かげふみ

 かげふみはある日とつぜんはじまり、それからずっとつづいていて、この世界のひとはもう残りわずかだった。鬼は目に見えないけれど影を持ち、横断歩道の向こうの黒い染みや、地面に落ちた街灯の光のかたちでそこにいるとわかる。ひとの数と反比例して影の数は増えていて、きっと影を踏まれたひとは透きとおって鬼になるのだろうと思う。

 わたしは生まれつき透過率が高く、鬼とおなじで目に見えないが、鬼と異なり影もできない。そのおかげでというべきか、そのせいでというべきか、影を踏まれる心配がなかった。

 一方れねのからだは光を通さず、明るい場所ではかならず影があらわれた。それがどれだけ危険なことか彼女はわかっていなかった。わたしと出会うまでよく無事でいられたものだと思ったが、どうやら光のアレルギーがあり、ふだんからひなたを避けて生活していたらしい。身長はわたしの腰までしかなく、たずねるたび三歳になったり四歳になったりした。

 このゲームにはいくつかルールがあり、たとえばひとはものの影にじぶんの影をかくすことができるが、ひとつの影にかくれつづけることはできない。だからわたしたちは昼に屋内で休み、夜に移動する。遠くの街灯や誘導灯をたよりに歩き、ついでにスーパーマーケットでたべものをみつくろったり、公園でブランコを漕いだりする。不自由な生活だがれねはおとなしくわたしと手をつないで文句もわがままも言わない。全身がバターと砂糖でできていそうなもろくやわらかなこどもが、これほどおりこうにしていられるものなのだろうかとふしぎに思う。

 朝が近づくとわたしたちは近くのたてものに入る。できればおさないこどものいた一軒家がよい。わたしはれねがおもちゃで遊んでいるあいだに家中の窓の位置やカーテンのぶあつさをたしかめ、いちばん陰になる場所へふとんを移動させる。そしてカーテンがうっすらと発光し、朝日がもやのようにこぼれだした頃、わたしたちは抱きあってねむる。

 目を閉じていると、やがてれねの寝息にまぎれべつの息づかいが聞こえてくる。それらはすこしずつ増え、おだやかな静寂を塗りつぶしてゆく。うすく目をひらくと部屋はぼんやり闇につつまれていて、けれどその暗がりがときどき揺らぐので、わたしたちをかこむすべてがかれらの影だとわかってしまう。

 ひととおなじように鬼にもルールがあるようで、かれらは照明のスイッチを押したり、わたしたちのからだに触れたりはしない。気配のあるほうに手を伸ばすと磁極がおなじであるかのように離れてゆく。かれらにはわたしが見えているのだろうか。そうでないなら文字どおり影もかたちもないわたしをいったいなにでとらえているのだろう。

 部屋がすこしずつ明るんでゆく。わたしはれねのあたまのてっぺんまですっぽりふとんをかぶせたあと、ふりそそぐ視線をからだのふかいところで受けとめ、まぶたを下ろす。



2023.11

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢が墜つ 花村渺 @hnmr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ