第76話 ブデ第9軽旅団


 突撃の準備が整った。一列に並んだブデ師団の後ろで、午前中に潰されたヴィクトル師団、シャンバルラックChambarlhac師団、ガルダンヌ師団の生き残りが合わさり、再編成が始まった。同じく最右翼では、モニエ師団、親衛隊、ランヌ軍が再編されている。


 「第二旅団にお戻りなさい、ブデ将軍。最前衛の歩兵部隊第9軽旅団は私が面倒みるから」


 風に乗ってドゼの声が流れてくる。


「とんでもない! これは私の軍です。私は最後まで最前線の兵士らと共に戦います!」

強く拒むブデ師団長の声。


「お気持ちはわかります。ですが、私を信じて、」


 言い争いはなおも続いたが、まもなくブデは第9軽旅団をドゼに託し、混成2個旅団を率いて傾斜した陣形の右側へ退いた。

 ドゼの補佐には、エジプトから連れ帰った副官サヴァリと、ボナパルトが貸し与えた補佐官2名だけが残った。



 マルモンの砲撃が始まった。


 「突撃!」

ドゼが叫ぶ。けれど、叫んだだけだ。軍は一歩も前進しない。


 歩兵たちの間から、一斉に雄叫びが上がった。銃剣を打ち鳴らし、兵士たちは、能うる限りの存在感を誇示した。すべては、砲火の下、ブデ第9軽旅団が煙と硝煙に隠されている時間にかかっている。彼らの背後に隠された軍、午前中の戦いで潰走させられた軍が、どこまで再編できるか……。


 マルモンは、この時点で、10門しか大砲を持っていなかった。壊滅したヴィクトルがかろうじて持ち帰った5門と、予備軍が持っていた5門だ。これにドゼは、自分がブデ師団と共に持ち帰った大砲8門を貸し与えた。それでも、合計18門しかない。その上、火薬、砲弾ともに圧倒的に不足している。


 途絶えがちだったマルモンの砲撃が、とうとう止んだ。厚く垂れこめた煙幕が次第に晴れていく。


 オーストリア軍は見た。硝煙の下から現れた部隊を。号令と叫び声、武器の打ち合わされる猛々しい音……。だが、その正体は 驚く程少数の歩兵の集団、ブデ第9軽旅団だった。


 彼らは、ブドウ畑にいた。オーストリア軍との間には、トウモロコシ畑が広がっている。その間、わずか100歩ほど。



 「状況は分かっているな、サヴァリ。もう待てない。軍の再編はまだか。攻撃の先延ばしはこちらが不利になるだけだ。遅れると叩かれる。叩かれても構わない! だが、くそ、サヴァリ、君、総司令官殿の所に行って、側面攻撃を急ぐように言ってくれ」


 ドゼの声を背に受け、副官サヴァリが大急ぎで走り去っていった。サヴァリは、エジプトからついてきた忠実な部下だ。もう一人の副官ラップは、病で戦場に出ていない。これでもう、エジプトから連れて来たドゼの部下は一人もいなくなった。


 「突撃!」

今度こそ、本当の突撃命令だ。


 忠実な副官サヴァリを送り出したドゼは、馬に乗って軍の中をせわしなく行き来し始めた。麾下の兵士らを、敵に飛び掛かるよう駆り立てているのだ。


 遠くで、オーストリアの大砲が火を噴くのが見えた。どおんという腹に響く音が轟く。空気の振動が治まらぬうちに、軍楽隊のトランペットの音が、一際高らかに響き渡った。オーストリア軍出撃の号令だ。一糸乱れぬ擲弾兵らが、ブドウ畑に隠れたフランス軍に向かって突撃してきた。彼らの合間を縫って、騎兵フッサールが襲いかかってくる。


 軍の先頭に位置するブデ第9軽旅団に向けて、オーストリア軍はまっすぐに連射を浴びせてた。刈り込まれるように、前列の兵士から順に倒れていく。


 第9軽旅団がいるブドウ畑には、太く固い蔓が、あちこちにはびこっていた。すぐにそれらはドゼを、ルブランとルフェーブル、ボナパルトが貸し与えた二人の補佐官達からも隔ててしまった。


 フランス側の貧弱な砲撃と歩兵突撃に対し、オーストリア軍の攻撃は、圧倒的に有利だった。銃弾や火薬など、物資も豊富だった。


 ……ドゼを予備軍から離すな。


 ボナパルトの密命を守る為に、補佐官たちが何かする必要などなかった。ドゼは第9軽旅団、即ち歩兵部隊のそばを離れなかった。そこが一番、危険だったから。


 彼は常に、軍の中で一番危険な場所にいる。


 ドゼに鼓舞され、歩兵たちは、銃剣を振りかざし、迫りくるオーストリア軍に立ち向かっていく。騎兵に歩兵、砲撃にサーベル。絶望的な戦いが繰り広げられた。


 彼らの先頭に、オーストリアの砲弾が着弾した。まるで雷が落ちたような光と地響きが鳴り響いた。続いて竜騎兵の砲火が降ってきた。ブデ師団の突撃は、いたるところで打ち崩されていく。それでも歩兵たちは前を向いて走る。口々に何事かを叫び、生垣をウサギのように飛び越え、ハンガリーオーストリアの擲弾兵を急襲した。

 正規軍の一刻も早い再編を祈りながら。



 予備隊からブデ師団に編入されたジャンは、第9軽旅団の後方にいた。


「ひるむな。行けーーーっ!」


 ドゼが叫ぶ。巧みに馬を操り、歩兵の列に襲い掛かって来た敵の騎兵をサーベルで打ち落とした。とどめを刺すことはせず、すぐに別の騎兵めがけて馬を走らせる。


 彼は必死で、歩兵たちを守ろうとしていた。ブデ将軍から預かった大切な兵士らを。


 砲撃に負けないほどの歩兵たちの雄叫びが轟いた。


 ……騙されないぞ。

 ジャンはゆっくりと銃口を持ちあげた。

 ……あいつが求めているのは、ただ、栄光だけだ。自分の上に輝く栄光だけなのだ。


 アンリを手放し、死なせたドゼ。軍をエジプトに置き去りにして、平然と帰国したドゼ。栄光とやらを求めてボナパルトに尻尾を振り、訳の分からぬ理想の為に、今まさにブデ師団を道連れにしようとしている……。


 許せなかった。


 すぐそばの草むらに、砲弾が炸裂した。

 自分にとってもここは死地だという自覚が、ジャンにはあった。


 馬の蹄の音が間近で聞こえた。ドゼが、旅団の後方へやって来た。着弾した地面を調べ、怪我人がいないことを確認している。


 前に会った時と比べ、彼は焦げたように日に焼け、ひどく痩せていた。ボナパルトに殆ど変化がなかったのと対照的だ。最後尾までの無事を見届けると、彼はくるりと馬の向きを変え、背を向けた。濃い色の髪だけが、相変わらず艶やかだった。その髪を、彼は未だに水色のリボンで束ねていた。2年ぶりに見たそれは、すっかり薄汚れてしまっていた。


 この機をジャンは逃さなかった。

 彼は銃の引き金をひいた。


 背後から発射された銃弾は、地味で目立たない将軍、しかし戦地においては、巨人のごとく聳え立つ軍神の、左胸を横切り、心臓を細かく砕いてから、右肩へ向けて貫通した。

 ライン軍の勇敢で高潔な将軍、そして上エジプトの覇者でもあった男は、静かに馬から崩れ落ちた。



 ブデ師団が大きな犠牲を払った突撃により、オーストリア軍の布陣に、僅かな揺らぎができた。左翼にいたケレルマンの残存部隊が、そのわずかな揺らぎに切り込んでいった。

 ケレルマン部隊は、敵軍側部を攻撃、分断に成功、これが、マレンゴでのフランス軍勝利に繋がった。






 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

馬から落ちたドゼを、ルブラン(ボナパルトが貸し与えた副官)が抱き留め、彼はルブランの腕の中で死んだとされています。その際、「Mort....」と言ったとか。この場面は、絵画になって残されています。

絵はこちらにあげておきました

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330661222617668


しかし、ボナパルトの個人秘書を務めていたブーリエンヌはそうではないと言っています。実際、心臓を砕かれたら即死だったでしょう。


戦いが済んで、ボナパルトの元に遣わされたサヴァリが探しにくるまで、ドゼの遺体はそのまま放置され、戦場の追剥ぎに衣服から何から剥ぎ取られていました。亡くなった時にルブランがそばにいたなら、いくら戦場が混沌としていたとしても、このような惨状にはさせなかったでしょう。


サヴァリは、ドゼの死骸は、最後に彼が別れた場所のすぐそばにあったといいます。やはりルブランとルフェーブルは戦いの初期にドゼとはぐれ、すぐにドゼは銃で撃たれて即死、そのままになっていたのだと思います。


上記の、馬から落ちるドゼをルブランが抱き留める絵ですが、これは、第三執政(ボナパルトが第一執政、第二執政はカンバセレス)である彼の父が画家に依頼して描かせたといいます。第一執政の、息子に対する覚えをめでたくしたいという親心か、あるいは、第一執政の命令にうまく添えなかった息子を庇おうとしたものか。その場合は、どのような密命がボナパルトから副官たちに下されていたのか、興味深いところです。


(少し付け足してよろしいでしょうか。弾は心臓を砕いて肩から抜けていました。これは低い位置からの発砲を意味しています。ルグランとルフェーブルは馬に乗っていたでしょうから、には当てはまらないと思います。)


いずれにしろ、誰も知らないところで静かに死んだ、というのが、最もドゼにふさわしい最期だと、私は思います。




マレンゴの後、ボナパルトがドゼに貸し与えた二人の副官、ルブランとルフェーブルは出世しました。もちろん、マルモン、ミュラ、ランヌら、ナポレオンがエジプトから連れ帰った諸将も。


一方、ドゼに師団を貸し与えたブデとモニエは冷遇され、両者ともサン=ドマングへ遠ざけられています。にもかかわらず、二人は第一帝政に仕え続けました。

なおブデには、ワグラムの戦いで失策をし、ナポレオンに非難された結果自殺したという噂があります。




最後に出て来たケレルマンは、ジェマップの勝者ケレルマンの息子です。父のケレルマンは、ジェマップの後、イタリア軍総司令官を務めました。いわば、ボナパルトの前任者(直近ではないようですが)です。

父のケレルマンについて

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


ケレルマン(息子;以下同)の突撃はボナパルトの命令だったとサヴァリは言います。一方で、ケレルマン自身は、自発的な攻撃であったとしています。

ケレルマンは、ドゼ、また彼の率いたブデ第9軽旅団の兵士らと並ぶマレンゴの功労者ですが、この後、なぜかナポレオンに疎まれるようになります。




ドゼの副官サヴァリとラップについては、マレンゴ以降、ナポレオンに取り立てられていきます。(もう一人の副官、クレモンについては調べられませんでした)

特にサヴァリは、未だ混乱の残る戦場でドゼの遺体を探し当てたことを高く評価されボナパルトの副官に取り立てられました。その後、特別憲兵隊の司令官として秘密警察を任され、最終的にフーシェの後釜として警察大臣まで務めます。(いずれブログに詳述します;2023.8.26~ 公開予定)

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-322.html ~




マレンゴについて、せりももには、以下の小説・ブログ記事があります


・「三帝激突」36話「マレンゴの戦い」

https://novel.daysneo.com/works/episode/af5ff6bca96b7d8bb458ef0f36b734f1.html


・ブログ「マレンゴの日」

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-248.html


・ノベルデイズ「灼熱の愛(文字通り)」

https://novel.daysneo.com/works/da7e678799dec941648c37e868984392.html






まだ続きます。

もう少しだけ、おつき合い下さい。





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