第12話 奇跡の生還

 色々語らねばならないことがあるけれど、まずは子熊の話をしよう。

 子熊は助かった。パナシアベリーで作る万能薬すら必要なかった。

 アクアベリーで清め、ピュアベリーで傷口を消毒する。たったそれだけのことで、子熊の容態は安定したのだ。

 しかし、たったそれだけのことがグリズリーたちには難しかった。なぜなら、アクアベリーもピュアベリーも、グリズリーたちの頭の中の辞書には使っていいという記載がなかったからだ。


 ともあれ、子熊は助かった。

 次は、ビヨンだ。


 グリズリーたちの名誉のために言っておかねばならないけれど、ビヨンが帰れなくなっていた直接の原因は、彼らのせいではない。

 どうやらビヨンは、普段立ち入るベリー畑から少しそれた場所で、高台に生えていた希少ベリーを採ろうとして足を滑らせ、足腰を強く打ってしまったらしい。

 万が一のために持ってきていた非常食用のベリーが役立っていたようだが、それもいつかは尽きる。それに、体の負傷と野晒しという状況は、彼の体力をじわじわ削っていった。

 見た目こそグリズリー達のようなクマであっても、クマ族は人間だ。人間として生まれ、暮らしている。ビヨンもまたごく一般的なクマ族男性であり、そんな彼にとってこの状況は過酷そのものだった。


 不幸中の幸いは、私が行動を起こした日時が事故発生日時からそこまで経っていなかったこと、アーサーの協力を得ることができたこと、そのおかげでグリズリー達の気が変わったこと、願い通りに私の手持ちのベリーで子熊の容態が安定したこと、その子熊の家族たちが約束を守ってくれるタイプのグリズリーだったこと……などいくつも重なった。

 だが何よりの幸運は、グリズリー達の方針により、ビヨンに止めが刺されずに済んでいたことだった。

 これがもし、ビヨンを見つけたのが普通のクマであったならば、展開は違ったかもしれない。グリズリーたちが彼の自然死を望んでおり、他の野獣に邪魔されないよう常に監視をしてくれていたお陰で、ビヨンは殺されずに済んだのだ。


 ともあれ、ビヨンは助かった。

 事故は不幸なことでしかなかったけれど、いくつもの幸運が奇跡的に重なった結果、まだブラッドベリーの苗床になっていない彼を見つけることが出来たのだ。

 崖下に横たわっているビヨンに、最初に近寄って行ったのは子熊の父親だった。彼の接近を感じ、ビヨンは慌てた様子で目を開けた。その耳元で、グリズリーは囁いた。


「ブラッドベリーはもう必要ない」


 その言葉をどう受け取ったのだろうか。ビヨンはどこか不安そうな表情を浮かべた。だが、そんな彼にグリズリーは付け加える。


「無事に助かったのだ。我々は使わないようなベリーによって……いや、それはどうでもいい。どうでもいいんだ。今は我が子が助かればそれでいい。お前はお役御免だ。迎えも来ている」


 そこでアーサーに軽く背中を押され、私はビヨンに近づいて行った。


「ビヨンさんですね? ブロンズ級公認ベリー売りの」


 声をかけると、ビヨンの目が大きく見開かれた。

 私の顔をじっと見つめ、全身の毛を逆立てた。


「ああ……人だ……あなたは?」


 目を潤ませながら訊ねてくる彼の手を握り、私は答えた。


「ラズです。あなたと同じベリー売りなんです。色んな協力があって、町の人たちよりも先にこちらにたどり着くことが出来ました。帰りましょう。みんな心配していますよ」

「ありがとう……ああ、ありがとう」


 さて、ビヨンを運ぶのは私とブルーだけでは不可能だった。

 クマ族は人間であっても、体は完全にクマと同じなのだ。私とブルーの体重を合わせても、クマ族男性の平均体重には届かない。そのくらいの対格差のある相手を、町まで運ぶのは不可能に近かった。

 しかし、今回はアーサーが一緒だった。それに、協力者はアーサーだけではなかった。驚くべきことに、助けた子熊の家族であるグリズリーたちも協力してくれたのだ。今も付き添って看病している母親の代わりに、父親と子熊の兄姉たちがぞろぞろと前足を、或いは背中を貸して、ビヨンを運ぶのに協力してくれた。

 公認ベリー売りになって、旅をするようになって、しばらく経つけれど、このような経験は初めてだった。

 アーサーが一緒にいてくれたからだろうか。いや、それだけではないだろう。そのくらい、誰かの心を動かせるものがベリーのもたらす恩恵なのかもしれない。


 けれど、そんな奇跡的な時間も長くは続かなかった。ビヨンを共に運び、タイトルページの町が見えてくると、名前も分からないグリズリーの家族たちだけでなく、アーサーもまた不安げな表情を見せるようになってきたのだ。

 さらにしばらく進むと、父親のグリズリーが子どもたちに対してクマらしい鳴き声で何かを伝え、そして、私たちに向かって告げた。


「悪いがここまでだ。飢えた獣が近づかないよう見張っておいてやるから、あとは自分たちで何とかしてくれ」


 そして、不意に立ち上がると、右前脚を軽く上げた。ちょうど、人間たちが軽く挨拶をするような仕草だった。


「今回は助かった。だから感謝している。けれど、忘れるな。お前たちはベリーに頼りすぎる。ベリーを過信しすぎる。そして、ドラゴンメイドの大地を自分たちの物だといまだに思い込んでいる。交わらなくていいものもある。関わらなくていいものもある。長生きしたければ、決められた領域からはみ出ないことを強く勧めておく」


 間違いなく私に向けた言葉なのだろう。助けたにしては素っ気無いように思ってしまうが、相手はグリズリーだ。人間の基準で評価するのは間違っている。

 だから、私はシンプルに感謝の言葉と受け取って、ただただ肯いた。すると、グリズリーの家族たちは納得したように背中を向け、そのまま森の奥へと姿を消していった。


 と、ここからが大変だった。アーサーとブルーに手伝われながら、なんとかビヨンを町の近くまで運んでいき、ビヨンだけでなく我々の体力の限界も近づいてきた頃になったところで町の人々に発見された時は、そのまま気を失ってしまいそうなほど安心した。

 だが、別の問題も発生した。野次馬の一部がアーサーの風貌に目を付けてしまったのだ。服を着ていても見るからにクマ族とは違う赤毛の巨漢を、あからさまに不審がる人物も複数いたのだ。

 それだけでも気分はよくないのだが、本当に怖いのはアーサーに危害を加える者が現れないかという点だった。だが、そうなる前に、意識のあったビヨンの言葉が周囲に伝わっていった。


「そのも助けてくれたんだ」


 それっきり、アーサーを不審がる声は聞こえなくなった。

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