第6話 伝統か新しい暮らしか

 そもそも、グリズリーは本当に人間ではないのだろうか。

 我らが偉大なるドラゴンメイド国の歴史を時折振り返ってみた時、私はたびたびそんな疑問を抱いてしまうことがある。

 一応、私も学校で習ったことではある。人間の定義は、二足歩行と言語や道具の使用をするかどうかだ。

 その定義を当てはめるならば、グリズリーは言葉を喋るという噂はあっても二足歩行で生活しているわけではない。クマ族に比べて彼らはあまりにもケモノ寄りなので、人間ではないということだった。


 しかし、ドラゴンメイド建国前より伝わっていた神話によれば、今でこそ人間であるクマ族もまたグリズリーとそう変わらなかったと言われている。

 建国前の彼らはシュシュと呼ばれ、時代によってはヒト族の先住民たちから人間ではなくケモノとして認識されていたらしい。

 そんなシュシュたちの社会的地位を上げたのが、『聖熊譚』で知られるベネディクトであったわけだ。彼がいなかったら、そして彼の言葉が本にまとめられていなかったら、今でもクマ族に偏見を持つ者は多かったかもしれない。


 では、グリズリーはどうだろう。二足歩行をせず、開拓民との和解を受け入れなかった彼らは、今も山林の中でケモノのクマとそう変わらない伝統的な暮らしを続けている。それどころか、グリズリーは時折人間を襲うことがある。

 私の父だけでなく、森を歩いていただけなのに些細なことでグリズリーの怒りを買ってしまい、命を奪われた人間は山ほどいるのだ。そんな彼らを恐れずにいられるだろうか。


 そもそも、クマ族がシュシュと呼ばれていた時代から、グリズリーとの間には明確な違いがあったらしい。

 その毛色が黒っぽいか、赤っぽいかという違いだけでなく、よく耳にすることが、「伝統」か「新しい暮らし」か、という違いだった。

 私がわざわざ説明するまでもないことだが、シュシュたちはベネディクトの教えもあって開拓民の中でも友好的な一派と協力し合い、理解し合うという態度を貫き、共に新しい国を築く道を歩んだ。

 その過程で伝統的な暮らしや言葉を脱ぎ捨てていき、シュシュという名前も捨ててクマ族と呼ばれるようになっていったのだ。

 シュシュと名乗っていた頃の名残は見た目にしかない。それでも、クマ族たちの中で、その歴史を後悔しているという話は聞いたことがない。文明的な暮らしを受け入れ、ドラゴンメイド国民の一人として胸を張って暮らしている者ばかりだ。


 一方、グリズリーたちはどのような道を歩んだのかというと、学者などではなく単なるベリー売りである私には未知の世界だ。

 一般常識として知っていることは、彼らが「伝統」を守って暮らしているということ。普通のケモノのクマと明確に違う高い知性を持つということ。それでいて、人間として扱われていないということ。

 彼らには人間とは違うルールがある。そのルールは人間である私たちにとって、時に理解しがたいものとなっている。人間の世界であれば些細なことであっても、彼らの世界では万死に値するほどの罪となってしまうことがあるのだ。

 私の父も、そうやって命を奪われたのかもしれない。そこに人間の世界の倫理観をどんなに訴えかけたとしても、全く意味はないのだ。


 きっと、いなくなったベリー売りビヨンの捜索を阻んでいるというグリズリーたちにも、彼らなりの道理というものがあるのだろう。だからと言って、人命のかかっていることで譲るようなことはないだろう。

 やはり、衝突は避けられないのかもしれない。

 これまでだって、クマ族とグリズリーは何度も戦ってきたと言われている。ある時は美味しいベリーを巡って、ある時は町の開発を巡って、ある時は理由なき町民の襲撃を巡って、いかなる時も冷静な話し合いなんてものは意味をなさず、クマ族とグリズリーは殺し合ってきたという。


 これはクマ族とグリズリーだけの話ではない。ドラゴンメイドの建国以来、どんな種族の間でも起きてきたことでもある。

 北の町スノーブリッジではブルーたちのような喋るオオカミ──マヒンガと、町に暮らすイヌ族やオオカミ族が対立していると聞くし、そのイヌ族とオオカミ族もまた開拓民側と先住民側に分かれて内戦を起こしたことだってあった。

 では、その場合、全ての者が分かり合えないのか。そうではない。ブルーのように、自ら人間の世界に飛び込んでくる者はいる。今のグリズリーの中にだって、そういう者がいてもおかしくはない。だって、バーナードの祖父のような者だっているのだから。


 どうしたら、グリズリーと対立せずにうまい取引が出来るだろう。

 気づけば私は考えていた。


 やはり私はベリー売りなので、ベリーで解決する手段しか思い浮かばない。貢物でもしてみるとか。

 私の頭に入っている限りのベリーの知識によれば、グリズリーが好むベリーは有名なもので三種類。一つ目は人々が気軽に消費するエナジーベリー、二つ目は代替肉として人工栽培されているブラッドベリー、そして三つめはサーモンベリーという少し珍しいベリーだ。

 サーモンベリーは味は名前の通り、鮭の身のようで、見た目はイクラのようでもある。古い時代の神話によれば、サーモンベリーを巡ってシュシュとグリズリーが争ったという話もあるらしく、また、シュシュの語り継いできた神話の中でも、サーモンベリーを称える話がいくつも出てくる。

 それほどまでに有名かつクマ族に需要のある高価なベリーなわけだが、そのせいで乱獲された時代もあり、タイトルページ周辺ではあまり取れなくなってしまった。今では確か西方の町ウィルオウィスプ周辺の川などで──。


「おい、ラズ、おい、お客さんだぞ!」


 クランの吠えるような声でふと我に返った。

 気づけば、店の前に絵本作家のバーナードが座っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る