第9話 ライン軍の為の戦歌/ラ・マルセイエーズ


 岩のような塔が立ち並ぶ遺跡を、つんつるてんの青い外套を着た男が逍遥している。


「ドゼ将軍」

 南部なまりのある声が呼び止めた。


「ミルー将軍」(*1)


 イタリア戦の後半、サンブル=エ=ムーズ軍から引き抜かれたベルナドット師団の将軍だった。サンブル=エ=ムーズ軍は、ライン軍と隣り合って戦ってきた軍だ。ライン軍と同時期に、イタリア軍に援軍を出している。


 師団長がオーストリア大使に任命されウィーンへ行ってしまい、ベルナドット師団の多くは、ドゼの下に編入された。


「遺跡見学ですか?」

 ミルーは尋ねた。

 色の悪いドゼの顔がどす黒く濁った。どうやら赤くなったらしい。

「ボナパルト将軍の命令なのだ。俺は芸術に興味があり、つまり、敵の目を欺くため……」

「その作戦はうまくいっているようですね」


ミルーは遮った。芸術家という雰囲気では、全くない。本人も自覚しているらしく、そのあまりの挙動不審さに、いたたまれなさを感じたのだ。


「イギリス提督ヴィンセント卿(*2)は、血眼になってトゥーロンを警戒しているようですから」

「トゥーロンなら、ボナパルト将軍がうまくやってくれるだろう」


 ドゼの言葉には、ボナパルトへの深い信頼が感じられた。昨年の夏、彼がイタリアまでボナパルトへ会いに行き、即座に彼の才能を感じて下に下る決意をしたという噂は本当なのだと、ミルーは思った。


 どちらともなく、二人は並んで歩き始めた。


「先日は、ラサールが失礼しました」

「ラサール戦隊長のことか?」

「彼は私の下に配属になったのです。それが、だいぶ、不満なようでした」

「そうか」


 会話が途切れた。

 不意にドゼが立ち止った。


「これは、随分とまた、おしゃれじゃないか」

 足元の敷石を眺めている。白と黒の、モノトーンの敷石だ。


「脱衣所ですね」

「脱衣所?」

「ここは、カラカラ帝の公衆浴場の遺跡ですよ」


 ミルーが教えると、ドゼは辺りをきょろきょろ見回した。

「……風呂か」


 何を思ったか、低い声で彼は歌い始めた。


「ドゼ将軍?」

驚いてミルーが声を掛ける。


「俺は、風呂で歌うのが好きなのだ」

「その歌は……」


 ミルーは目を眇めた。


「知っているだろう? ライン軍の為の戦歌だ。俺はこの歌の初演に立ち会った」

「あなたが!」


ミルーは驚いた。


「そうだ。当時俺は、ブロイ将軍の副官だった。その歌は、彼に連れられて行ったストラスブールの市長の家で、初めて演奏されたんだ」


 ドゼは誇らしげだった。勇壮で、残虐な歌詞を口ずさんでいる。


「この歌を捧げられたリュクネル元帥は処刑されてしまった。ブロイ将軍もディートリヒ市長も」

歌い終わったドゼは、ぽつんとつぶやいた。

「歌を作った工兵のルージュは投獄され、俺も……」


 ドゼは言葉を濁した。彼はブロイ将軍をの後をついていこうとして投獄された。後年、もう一度派遣議員が拘束しに来たことがあったが、この時は、麾下の兵士たちが盾となって彼を守ったという話を、ミルーは聞いたことがある。


「その歌は、今は、ラ・マルセイエーズというんですよ。マルセイユから来た兵士たちが歌い、広げたからです」

黙っていられず、ミルーは口を出した。

「そして俺が、マルセイユで初めて、その歌を歌ったんです」


「君が!」

今度はドゼが目を丸くする番だった。


「言ってみれば、この歌を全国に広げた功労者は、俺ですね」

「しかし、俺は初演に立ち会ったのだ。この歌は、ライン軍の歌だ」


 ドゼが反撃した。子どものように口を尖らせている。ミルーも負けてはいなかった。


「今では、イタリアでも歌われています。元ベルナドット師団の兵士たちはもとより、イタリア軍の兵士たちにもね!」


「ふむ」

ドゼは唸った。

「ふうむ」(*3)


「元イタリア軍とか、元ライン軍とか……。味方同士の争いは不毛です。ベルナドット将軍は、ボナパルト将軍があからさまにイタリア軍の兵士を贔屓したことに対し、抗議したこともありました」

「そうだな。全くもって、その通りだ」


 力強くドゼは頷いた。勇を得て、かねてから疑問に思っていたことを、ミルーは聞いてみた。


「貴方は何故、ご自分の軍を連れて来なかったのですか?」

「総裁政府の命令がなかったからだよ」

あっさりとドゼが答えた。


「ですが、力のある将軍は、どこへ行くにも、自分の軍を率いていくものです」

「ボナパルト将軍の活躍で、五年も続いていた対オーストリア戦が終結したのだ。君達には悪いが、俺は、自分の兵士たちを休ませたかった」


 休ませたかった?

 稀有な言葉を聞いたと、ミルーは思った。ボナパルトは正反対だ。彼の作戦は、軍の移動の速さに全てを負っていた。そしてそれは、兵士たちを確実に疲弊させ、病気や怪我を齎した。


 さらにドゼは続けた。


「イタリアは、遠い。険しい山をいくつも越えなくてはならない。移動するだけで大仕事だ。幸い、現地での徴兵もあると聞いた。東の国境からはるばる移動させるより、その方が合理的だと思った」

「結果、貴方は、ラサール達、旧イタリア軍の将校達からコケにされているんですね?」


 意地の悪い言い方だと思ったが、口にせずにはいられなかった。


「いや? そうとばかりも限らんよ」

平然とドゼは答えた。








________________


*1 ミルー

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-186.html



*2 ヴィンセント卿

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-193.html



*3 ライン軍の為の戦歌/ラ・マルセイエーズ

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-185.html







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