第1話-② 「君はどうして死んだの?」


 私はお客さんに近い椅子を動かし、暖炉のほうをお互い見るように座る。それから揺れる炎をふたりで見つめながら、やさしくたずねた。


 「その子はどんな子でしたか?」

 「やんちゃな子だった。屋敷の庭をよく走り回っていた。私の枕を引きちぎって中身を全部まき散らしたり、私の服を噛んで離さなかったり、もう叱らない日はなかった」

 「いたずらが過ぎますね」

 「私が小さい頃からいっしょだったから。なんかもう出来の悪い弟みたいだった。だからこそだと思う。いなくなると寂しくて……」

 「わかります。私もそんな別れがありました」

 「そう……」


 少し寂しそうな顔をされた。わかって欲しくはなかったのかな。私は少し話題を変えた。


 「その子のお名前をうかがっても?」

 「リシチュカって言うの」

 「どれぐらいの大きさでしたか?」

 「抱えられるぐらいかな。白くて巻き毛でところどころ茶色が混ざってて……」

 「よく鳴く子でした?」

 「ええ、もう。毎朝吠えて起こされたわ」

 「つらい話だと思いますが、亡くなれたときの様子はいかがでしたか?」

 「屋敷の庭に大きな木があって……。姿が見えなくなって、捜しに行ったら根元にうずまくっていて、もう冷たくなってて……」

 「ありがとうございます。いつ頃になりますか?」

 「今から10日前。間に合うかしら? 犬でも魂は月へ上がるって言うし……」

 「大丈夫です」

 「良かった……」


 ほっとしたように見えた。それはとても幸せなこと……なんだと思う。この剣と魔法が支配する世界では、飼い犬のことを心配できる人はとても少ない。


 エルヴィラさんが、私の占い道具を持ってきてくれた。よいしょっと言いながら、暖炉と私達の前にそれを置く。

 細い足が付いた銀色の大きなお皿のように思ったらいいかな。その皿には虹のように銀色の取っ手が渡っている。皿の中にはさらさらとした灰が一面に敷き詰められている。


 心配そうにエルヴィラさんが言う。


 「ネネ、ちょっと思ったんだけどさ」

 「私は大丈夫です」

 「違う違う。寝巻きのままで寒くないの?って思っただけ」


 あ……。

 ちょっと恥ずかしい……かも……。

 寝巻きの袖を手で引っ張る私を見て、エルヴィラさんが言う。


 「ガウンぐらい持ってこようか?」

 「……ごめんなさい。お願いします」


 「わかった」と言うと、エルヴィラさんは部屋から出ていった。

 お客さんのほうを向くと、笑顔で見つめ返された。


 「てっきりその恰好は、占い師だからだと思ったよ」

 「いえ、違うんです。すみません。寝起きで……」

 「いいよ。あの子に会わせてくれるのは変わらないんでしょ?」

 「ええ、そこは……」


 私はこほんとわざとらしく咳払いをした。なんかこう……そうしたくなったから。

 銀色のお皿の端をさすりながら私は言う。


 「これは砂盤と呼ばれていて、一般には占いの道具として知られています。でも、私のはちょっと違くて……」

 「この灰のこと?」

 「ええ、そうです。灰はみんな亡くなった動物達から分けてもらったものです」

 「うん? それってどういうこと?」

 「みんな不慮の死でした。事故だったり、何かに襲われたり……。みんな飼い主のことが大好きで守りたくて……。どうしてもこの世界に残りたかった子たちばかりです。私はそんな子の弔いをしてあげて、火葬した灰を少しだけ譲ってもらいました」

 「そうなの……。悲しいわね」

 「その子たちが、リシチュカを虹の向こうから呼んでくれます。こっちに来てって……」


 砂盤の片方の取っ手に手をかけると、お客さんへ同じことをするようにうながした。


 「ここに手をかけてみてください」

 「こう?」

 「はい。降霊が終わるまでは離さないようにお願いします」

 「わかった」

 「では、呼びますね」


 私は心の中でリシチュカのことを想う。「……みんな、お願い。連れてきて」とつぶやくと、砂盤の灰が震えだした。細かな波紋が起き、灰が巻き上がる。


 「呼んであげてください。いつもと変わらないように」

 「リシチュカ! おいで! おいでったら!」


 灰の真ん中が盛り上がる。それはすぐに拳ぐらいの大きさになり、子犬の形になった。尻尾をぶんぶんと力強く振り、うれしくてたまらないように跳ね出した。


 「リシチュカだわ! この嬉しがり方はリシチュカよ!」


 お客さんが砂盤に手を伸ばす。灰でできた子犬は、その指先に顔を押し付けるようにして、ひさしぶりに会えたうれしさを主人へ伝えた。


 「ああ、リシチュカ……」


 お客さんは声を上げて泣き始めた。流れる大粒の涙を手で拭う。


 砂盤の近くにやってきたノーチが、私の空いている手の袖を引っ張る。それから「ぼふ」と低く吠えた。

 そうだね。ちゃんとお仕事しないといけないね。

 私はおなかを見せて尻尾を振っている灰の犬に命じた。


 「我は玉折なる汝の主人である。我が我を持ってして汝に語ることを許す」


 とたんに灰の犬は飛び起きて、お客さんのほうに向かって少年のような声を上げた。


 「お姉ちゃん!」

 「リシチュカなの!」

 「そうだよ! 僕は心配してたんだ。お姉ちゃんはいつも朝寝坊だし、いつも泣いているし。ねえ、僕がいなくても平気? 僕はね、それがずっと心配だったの!」

 「平気じゃない。ぜんぜん平気じゃないよ……」

 「ごめんね。僕がそばにいてあげないといけなかったのに。ごめん! ごめん!」

 「いいの……、また会えただけでも……」


 血の気が少しずつ抜けていく感じがする。魔力が消費される、いつもの不快感と不安……。あまり時間がない。

 泣くのを我慢しているお客さんに、私は「リシチュカに聞きたいことを聞いてください」と促す。


 「でも……」

 「いまの私の魔力では、この術をあまり長くは続けられません」

 「でも……、それでも……」


 お客さんは片手で目を覆いながら泣き始めた。灰の犬は「大丈夫? 泣かないで!」と心配そうに言って、ぐるぐると砂盤の上を駆け回る。


 仕方がない。私はあきらめて、質問を躊躇している彼女の代わりに灰の犬へたずねた。


 「君はどうして死んだの?」

 「なんか怖くて黒いものが、わーって来たんだ。庭の隙間からだよ。このままだとお姉ちゃんが黒いものに襲われて死んじゃうって思って、僕がその黒いの噛んだんだ」


 黒いもの……。

 お客さんが泣くのを止めて、「なにそれ……」と呆然とつぶやく。


 「どんな感じがしたの?」

 「すごく苦くて、うえってなったよ。でも、がんばった!」

 「それからどうしたの?」

 「飲み込んだら、体が重くなって眠くなって……」

 「そう……。君は主人の身代わりに死んだんだね」

 「うん、そうだよ!」


 灰の犬がまた嬉しそうに跳ねる。


 「僕は嬉しいんだ! お姉ちゃんを守れたから。あんな黒いのやっつけたからさ! だから心配しないで! 泣かないで!」


 灰の犬が崩れていく。耳が落ち、尻尾が落ち……。「泣かないで!」という声が遠退いていく。灰が静かに動きを止めた。


 「もう砂盤から手を離していいですよ」


 私がかけた言葉は届かなかった。お客さんは、そのままでしばらく静かに泣いていた。


 私にはこれがいつも残酷なように思えた。二度も別れを経験することになる……。それでも大勢のお客さんは私に「また会いたい、会わせてくれ」と願う。


 ノーチが私の足を鼻でつつく。頭と背をなでてやっても「くうん」という寂しそうな声を上げた。


 「待ってあげようよ。私達のように」


 私は小声でそう言うと、ノーチは私の足に頭を預けた。私はそこにそっとやさしく手を置く。


 しばらくそうしていた。

 暖炉の薪が「ごそ」という音を立てて崩れていった。

 彼女の低い我慢した泣き声が部屋に満ちていた。


 エルヴィラさんが私のガウンといっしょに温かいお茶を持ってきてくれた。渡されたカップをお客さんが両手で抱えるようにして膝の上に置く。その温もりが体に行き渡った頃、お客さんはようやく顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃになったままの顔で微笑んだ。


 「ありがとう、ネネさん。気持ちが晴れたよ」

 「それは良かったです」

 「泣いちゃって、恥ずかしいな、もう……。ほかのみんなもこんな感じ?」

 「ええ。皆さんよく泣かれます」

 「あなたはこの死霊術の力をもっと人のために使うべきだと思う」

 「そう……なんでしょうか?」

 「そうよ、きっとそう。これはすばらしいことだと思う」

 「私にはわかりません……」

 「みんなのためにがんばって!」


 そう言いながらお客さんは、いつのまにか手にしていた金貨入りの革袋を私へ渡そうとする。


 「い、いりません。先ほど対価はいただいたので……」

 「だめ! 私の気持ちが収まらないから!」


 押し付けられる。拒否される。それを繰り返していたら、エルヴィラさんが「もらってあげなよ」とあきらめたように言う。


 「ごめんなさい、こんなにたくさん……」

 「謝ることはないわ。あなたはそれだけのことをしてくれたんだ」


 エルヴィラさんが持ってきた黒いコートの袖に手を通しながら、お客さんはそれが当たり前のように言う。それから砂盤をやさしく見つめる。


 「ありがとう。リシチュカ」


 そう言うとお客さんは歩き出した。


 玄関までお客さんを見送る。あれだけ泣かれたから「また来てください」とも言いにくい。だから「ありがとうございました」とだけ言って、エルヴィラさんと私とノーチは少しだけ頭を下げた。

 お客さんは、まだ雪が降る灰色の街を後ろにして、「こちらこそ」と嬉しそうに笑った。


 玄関の扉が閉まる。

 エルヴィラさんが頭を掻き上げながら態度を変える。


 「やかましい奴だったな」

 「物語の主人公はあんな人なんだと思います」

 「あんただって主人公なんだよ。自分の人生のな」

 「それなら……。もうこれ以上事件が起きない物語にしたいです」

 「違いないね。ああ、お茶がまだポットに残ってるんだ。飲むかい?」

 「はい、いただきます」


 私は綿入りのもこもことしたガウンに袖を通すと、さっきまで座っていた暖炉の前の椅子に寄りかかる。


 「気になるな……」


 いまの想いをふと口から漏らしたら、ちょうどやってきたエルヴィラさんに聞かれてしまった。持ってたふたつのカップを近くの椅子に置くと、私へたずねた。


 「気になるのって、リシチュカが食べた『黒いもの』のこと?」



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