつと温まる音が聞こえる。それから目を開けると、フェリクスは私に計算結果を告げるように言った。


 「きっとペトローヴナ家だろう。古くから女神を守護神としている家だ。あそこの家系には灰色の瞳が多い。アシュワード王家にも近い家柄だ」


 王家……。私の少しの驚きをよそに、フェリクスは言葉を続ける。


 「似たような年頃だとひとりいる。名前は……。そう、アンナ。アンナ・ペトローヴナだ」

 「その人はフェリクス様の知っている人ですか?」

 「知らないよ。まあ、社交界のどこかで会ったかもしれないが」


 蛇の巣みたいな貴族社会を頭だけで生きているフェリクスだ。知らないということはそれぐらいの人だということなのだろう。

 それにフェリクスは私に嘘をつかない。私とは違って。

 それでも、私は聞いてしまった。


 「その人はフェリクス様から降霊のことを聞いたと言ってました。知らないということは不思議なことです」

 「わからない。僕はそうそうおまえのことを人に教えんよ」

 「では、誰が教えたのですか?」

 「それもわからない」

 「わからないことだらけですね……。なぜそんな人が呪われたのでしょうか……」

 「気になるのか?」

 「はい、そのせいで命がひとつ虹の橋を渡りましたから」


 フェリクスが冷め切った花穂茶に口をつける。


 「僕はこんなふうに思う。もし今回誰も防ぐことなく、アンナ・ペトローヴナが呪いで死んだことになれば、そのこと自体が次の呪いを強くさせる」

 「どういうことです?」



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