第31-2話 金のなさそうな将軍



 「将軍、将軍」

 翌朝、ドゼと別れ、宿舎へ帰ろうと歩いていたベリアルに、道端から物売りが声を掛けてきた。

「洗顔セットはいかが? いい品入ってます」


「女もいないのに、洗顔セットなんか……」


 言いながらも、ベリアルは物売りに近づいていった。現地人の女性を口説く場合も、エチケットは大切だ。軍の中でも、たとえば、ムヌ将軍は、現地の女性と結婚するらしい。


 「ほら。このブラシは馬のたてがみでできてますぜ? こっちのコップは銀だ」

「……随分高級なものを扱ってるじゃないか」


 盗品を疑われたと思ったのだろう。物売りは躍起になった。


「これは、フランス軍お国の将校から金を出して買ったものです。なんでも、手元不如意だとか。ほら、同じものがいくつもあるでしょ?」


 ますます怪しい。


「どの将軍から買った?」

「いかにも金のなさそうな地味なお人でしたよ。軍服を着てなかったら、将校だとわからなかったくらいだ。でも、ほら、派手な3色の羽飾りをつけた帽子を被っていたから……」


 ……金がなさそう? 地味な?

 嫌な予感がした。


「黒っぽい長い髪を、薄汚れた水色の紐で束ねた……そうそう、両方の頬に傷がありました」


 ドゼ将軍だ!

 ベリアルは頭を抱えた。


 ここにあるのは、誰に貰ったのか知らないが、彼が貰った贈り物だ。これを売った金で、ドゼはダヴーに馬を買うよう命じたのだ。


 ……ドゼ将軍ったら、こんな道端の物売りにまで、足元を見られてるよ。


 その時、鋭い目線を感じた。

「あんた、ベリアル将軍かね」

横柄な口調で話しかけてきた男がいる。物売りと違って、フランス人だ。


「そうだが……」

ベリアルが頷くと、男はいきなり、目の前を指し示した。

「そこに立つがいい」

「え?」

「俺の名は、アンドレ・デュテルトルAndré Dutertre、画家だ。俺は、ボナパルト将軍の東方遠征に参加した全将軍のスケッチを残すことにした。あんたはファユームに遠征に出ていて、なかなか捕まえることができなかった。だが、ここで会ったが百年目、是が非でも、スケッチさせてもらう」

「スケッチですか?」


あまりの剣幕に、ベリアルは目を白黒させた。


「そうだ。軍人などというものは、いつ死ぬかわからないからな。生きているうちに、描いてしまわねばならない。さあ、そこでポーズを取って」


 そこと言われても、何もない砂地である。絵のモデルになるのだって、ベリアルには初めての経験だ。


「ドゼ将軍がカイロに来ているのですが、彼の絵は、もう描いたんですか?」

 ベリアルが問うと、デュテルトルは鼻で笑った。

「あの将軍こそ、すぐにでも死にかねないからな。カイロに着いたその日にモデルになってもらった」


「ドゼ将軍を描いたんだって!?」

 黄色い声が飛んできた。先に帰った筈のダヴーがすっ飛んできた。

「なら、俺も! 俺を先に描いてくれ!」

「あんたはいつだっていいだろ、ダヴー准将」

呆れたように画家が首を横に振る。

「いや、俺は、ドゼ将軍の上エジプト遠征に同行するのだ。いつ死ぬかわからないぞ。さ、画家先生。俺を描いてくれ」


駄々っ子のように、ダヴーが足を踏み鳴らしている。


「上エジプトへ行くのか?」

「そうだ」

「ドゼ将軍が、マムルークのムラド・ベイを追って上エジプトへ行くのは聞いていたが、ダヴー准将、あんたも行くのか?」

「他ならぬドゼ将軍の指名だ」


 得意そうにダヴーはそっくり返った。


「そういうことなら……」

画家はスケッチブックを広げた。

「待て。おい、先生。ドゼ将軍はどういうポーズを取った?」

ダヴーが尋ねる。画家は目を眇めた。

「あの将軍は、どうも腹具合が悪かったようだな。少し猫背気味で、右手を帯の間に入れて……」

「俺の軍服には帯がない!」


絶望的にダヴーが喚く。画家は呆れたようだ。


「なら、服の合わせ目に入れればいい」

「なるほど。で、左手は?」

「左手には剣を下げていた」

「剣ならあるぞ」


得意げにダヴーは剣を左手で持った。


「あの将軍はもっと控えめに下げていたがな。後ろに引いて、殆ど見えないくらいに」

「こうか?」

「あんたに控えめは無理だろ」

画家が言い、何を思ったか、ダヴーは胸を張った。

「さあ、描いてくれ。ドゼ将軍と同じ風にな」


 スケッチはあっという間に描き終わった。


「さあ、次」

「次?」

「あんただよ、ベリアル将軍」

「いや、俺は……」


 なんだか妙に気恥ずかしい。絵のモデルになるなんて。故郷の家族が聞いたら何と言うだろう……。

 ためらっていると、画家は露骨に苛立った。


「私は忙しいんだ。まだ描いてない将軍がたくさんいる。なんならこれからベニ・スエフまで行って、ドンゼロット参謀長やフリアン准将も描いてこなくちゃならんのだ」

「そっ、それは、彼らが死ぬ前にってことですか?」


思わずベリアルは尋ねた。大きく画家が頷く。


「その通り。わかったら、さっさとポーズを取る!」

 思わずベリアルは直立した。画家がスケッチブックのページをめくる。


「あの、画家の先生」

「なんだね」

「もう描き始めてしまいましたか?」

「まだだ」

「俺もドゼ将軍と同じ格好をしたいのですが」


 「右手を帯の中だ。左手には剣を!」

 ダヴーが寄ってきて、ベリアルのポーズを整えてくれた。








 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


アンドレ・デュテルトルのスケッチは、ルーブル美術館に所蔵されていて、webで見ることができ、ダウンロードもできます。


ドゼ

https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl020212266


ダヴー

https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl020212265


ベリアル

https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl020212263


微妙に向きが違うのですが、3人とも同じ格好をしていて、なんだか笑えます。



ブログにまとめました

「デュテルトルのスケッチ」

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-338.html

(2023.10.20 公開予定)






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