ぼくのしごとはお姉さまの櫛だ。文字どおりぼくじしんが櫛であり、それも手でなく歯を使う。ぼくはひどい乱杭歯で、すべての歯が思い思いの場所からかさなりあって生えている。そうして生まれた歯列のすきまに髪を通して梳かすのだ。

 小学生の頃はみんなもおなじ歯をしていると思っていたが、あるときクラスメイトに指摘されじぶんだけがおかしいのだと気がついた。それからずっとコンプレックスで、しかし家があまり裕福でないため治療を受けることができず、高校生になると一刻もはやく治すため実入りのよいアルバイトをさがした。そこで出会ったのがこのしごとで、お姉さまだった。

「歯を覆うエナメル質の主成分には髪を保護して汚れを除去する効果があるの。いろいろなオイルやクリームを試して、歯がもっとも適切だとわかったのよ」

 お姉さまはぼくの雇い主で、首のたるみを見るとぼくよりずっと年上なのだろうと思う。けれど頬はつやつやと光り、しわのある目もいたずらっぽい半月のかたちで、小説に登場する少女のような愛らしさがあった。

「もちろんスキンケアはたいせつよ。洗顔料も化粧水も乳液も、じぶんにいちばん合うものをそろえているわ。けれどなにより重要なのは髪。髪がみすぼらしかったらぜんぶだいなしなの」

 鏡と見つめあっていた彼女がほんのすこし首をひねり、ぼくにささやく。

「あなたのおかげよ。いつもありがとう」

 あたまの角度が変わり、うしろの窓がちらりと映る。すきまなく閉ざされた花柄のカーテンは織目に夜がにじんでいる。彼女がはじめてぼくに触れたのも夜だった。髪の手入れは七時と二十時におこなわれ、学校やほかの用事に急かされていないぶん、夜は朝以上にていねいな作業が求められる。そのときもすでに三十分を越えていた。

「あなたはたしか、歯を治したいのだったわね」

 ぼくは歯にくぐらせていた髪を毛さきまで通してからこたえた。

「はい」

「残念だわ。こんなになかよくなったのに」

 乱杭歯を治せば櫛としてはたらくことはできない。お姉さまはおもむろに手を上げ、鏡を向いたままぼくの口もとにそえた。

「あなたのちいさな顎。まるで女の子のようね」

 ほそいゆびがくちびるにさしこまれ、求められるまま口をひらく。可憐な顔のとなりに乱れた歯列が映る。あまりのみにくさに見ていられず、ぼくは目を伏せた。

「ひどいかたちでしょう。気分が悪くなりませんか」

「そんなことないわ。フリルのギャザーみたいでかわいらしいじゃない」

 ほほえむ彼女の歯はあかいくちびるの内側に行儀よくおさまっている。ぼくは髪にそうするようにゆびから唾液を遠ざけた。

 お金がじゅうぶんに貯まり、しごとをやめると告げたのも夜だった。玄関で靴を履いているときに背後からあたまを殴られぼくは死んだ。気がつくと手斧を持ったお姉さまがぼくのからだをぶつ切りにしていて、ぼくはじぶんが頭部だけになったことを知った。そしてぼくはぼくの意思とは無関係に櫛をつづけることとなった。

 ぼくのあたまをかかえお姉さまの髪を梳かす少女と鏡のなかで目が合う。少女はぎくりと肩をこわばらせ、すばやく顔をそらす。口のすきまから見える八重歯で彼女もぼくとおなじであるとわかる。

 歯のエナメル質は数十年まえの遺骨にも残っているそうだ。なにごともなければぼくはお姉さまが死ぬまで櫛をつとめることになる。もし歯が折れたり欠けたりして使えなくなったとしても問題はない。櫛はじぶんからやってきて、お姉さまの髪をいつまでもうつくしく保つことだろう。



2023.8

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