第11話 ワタリガラスの話

 アーサーと共に小屋を出た後の出来事は、とてもクランには聞かせられない。もっとも、私が黙っていてもいつかは知ることになるだろうけれど、自ら彼に白状するには少々危ない橋を渡ってしまったと自覚している。

 ともあれ、いつ何が起こってもおかしくないような状況下で、私とブルーはアーサーに続いてタイトルページの森を進んでいき、そして、グリズリーたちが隠れ潜むエリアに入り込んでいったのだ。


 そこは、タイトルページの周辺の有名なベリー畑からさらに奥へと進んでいったあたりだった。

 アーサーが立ち止まったと同時に、傍にいたブルーが辺りのニオイを嗅ぎ始めた。私には全く分からなかったものの、気配は感じることができた。見られている。どうやら取り囲まれているらしい。


「ああ……まずは落ち着いて、ここへ来た理由を話させてくれ」


 不意にアーサーが姿の見えない相手に向かって声をかけた。


「共にいるのは見ての通り人間だ。シュシュではなくヒト族だが、戦いに来たわけではない。彼女はベリー売りなんだ。傷ついた子熊の話を聞いて、手持ちのベリーで助けてやれないか診てみたいのだと。だから、連れてきた」


 すると、アーサーの目の前の茂みが動き出し、木々の奥から隠れていた者が姿を現した。グリズリーだ。アーサーのような者ではない。服は着ておらず、野生のクマとそう変わらない。だが、言葉は理解している。そんな表情をしていた。


「ベリー売り」


 そのグリズリーが呟いた。渋い男性の声だった。


「必要ない。グリズリーにはグリズリーの治療法がある。それに、信用できん。竜母の教えを平気で破る罰当たりな開拓民の力を借りれば、あの子の将来にも災いが降りかかるかもしれない」

「そんな事はない。現に、私の叔父は不幸なんかではなかった。私だってそうだ」


 アーサーの言葉に、そのグリズリーはますます渋い顔をした。


「お前はそうであっても、お前の両親は心を痛めていた。お前の祖父母もね。ともかく、そんな事をせずとも、もうじき大量のブラッドベリーが手に入る。オスのシュシュ一頭分だ。それまであの子の体力が持つことを祈っているところだ。邪魔をするな」

「おじさん」


 と、そこへ声を上げたのがブルーだった。ぎょっとする私の思いをよそに、彼は一歩前へと踏み出し、グリズリーに向かって訴えた。


「苦しんでいる子が可哀想だって思わないの? 助かるかもしれないのに」

「マヒンガか」


 グリズリーは眉間にしわを寄せ、吐き捨てるようにそう言った。だが、それ以上は愚弄したりせずに、彼は答えた。


「可哀想だと思わないはずがない。あの子は私の子だ。父親として愛している。だが、愛しているからこそ、冷静に判断せねばなるまい。開拓民の血を引く者を信用してはならない。これが先祖の言葉だ」


 彼はそう言って、私を睨みつけた。正直、恐ろしい。追い返されるままに帰ってしまった方が気も楽だろう。それでも、すごすご引き返すことなんて出来なかった。ここで踏み止まっておかないと来た意味がない。それに、後悔するだろう。


「おっしゃる通り、私は開拓民の末裔です」


 すっと一呼吸を置いてから、私は彼に言った。


「ですので、私の言葉ではなく、私が耳にした別の人々の言葉を聞いていただきませんか?」

「別の人々?」

「はい、聞けばきっと誰の伝えた言葉か分かるでしょう。

 その昔、ドラゴンメイドに開拓民が初めてやってきた時代、大地に悪い病が流行りました。悪い心を持つ開拓民たちがわざと流行らせたのです。免疫力のなかった多くの部族たちが亡くなっていく中、心を痛めた開拓民も一人おりました。

 彼は先住民たちと交流し、この大地で採れるベリーを深く研究し、そしてついに流行り病に効くベリーを突き止めたのです」


 それは、当時の現地民たちが禁忌のベリーと呼んでいたものだった。

 多くの部族の伝える神話ではこのベリーを口にした者が竜母の怒りを買って死んでしまう。事実、美しい金色のこのベリーは劇薬でもあり、そのまま口にすれば毒になる。

 だが、今はもう滅んでしまったあるヒト族の部族には、こんな伝承もあった。


『傷を負った者、悪い風に魅入られた者、竜母を称え、この果実をワタリガラスの羽根と共に山の湯で煮よ。さすれば、その者は助かるだろう』


 開拓民はさっそくこの手法を試そうとした。けれど、禁忌のベリーを使うこと自体が、その他の多くの部族から理解を示されなかったのだ。

 しかし、そんな中で、他部族である彼らの言葉を引用して前向きに協力の姿勢を示した者たちがいた。


 ──試してみましょう。我らワタリガラスの名にかけて。


「ワタリガラスの一族か」


 グリズリーの言葉に、私は頷いた。


「彼らの協力のもと、禁忌のベリーを使った研究が行われました。そして、ワタリガラスの羽根とは、本物の羽根ではなく、今ではレイヴンベリーと呼ばれる真っ黒なベリーであることも分かりました。山の湯で煮る必要はなく、ただ煮るだけでも良かった。そうして出来たスープは、流行り病に苦しむ人々を救ったのです」


 そして、今ではその禁忌のベリーはパナシアベリーと呼ばれている。万能薬ベリーだ。無論、その当時の人々にとっての万能薬であり、今の時代で考えるとこのベリーでは不十分であることも多い。それでも、旅をするベリー売りならばお世話になる機会もいまだに多い。そんなベリーだった。


「私たちは旅をするので、予めパナシアベリーとレイヴンベリーで携帯用常備薬を作っておくようにしているんです。ほら、これがその薬です」


 そう言って、私は懐から小瓶を取り出した。グリズリーは警戒しつつも、まっすぐ小瓶を見つめていた。


「この薬が役立つとは限りません。ですが、他にも役立ちそうなベリーは持っています。いずれも、ワタリガラスの一族の巫女が、ドラゴンメイドの夢の啓示で本当に使ってもいいか訊ねたという逸話のあるベリーです」


 実際に子熊が助かるとは限らない。たとえ医者が持てる力を尽くしても、助からない時には助からない。そういうものだ。それでも、彼だって親なのだろう。不快感を怒りに変えてこちらに向かってくるというような事はなく、ただ静かに俯いた。


「なるほど、そう来たか」


 彼がそう言うと、アーサーが口を開いた。


「伝統を守り続ける我らの先祖も、時代と共に変わることはあった。我らはただのクマでない。誇り高きグリズリーだ。各地を飛び回るワタリガラスにより教えられた知恵と夢の啓示を頼りにして、かつては禁忌だったベリーに頼るようになったこともあったろう。ブラッドベリーだってそうだ。その昔、かのベリーは不浄のベリーとされ、我らの先祖は口にしなかった」


 私はグリズリーの歴史には詳しくない。だが、アーサーが言った通りなのだろう。その言葉を耳にして、目の前のグリズリーは前足で両目を覆った。


「……分かった」


 そして、周囲に向かって言葉にならない声をあげた。グリズリーらしい、いや、クマらしい鳴き声だ。すると、周囲の木々に隠れていた大小さまざまなグリズリーたちが出てきたと思うと、ぞろぞろと私たちの傍を離れて彼の後ろへと移動していった。


「案内する」


 彼は言った。

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