第14話 ベリーをきっかけに

 ビヨンの奇跡の帰還から諸々の事が落ち着き、日常が戻りつつあったある夜の事、いつものように就寝前に明日の準備を整えていた際に、ふとブルーが近づいてきた。見た目こそオオカミでも、その表情は大型犬のよう。無垢な青い目に見つめられると無視することなんて出来ず、私はすぐに彼に訊ねてみた。


「どうしたの?」


 すると、彼は尻尾を軽く揺らしてから答えた。


「あの……その……ちょっと考え事をしていたら気になっちゃって」

「何が?」

「グリズリー達の事。アーサーさんもそうだけれど、皆どうしているんだろうって」

「そうねぇ」


 まとめていた書類を一旦軽くとんと揃えてから、私は彼に体を向けた。


「きっと今まで通り過ごしているんじゃないかしら」


 そうである根拠はどこにもないけれど、願望交じりの答えを私は口にした。

 名前も分からなかったあのグリズリーの家族は勿論だが、アーサーだって普段はバーナード以外の人間とは関わらないのだろう。

 あの時、アーサーが協力してくれたのは、私たちがバーナードの代理だと証明できたからだ。その際に役立ったスピリットベアの欠片は、明日の夜、「キツネの隠れ家」にてバーナードに直接返すことになっている。もしも、あれがなかったならばビヨンは助からなかっただろう。

 そのくらい、グリズリーと私たちには距離がある。


「あの子はどうなったかな。ちゃんと元気になれたかな」


 ブルーの問いに、私は淡々と答える。


「きっと元気になったのでしょう。今のところ、グリズリーたちがまた不審な動きを見せているということはないもの」


 これもまた、そう信じたいという願望によるものだ。


「すごいね、ベリーって」


 ブルーは私を見上げながら言った。


「あんな傷も治っちゃうなんてさ。森の皆も、もっと積極的に使ってみたらいいのに。そうしたら、人間たちみたいに長生きできるかもしれないのに」

「恐れる気持ちは分かるわ。ベリーは薬にもなるけれど、毒にもなるから」

「そっか、確かにそうだよね。故郷のおとな達はいつも食べちゃいけないベリーについて教えてくれたもの。ポイズンベリーとか」


 ブルーの故郷スノーブリッジの雪山にいるマヒンガたちもまた、私たち人間にとってはグリズリーのような存在だ。

 古くより続いた伝統を固く守り、ベリーを乱用せず、開拓民に心を許さず、ドラゴンメイドを畏怖し続けた者たちの末裔は、今もグリズリーのように四足歩行のまま暮らしてマヒンガと呼ばれており、そうではなく開拓民や他の先住民たちと共に新しい世界を作ろうと決めた者たちの末裔は、オオカミ族としてドラゴンメイドの各地で暮らしている。


 考えてみれば、たったそれだけの違いでしかない。

 それでも、大きな違いである。


 アーサーやブルーのような存在は稀有なもので、大半は人間の世界の事を理解しないか、理解したとしても一定の距離を保って生活し続ける。これまでも、そしてきっと、これからも。


「ねえ、ラズ」


 けれど、ブルーは言った。


「グリズリーと人間たちって、もうちょっと仲良くなれるかな」

「それは、えっと……」


 思わず答えに詰まってしまった。

 キラキラした子犬のような眼差しの期待する答えについて恐らくこうだろうという見当がついている。しかしながら、私の答えはそれと違う。

 変わらない。これからも、これまでも。ブルーやアーサーのように人間の世界に飛び込んでくる者はいるかもしれないが、それは一部に過ぎないだろう。

 それをどんな言葉で伝えるべきだろう。

 私が答えられずにいると、ブルーは先に口を開いた。


「ボクはね、そうなるといいなって思っているよ」


 それは、いかにも彼らしい意見だった。


「勿論さ、難しいってことは分かっているんだよ。ラズが答えに詰まっちゃうくらい、グリズリーって怖いもんね。だって、ボクも森で暮らしていたもの。雪山で暮らして、その後は一匹オオカミだったから、分かるんだ。オオカミとして暮らしていた頃に、グリズリーが暴れているのを見たことがあったし、ボクも怖い目に遭ったことがある。あの子熊を傷つけたのも他のグリズリーだもんね。怖くないわけがないよ」


 それでも、と、ブルーは腹ばいになって床へと視線を落とした。


「この間のようなことだってある。アーサーさんや、バーナードさんのお祖父さんみたいな例もある。そうだ。ボクだってそうだもんね。グリズリーじゃないけれど、ボクたちみたいな喋るオオカミも、ラズたちにとっては怖いんでしょう?」

「ブルー……」


 なんて声をかければいいか、言葉が浮かんでこない自分に腹が立ってしまう。それでも、ブルーは気にしていない様子で、人間のような笑みを浮かべた。最初に出会った頃に見せてくれた人間の笑顔の物真似に比べて、今はだいぶ自然に笑えるようになっている。けれど、それだってブルーがブルーであるからだ。他のマヒンガは、そうはいかない。


「いいんだよ、ラズ。怖がられる事情と歴史ってやつがあるんだもの。でも、ボクはちょっと希望をもってしまったんだ。ねえ、ラズ、ベリーってすごいんだね。ベリーがあったから、話し合いで解決できて、誰も死なずに済んだんだもの」


 ベリーはすごい。それは確かにそうだ。良くも悪くも人を魅了する。数多の争いを生み、悲劇を生んできたのもベリーだけれど、黄色い石畳のベリーロードを築かせて、ドラゴンメイドの大地の各地をつないだのもベリーだ。

 先住民たちと開拓民たちとの和解のきっかけになったこともあるし、今回のように揉め事を鎮静化することもある。

 私とブルーが仲良くなったのも、ベリーがきっかけだった。


「そうね、ベリーってすごい」


 私もそっと肯いて、ブルーの頭を軽く撫でた。

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