第14話 ダマンフールの軍議


 砂漠乗オアシス、ダマンフールで、デュマが大量のスイカを手に入れた。彼は懇意にしている将校らを自分のテントに呼んだ。ランヌ、ミュラ、そしてドゼが招かれた。


 「こんななんにもないところで、俺達は何をしているんだろうな」

ランヌが嘆いた。

「パリで作らせたばかりの軍服が、あっという間に砂だらけだぜ」

ミュラが軍服をはたく。

「ボナパルト将軍は首謀者なのか、犠牲者なのか」

「は?」


デュマが言うのに、一堂、首を傾げる。


「つまりエジプト遠征は政府の命令か、ボナパルトの意向かってことさ」

「総裁政府の命令だろ、もちろん。だって俺ら、イタリアの勝者だぜ? 砂漠へ追いやられる理由が知りたいよ」

「ここにはまともな女もいないし」

「お前はそればかりだな、ミュラ」


「砂漠の苦しみとそこから齎される病気で、兵士達は疲れ切っている。カイロから先には行くべきではないと、進言した方がいいかもしれない。君はどう思う、ドゼ」

デュマはそれまで黙ってスイカを食べていたドゼに振った。

「兵士達の疲労はその通りだ。たがな、デュマ将軍。軍の指揮権はボナパルト将軍の手にある。5万の遠征軍が無事にフランスへ帰国できるか否かは、彼の統率力に掛かっている」

「正論だな」

デュマはつぶやいた。


 それは、厳しい砂漠の行軍で下から突き上げを喰らい、自身も疲れ果てた将軍らの愚痴に過ぎなかったのかもしれない。だが、ボナパルトはそうは思わなかった。

 デュマには密偵をつけてあったのだ。その密偵が、将軍らの全ての会話を聞いていた。


 ……デュマは俺への反感を煽っている。部下たちの俺への信頼をぶち壊そうとしているのだ。



 ダマンフールでは軍議が開かれた。


 ここまでの道程で、兵士たちは疲れ切っていた。それを束ねる将校達もまた、不満でいっぱいだった。

 軍議は、最初から波乱含みだった。


 「総司令官にお尋ね申し上げる。エジプト遠征は誤りだったのではないか」


 だれた空気を、鋭い声が切り裂いた。

 一瞬で、場が凍りついた。

 ミルーだった。ライン軍の為に作られた歌をマルセイユに伝え、ひいては、革命歌にまで昇格させるのに貢献した将軍だ。


「対英軍の名が示す通り、我々が目指すのは、地中海の覇権だ。それなのになぜ、このような熱く乾いた砂漠を進まねばならないのか。直ちに船に戻り、南イタリアに上陸し、半島を制覇すべきだ。そしてイギリスを地中海から追い出すのだ」


 ……この男もか。

 ベルナドットに連れられてライン方面から援軍に来た将校だ。ベルナドットは、何かと反抗的な将軍だった。(*2)

 そのベルナドットの将校だったミルーは、最初からボナパルトに批判的だったと思っていい。


 ……今の彼の上官は、


 ボナパルトは、ドゼに目を向けた。

 先頭集団として常に未知の危険に隣り合わせだった前衛軍ドゼ・レイニエ師団の不満は、想像に難くない。


 ドゼ、この男がはるばるイタリアまで自分に会いに来た時は、思いもかけない拾い物をしたような気分になったものだ。ボナパルトにとってドゼは、労せず手に入れた「親友」だった。


 とはいえ、手放しで彼を信用したわけではない。

 イタリアへ来たドゼは、モローの指令を携えていた。取るに足らない要件だったが、ボナパルトはこれを拒絶した。(*3)

 ひょっとしてドゼは、モローがボナパルトの元へ送り込んだ間諜スパイなのかもしれない。ボナパルトだって、ライン方面へ義弟(*4)を送り込んでいる。 


 ――ミルーの扇動アジテーションは、ドゼの差し金か? ドゼは、カイロから先には行かないつもりか。


 ミルーのすぐそばで、ドゼは、息を顰め、凝固したようにじっとしている。俯いているので、表情を窺うことはできない。

 すっくとボナパルトは立ち上がった。


「エジプト遠征は、総裁政府からの命令だ。我々には、それに従う義務がある」


「総裁政府の目的は、軍の実力者を遠い大陸へ追いやることだったのでは!?」

 激した叫びがミルーの口から迸った。


 これは、理由のないことではなかった。

 ボナパルトの対英軍総司令官任命は、最初から、彼をイギリス本土へ追いやる為の、総裁政府の罠だと主張する者がいた。イタリア遠征を勝利に導いて民衆の人気を獲得、さらに中央政界でも発言力を増大しつつあった若き将軍を、フランスから遠ざけることが総裁政府の真の狙いだというのだ。

 行先が、イギリス本土からエジプトに変わったところで、海を挟んだ遠い国であることに代わりはない。


 けれど、エジプト遠征は、ボナパルト自身の意志でもある。対英軍の総司令官に任命されるより早く、まだイタリアにいた頃から、彼はこの計画を温め続けていた。


 軍議に集まった諸将が顔を見合わせている。ドゼの顔色が一層どす黒くなった。彼は、最初去年の夏から、遠征計画を聞かされている

 

「今からでも遅くない。急ぎフランスへ帰り、戦略を立て直すべきだ」

断固としてミルーが主張した。


「しかしもう、エジプトに上陸しちまったからなあ。金だって随分かかっているし」

 疲れ切った将校が投げやりにつぶやく。人を集め、たくさんの戦艦を維持するだけで、とんでもなく費用が掛かっているのは事実だ。


 ミルーも負けてはいなかった。

「誤りはすぐに認めるべきだ。今なら間に合う。兵士たちは疲れ切っている。毎日大勢が暑さと渇きと絶望で死んでいる。フランスへ帰るべきだ。この上の行軍は無理だ。総司令官殿が栄誉を求めておられようとも、そんなものは、この灼熱の砂漠にはない!」


 ……誤りだと?

 ……俺が自分の栄誉の為に軍を犠牲にしているというのか!


 ボナパルトはきっとミルーを睨み据えた。

「上官に楯突くのは、軍務違反である。ミルー将軍。君から軍を取り上げる」


 言い終わると、ボナパルトはテントから出て行った。


 「総司令官に逆らうとは。君のキャリアも終わったな」

イタリア時代からボナパルトの下にいた将軍が、ミルーの肩を叩いて出て行った。気の毒そうに彼を見つめ、ミュラもランヌも退出していく。


 人々の出払ったテントに、ミルーだけが残った。いや、もう一人。ドゼがいた。


「すまなかった、ミルー将軍。君を守れなかった」

つぶやき、ドゼが項垂れた。

「だが上官への謀意は、規律の乱れへと繋がる。砂漠の真ん中で規律が崩れたら、軍はおしまいだ」


「あんたに守ってもらおうなんて思っていませんよ」

ミルーは嘯いた。彼は、直属の上官に失望していた。それをいうなら、軍の全ての将軍に絶望を抱いていた。


「ライン軍の将校は、政府から派遣された議員におとなしく拘束される。ギロチンにだって掛けられる。文句も言わずに、だ。それが美徳だと思っている」

傲然とミルーは顔を上げた。色の悪い相手の顔を睨みつけた。


「だが俺は、そうは思わない。自分の意志を持たず、唯々諾々と上の言いなりになることに、正義はあるのか。そんな指揮官に、麾下の兵士が守れるのか。革命の思想が守れるのか!」


「革命の思想……」

 ひび割れた唇から乾いた声が漏れた。傷のある顔に、なにがしかの表情が浮かぶ。けれどドゼはそれを、ぐっと抑えつけた。


「俺は政府には逆らえないのだ。わかってくれ、ミルー将軍」

「わからない。わかりたくもない」


項垂れる上官に侮蔑の籠った眼差しを投げつけ、ミルーはテントの外へ出た。








 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

*1 デュマ将軍

作家のアレクサンドル・デュマ(『モンテ・クリスト伯』を書いた方です)の父です。ブログで概略の説明があります

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-106.html



*2 ベルナドットの抗議

ボナパルトがイタリア軍の兵士らを助長するような言動をしたことに対し、ベルナドットが正式に抗議しています

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-264.html



*3 モローの指令

なかなか戦争拠出金を払おうとしないバイエルンとシュヴァーベンに対し、 イタリアの勝者ボナパルト から睨みをきかせて貰え、というもの。

ドゼから話を聞いたボナパルトは、「俺の交渉相手はドイツの領邦じゃない、オーストリアだぞ。そもそもなんでこの俺様が、モローの役に立たなきゃならないんだ?」 と言って、あっさり斥けますが、ドゼがこれらドイツの領邦の領主と話し合いができるよう、手配してくれました。

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-262.html



*4 義弟

妹ポーリーヌの最初の夫、ルクレール。ボナパルトのイタリア軍がオーストリアに勝利し、レオーベンの和約(後にカンポ・フォルミオ条約で合意)を結んだ折、停戦の知らせをライン(・モーゼル)軍に齎しました。なお彼は、エジプト遠征には参加していません。ルクレールがボナパルトの送り込んだスパイだったというのは、私の意見で定説ではありません。根拠はブログに

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-305.html







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