第15話 ドラゴンテイル

 カウンター席にて、グラスの中の氷が解け、カランという綺麗な音と共に真っ赤なルベウスベリーが赤いリキュールの中で揺れる。その様子をじっと見つめていると、隣に座っているバーナードが呟くように言った。


おとぎ話ドラゴンテイル。まさにそんな言葉を思い出してしまう一件でしたね」


 おとぎ話ドラゴンテイル。それは、このカクテルの名前でもある。開拓民たちがこの大地にやってくる以前から、ドラゴンメイドはこの大地の底で眠っていた。彼女の夢がベリーを生み、その夢の源となるのが鳥の精霊たちの見つめてきた地上での出来事だったらしい。

 人語を話すワタリガラスなどが各地で語るおとぎ話は、この大地のどこかで起こったゴシップであることも多いが、同時にドラゴンメイドの夢の内容であるかもしれないという点ではおとぎ話と呼ぶに相応しい。


 森で迷った人間を、グリズリーの協力でただのベリー売りが救出するなんて話は、まさしくおとぎ話に違いない。

 そのために役立ったスピリットベアの欠片という存在もまた、おとぎ話に出てくる秘宝のようで面白い。


「それにしても、これが役に立って良かったです。でも、びっくりしちゃったな。アーサーの事は信頼していたから心配してはいなかったのですが、まさか他のグリズリーたちに会いに行くなんて」


 バーナードはそう言って、エナジーベリー入りのウイスキーを一口飲むと、ことんとグラスをテーブルに置いてから、続けた。


「いや、とにかく、無事でよかった。あとで聞いて青ざめちゃったんですよ。貸してよかったのかなって」

「でしょう!」


 そこへ食い気味に同意を示すのが、何故かついてきたクランだった。


「こいつは昔からそういうやつなんですよ。ほんっと人の気も知らずに……」


 そんなクランの苦言を澄まし顔とドラゴンテイルのチェリーの味で流していると、バーナードはしばし笑ったのちに口を開いた。


「でも、この行動力には感心しました。アーサーと言っていたんです。あそこまで度胸のあるヒト族女性は初めて見たって」

「ブルーも一緒でしたから。ベリー銃もありましたし。……それに、思い立ったらとりあえず行動してしまうのが良くも悪くも私の癖なんです」


 この行動が必ずしも良い結果を生むわけではない。これまで無事に生きてこれたのだって、私が賢かったからなどではなく、飽くまでも運が良かったからに過ぎないだろう。それでも、今回はよい結果につながった。それくらいは誇りに思わせてほしいものだ。


「それにね、悪いグリズリーじゃなかったから」


 ブルーが言った。


「ただの困っているひと達だったからさ、だからバーナードさんがラズを信じて貸してくれて良かったんだと思うの」


 彼の言葉にバーナードはにっこりと笑った。


「ありがとう、ブルー君」


 そんな彼の横顔を見つめながら、私はふと呟いた。


「けれど、良かったのでしょうか。表彰されたのは私とブルーだけ。バーナードさんがスピリットベアの欠片をお貸ししてくれたから解決したのに。それにアーサーさんだって。彼がいなかったらグリズリーたちと対話することさえできなかったのに」

「アーサーの事なら気にしないでください。彼もあまり人前に出たくないみたいでしたから。人間らしい暮らしに憧れていても、ボクと違って一滴もクマ族の血を引いていない。その事を本人が一番気にしているみたいなんです」


 バーナードはそう言って、私を見つめてきた。


「それに、ボクの事もお構いなく。ボクはお貸ししただけで、実際に行動したのはあなたなんですから」


 そして、彼は私の手元にあるドラゴンテイルのグラスを見つめながら続けた。


「おとぎ話……。ボクの祖父はよくグリズリーの間で伝わるおとぎ話を話してくれました。大抵の主役はグリズリーなのですが、シュシュが登場することもありました。それに、ヒト族も。きっとあれは祖父の願いも籠っていたのでしょうけれど、中にはグリズリーが他の種族と仲良くなる話もあって。ボクは目をキラキラさせながらその話を聞いていたんです。アーサーもそうだったって聞きました。でも、現実はそうではない、世界はそんなに単純じゃないって、大人になってからボクは知ったんです」


 バーナードの表情はどこか寂し気で、私もクランも、そしてブルーまでもが様子を窺ってしまうほどだった。


「学校でタイトルページの歴史を学んだ際、クラスメイトがボクを揶揄いました。なぜなら、開拓民とクマ族をグリズリーが襲った事件記録がいくつもあったからです。勿論、そんな人はごく一部で、大抵の人たちはボクを庇ってくれます。けれど、あの頃からボクは現実から目を逸らさないようになった。グリズリーはやっぱり怖い。祖父やアーサーが例外なだけで、今回みたいに人間の世界の常識が簡単に通用しないことだってある。その結果、人が死んでしまう事だってある」


 クマ族らしい長い爪でテーブルを軽く叩いてから、彼はそっと続けた。


「でも、おとぎ話のような事もあるんだ。それを知れただけで、ボクは満足です。単純じゃない現実を初めて思い知って、傷ついて泣いていた少年時代のボクをようやくちゃんと慰められたような気になれました。だから、スピリットベアの欠片をお貸しして、本当に良かったって、そう思ったんです」


 そう言って、バーナードは笑みを深めた。


「これが、『施しのベリーがいつの間にかあなたのもとに』ってやつなのかな。人助けのつもりだったけれど、自分が助かったような気持ちになっている」


 一人呟く彼の横で、私は再びドラゴンテイルの味を確かめた。

 甘酸っぱいチェリー味と共に、バーナードの言葉を反芻する。


 ──施しのベリーか……。


 戻ってくるそのベリーはきっと、バーナードが言うように目に見える形とは限らないのだろう。

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