第32話 シリアへ向けて


 ダヴーも惜しくない、とボナパルトは思った。ドゼの紹介で、彼を遠征軍に入れた。ドゼが随分と買っているようなので、彼と引き離し、マルセイユから出港させた。エジプトに上陸してからは、カイロに留めて、様子を見た。

 正直、この男のどこがいいのか、わからない。赤痢に罹ったとかでカイロ騒乱の時も役に立たなかったし、直属の上官デュギュア将軍もそれほど彼を買っていないようだ。

 それでも、ドゼに返すのは癪に障る。


 ダヴーを返して欲しいと、ドゼはしぶとかった。彼が欲しいのはダヴーではなく、ダヴーが集めた馬ではないかとボナパルトは勘ぐったが、どうやらそういうわけでもないらしい。他の騎兵将校では駄目だという。

 最初からの約束だから、ボナパルトも諦めるしかなかった。


 但し、ダヴーの管理下にあった旧ミルー軍は手元に残した。もっとも、歩兵なんて、いつだって補給できる。足りなければ現地人を採用すればいいのだ。元ミルー軍の兵士らがドゼに懐いているのが気に喰わなかっただけだ。ほんの子どもの少年兵さえ、熱狂的にドゼを慕っているのが、癪に触ってたまらない。


 そういえば、ミルーの墓を掘っている連中の中に、あの少年もいたではないか。ボナパルトに向かい、ドゼの下にいたいから命令に従わない、と叫んだ少年だ。


 ボナパルトがミルーの埋葬に顔を出したのは、その場にドゼがいるかどうか確かめたかったからだ。ダマンフールの軍議でミルーが楯突いてきたのは、ドゼの入れ知恵かどうか知りたかった。

 また、ベリアルが、ドゼと共にいるかどうかも、是非、確認しておきたかった。

 兵士たちに人気があり、敵でさえ丸め込んでしまうドゼ。そんな男と、アルコレで自分を助けてくれた将校ベリアルが手を結ぶのは、耐え難かった。二人揃って自分を離れていく日が来るかもしれない。それが、耐え難い。


 幸い、できたばかりのミルーの墓にドゼはおらず、ベリアルもドゼと結んでいる様子はなかった。


 ベリアルをドゼ師団においておくのはいやだった。それで、早々に自分の手元に召喚した。彼の誠実さを見込みカイロ守将を打診したのだが、ベリアルはこれを断った。自分は砂漠を駆け回っている方が性に合っているという。

 ベリアルは、自分からドゼを選んだのだから、仕方がない。

 ボナパルトは諦めた。そのくらいの技量はあるつもりだ。



 ボナパルトはうんざりしていた。太陽と砂漠ばかりのこの国に。早々にフランスへ帰りたかった。


 砂漠へ追いやったマムルークは、いつまた力を蓄えて戻ってくるかわからず、カイロの反乱の芽は、未だ摘み取られていない。軍の中には、デュマや死んだミルーのように、ボナパルトを声高に非難する者も増えてきた。


 補給が来ない。兵士に給料が払えない。

 あちこちの駐屯軍から苦情が来る。温厚なドゼでさえ、自軍の維持の為、強硬な手段に出た。わざわざカイロまで来て、ほぼ強奪のように、ボナパルトから補給を奪い取っていった。


 だが、彼らにだって見えているはずだ。ここ、エジプトの貧しさが。この乾いた大地のどこから、物資を搾り取ればよいのだ?


 ボナパルトは、トゥーロンとイタリアの他、戦地を知らなかった。

 トゥーロンで指揮を執ったのは戦闘の途中からだった。その頃、リヨン蜂起軍が陥落したことにより、トゥーロンには大幅な人員増加と補給があった。

 そして、イタリアは豊かな国だった。略奪し放題だった。


 翻って、この乾いた砂の国、惨めで貧しい、不衛生な民から、何をどう、搾取できるというのか。


 そもそもボナパルトは、現地調達を旨としている。それが、この乾いた大地からは全く見込めないというのが、彼の大きな誤算だった。



 ボナパルトが最も信頼している参謀のベルティエさえ、このところ情緒不安定だ。フランス人らしく、彼は愛のホームシックに罹っていていた。


 イタリアに残してきたヴィスコンティ夫人に恋い焦がれるあまり、ベルティエはテントに怪しげな祭壇を創り、香を焚きしめる始末だ。ボナパルトがうっかりブーツを脱がないまま、彼のソファーに座ったら、夫人を冒涜するのかと、真顔で叱られた。


 ボナパルトの参謀ベルティエは、どうやら、精神的にかなり参っているらしい。仕方がないから、帰国を許可した。もうすぐベルティエはアレクサンドリアへ向かい、そこからフランスへ向けて出港する予定だ。


 既に、弟ルイを、祖国に帰らせている(*)。名目は、マムルークから奪った旗を政府に献上する、という名目だ。弟には、故郷コルシカ経由で帰るよう、厳命してある。


 帰国の際には、検疫が必要になる。ボナパルトは自らの帰国の際は、スムーズな上陸を望んでいた。コルシカは、故郷の英雄に対してなら、検疫は行われないのではないか。それを確かめて来いと命じたのだ。


 地中海をイギリス海軍に封鎖され、祖国の情報は入ってこない。トルコとイギリスが手を結んだ今、世界の情勢はどう変わってしまうのだろう。豊かなイタリアを奪われたオーストリアは、遠征軍の出航当時のままでおとなしくしているのだろうか。北のロシアの出方も気になる。


 状況によっては、このままでは灼熱のエジプトに置き去りにされかねない。諸外国により革命政府が倒されたらどうなるというのだ? 冗談ではない。何が何でも、祖国に帰らなければ。


 だが、デュマや死んだミルーの言ったように、また、ミュラやランヌ、その他、名もない兵士たちが疑っているように、これが、無駄な遠征、ボナパルトの虚栄心から発した浪費だと決めつけられるわけにはいかない。


 勝利が必要だった。


 すでに、エンババの戦いピラミッドの戦いで勝利した。アレキサンドリアに続き、首都カイロも陥落させた。けれど、アブキール海戦ナイル河口の戦いでは、イギリス艦隊に完膚なきまでに叩きのめされてしまった。

 勝利が足りない。祖国へ持ち帰る勝利が、絶対的に足りていない。


 そんな折、イギリスの戦艦がエジプトの海域をうろちょろしだした。シドニー・スミス……タンプル塔の牢獄から脱獄した海軍将校が、率いているという。

 彼の脱獄は、ボナパルトの遠征軍が出港準備をしていた時だった(1798.4.24)。脱獄の手引きをしたのが、フェリポーだ。彼は、パリの士官学校時代のボナパルトの学友で、ボナパルトと違い、王に従い国を出た。彼は、亡命貴族だ。学生時代、ボナパルトはフェリポーに、どうしても勝てなかった。


 そのシドニー・スミスとフェリポーが、トルコ側の味方として、ボナパルトに挑んでいた。


 実際、彼らを打ち負かさなければ、本国へ帰る道はない。地中海は、イギリス海軍により、封鎖されているからだ。


 ボナパルトは、シリア遠征を決意した。


 ドゼによると、少人数であってもマムルークの大軍に勝てるという。未開の彼らは、大砲を持ってはいてもひどく旧式で、フランスの最新鋭の大砲の威力に驚愕し潰走していくという。


 カイロ蜂起の時もそうだった。予め城壁に備え付けてあった大砲に榴弾砲と追撃砲まで加えた砲撃に、叛徒は恐慌を来たし、あっけなく降参した。


 トルコ軍も似たようなものだろう。

 ただ、シリアとロードス島に集結中の皇帝軍は要注意だった。これが調わないうちに、ことを進めるに限る。


 手っ取り早くトルコを叩き、あわよくばその戦艦を乗っ取って祖国に凱旋しようと、ボナパルトは目論んだ。





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* 弟ルイを、祖国に帰らせている

1898年11月。エジプトへ上陸して約5ヶ月後のことです

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