2章 シュシュとグリズリー

第5話 行方不明のベリー売り

 翌日、オズボーン市場長が誰かと深刻そうな顔で会話をしているのを見かけたのは、店に残された買い物客の忘れ物を届けようとしていた時の事だった。

 ベリー市の隅っこで話しているその姿は、見るからに話しかけづらい雰囲気を醸し出している。ただ、その相手にも見覚えがあったので、私はついつい近寄ってしまった。会話の相手は制服ながらにオシャレなメガネとまつげを髪型のクマ族女性。間違いない。タイトルページの役場のベリー課の職員であるウルスラだった。


「あの……何かあったの?」


 声をかけるべきか迷っているうちに、隣にいたブルーが問いかけた。彼の声で二人は私たちの存在に気づいたらしく、驚いたような目をして振り返った。

 人間とはいえ、大柄なクマ族の男女に一斉に見つめられると緊張感が増す。しかし、すぐにオズボーンが私の持っている忘れ物に気づき、我に返った。


「おお、すまないね、ラズ君。忘れ物を届けに来たのだろう?」

「え、ええ。でも、お邪魔でしたら後にします」

「いいの。ちょうどだし、私が預かりましょう」


 ウルスラはそう言って、ネイルの整った手を伸ばしてきた。緊張が顔に出ないよう必死に隠し、しっかりと手渡ししたところで、ブルーが再び訊ねた。


「……それで、何があったの?」


 気になるところだが、果たして聞いていいことなのだろうか。

 だが、それとなく声をかけてブルーと共に立ち去ろうかと思った矢先、オズボーンが頭を掻きながら小声で教えてくれた。


「実はね、昨晩からこの町のベリー売りが一人帰ってきていないらしいんだ」

「え?」


 思わぬ情報に問い返すと、ウルスラもまた表情を曇らせた。


「いなくなったのは私の従弟のビヨンよ。あなたと同じブロンズ級のベリー売りで、昨日はタイトルページの町はずれの山中にあるベリー畑に収集に行ったそうなの。それから戻ってきていないって連絡が来て、すぐに捜索隊を送ったんだけど……」

「ビヨン君の捜索に向かった隊員たちが、グリズリーの集団に阻まれて追い返されてきたのだ。ラズ君も分かっていると思うが、町はずれの山中はグリズリーたちのテリトリーだ。ビヨン君を見殺しにするわけにはいかないが、グリズリーたちは厄介でね……」


 そう言ってオズボーンは苛立ち気味に頭を掻いた。


「いま、グリズリー対策に必要な武器やベリーを手配しているところなんだよ」

「……そうですか。無事に見つかるといいですね」


 グリズリーとは厄介な話だ。それも、ベリー畑の周辺だなんて。

 一応、ベリーの貯えはあるけれど、ベリー売りにとって採集は必要不可欠でもある。危険を承知でいつかは行かなくてはいけない場所に違いなかった。


「グリズリーとのことはなるべく穏便に解決してほしいところだけれど……ああ、でも、いなくなったビヨンの事を思うと早くどうにかしてほしいのも本音なの。おかげで仕事もままならなくて……」


 そう嘆くウルスラの声は、潜められてはいても悲痛なものだった。

 その後、彼らと別れて店に戻る間も、私の心はざわついていた。

 ベリー売りがいなくなった。それも同じブロンズ級のクマ族男性が採集に行ったまま。その捜索をグリズリーたちが阻んでいる。

 いなくなったビヨンは今頃どうしているのだろう。生きているだろうか。生きていて欲しい。話したことはないにせよ、同じベリー市で店を出しているはずの彼だ。すれ違ったことくらいあるだろう。

 昨日の朝までは、私たちと同じように何気ないベリー売りとしての日常を過ごしていたはずなのだ。そう思うと心がずっしり重たくなってしまったのだ。


「グリズリーかぁ……」


 店に戻ってからクランにその話をすると、彼は頬杖を突いたままそう呟いた。憂鬱そうな横顔を見ていると、私もまた憂鬱な気持ちになる。

 全てのグリズリーが悪だとは思わない。その血を継いでいるという絵本作家のバーナードだって善良という言葉の代表にあげてもいいくらい優しい人だ。

 それでも、やっぱりグリズリーという存在は怖かった。なぜならグリズリーは、私たちの父ローガンの命を奪った生き物だからだ。


「厄介な話だな。その人命救助はプロに任せるとして、採集の方は俺だって行けるときに行きたいんだが、グリズリーとのトラブル付きってなると避けておくしかあるまい」

「そうね。解決するまではその方がいいわね」


 でも、気が滅入るのは予想できるその解決法のことだ。オズボーンはグリズリー対策に必要なものは武器やベリーと言っていた。それはつまり対話による解決は難しいと考えてのことだろう。

 何なら初めから対話による解決なんて想定していない、なんてこともあり得る。同じクマの姿をしていても、人間と人間でないものたちが分かり合うというのはそれだけ難しいことなのかもしれない。

 とはいえ、複雑な気持ちではある。グリズリーたちも何故、立ち入ることを許してくれないのだろう。人命救助だと伝えても、駄目なのだろうか。


「ねえ、ラズ」


 考え込んでいると、ブルーがふと横から声をかけてきた。


「どうしたの、ブルー?」

「うん、ボクちょっと不思議なんだ。どうして、この町のクマ族の人たちとグリズリーの話し合いがうまくいかないんだろうって。だって、どっちも同じクマのはずでしょう。バーナードさんはお祖父ちゃんがグリズリーだったよね。クマ族のお祖母さんと幸せに暮らしていたって。それなら、クマ族とグリズリーは分かりあえるんじゃないのかな」


 純粋に首をかしげるブルーを見ていると、何故だか私の心が痛んだ。

 彼もまた、言葉を話すオオカミ──マヒンガとして怖がられる対象だ。人間のオオカミ族とは違って、異質な存在である。

 ブルーに関しては役場で正式に犬として登録し、鑑札がついているからこそ、堂々としていられるわけであって、初めから受け入れてもらえているわけではない。

 そんな彼の純粋な言葉は、聞いていて切なくなってしまう。


「そうよね……」


 市場を行きかう人々を眺めながら、私もまた呟いた。


「どうしてうまくいかないんだろう」

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