第4話 ラレー医師とドゼ
◇
ドゼの案内役を、ラレーは一も二もなく引き受けた。ライン軍で苦楽を共にした二人は、固い友情で結ばれていた。
夕食がまだだというドゼを、ラレーはレストランに誘った。
すぐそばでは、オーストリア将校の一団が、賑やかに飲み食いしていた。彼らの声は、二人のテーブルまで筒抜けだった。
「ブオナパルテ? 誰だそりゃ。コルシカ人だって? コルシカっつったら、つい最近までフランスに敵対してたじゃないか。あっさり征服されたけど。ブオナパルテはコルシカ人だ。フランス人じゃない。それがフランスの英雄なんて。笑わせる」
その「ブオナパルテ」に負けてロンバルディアを失ったのが、オーストリアであるわけなのだか。
立ち上がりかけたラレーを、無言でドゼが制した。彼は冷静だった。
「じゃ、フランスに英雄はいないのかい?」
別の誰かが尋ねる。最初の男が答えた。
「俺はカール大公軍にいたのだが、ライン方面には凄い将軍がいたぞ。オッシュとかマルソーとか。癖があるけどクレベールも逸材だ」
サンブル=エ=ムーズ軍の諸将の名が挙がった。ドゼの顔に笑みが浮かぶ。
別の声が主張した。
「俺も一人、知ってるぞ。ライン軍のドゼだ。年はまだ若いけど、ドゼは、大した勇者だよ」
思わず、ラレーとドゼは顔を見合わせた。オーストリア将校はさらに続けた。
「彼はいつだって最前衛で戦っていて……あれほど豪胆な男を、俺は他に知らないね」
にやりと笑ってドゼが立ち上がった。ぎょっとしたラレーが止める暇もなく、オーストリア将校達のテーブルへ近寄っていく。
「オーストリアの勇士の皆さん。わが国の諸将を随分高く買っておられるようですね?」
……そういえばドゼはドイツ語に堪能だった。
絶望的な気持ちでラレーは考えた。貴族出身のドゼは、士官学校でラテン語の代わりにドイツ語を叩きこまれたのだ。ライン軍では、ピシュグリュやモローなど歴代の最高司令官に代わってオーストリア軍と休戦協定を結ぶのは、ドゼの役目であることが多かった。
「何かね、君は」
オーストリア将校の一人がじろじろと露骨にドゼを眺め回している。みすぼらしい身なりのフランス人が気に入らない様子だ。彼らはみな、オーストリア帝国の貴族だ。
「いえね。皆さん方に誤解があるようですから」
全く臆せず、士官学校仕込みの実用的なドイツ語でドゼが述べ立てる。
「誤解だと?」
「ドゼですよ。栄えあるオーストリア戦士の皆さん方がおっしゃるほど、あやつは大したものではありません。オーヴェルニュ出身の田舎者で、伝統的な戦術を何一つ知らず、ただがむしゃらに突っ込んでいくだけが能の、がさつな男です」
……ドゼのやつ。
ラレーは頭を抱えた。案の定、オーストリアの将校は気色ばんだ。
「お前、自分の国の将軍の悪口を言うのか?」
「事実ですから」
しゃらりとドゼが答える。オーストリア将校はいきり立った。
「俺は実際にドゼの戦いぶりをこの目で見たんだぞ! 載っていた馬が銃撃されて死んでも、彼は臆せず、立ち向かってきた!」
「命知らずというより馬鹿ですね、それは」
「次の瞬間には別の馬に跨って兵士らの先頭にいた!」
「救いようのない間抜けだ」
「お前!」
白い軍服の将校が立ち上がった。赤いズボンを履いている。高級将校だ。
「戦場で戦うドゼたち勇者の命がけの献身のおかげで、お前らの家や家族は守られているんだ。そのことも忘れて、数々の罵詈雑言を……許せん!」
「だってドゼは、阿呆丸出しの田舎者ですもん。俺は彼をよく知ってます」
……確かによく知ってるだろうけど。
絶望的な気持ちでラレーは考える。彼にはこの茶番の先が見通せない。
「決闘だ!」
オーストリア将校は叫んだ。手袋を脱ごうとしている。
思わずラレーは飛び出した。ドゼは、心底愉快そうに笑っている。その身体に手を回し、全力で引っ張る。一刻も早く、この場から立ち去らなければならない。
「卑怯者! 逃げるか!」
後ろから、オーストリア将校が叫ぶ声が聞こえる。どこかに隠れていた店主が慌ててすっ飛んできた。
「お客様。店内で騒ぎは困ります」
「ええい、黙れ! あいつはフランスの将軍の悪口を言ったのだ! フランス人のくせに!」
「そうだそうだ」
他の将校達も騒ぎ出す。彼らは「ドゼ」が、敵国の将軍だったことをすっかり忘れているようだ。
「お願いです、お客様。どうかお静かに……」
店主がオーストリア人グループを宥めている間に、ラレーはドゼを引きずって外に連れ出した。
「ほれ、ドゼ、しゃんとせんか!」
ラレーに引きずられながら、ドゼは狂ったように笑い続けている。
「だから軍服を着て来るべきだと言ったんだ。せめて階級章くらいつけてくるべきだった!」
息を切らしながらも、ラレーはこぼし続ける。
「昨日も郵便局で、馬を繋いでおく場所を巡って、軍人どもと言い争いになったばかりじゃないか。あれは、フランス人将校どもだったが。あいつら、お前の身分も知らずに横柄な態度をとりやがって、腹が立つったら……」
ラレーの言葉が途切れた。その時のことを思い出したのか、ドゼがまた、笑いの発作に襲われたのだ。
笑い事ではない。格下のフランス将校らの態度はひどいものだった。
憤懣やる方なく、それでもラレーは、ドゼを表通りに引きずり出すことに成功した。
「笑ってる場合か。レストランでは、危うく決闘になるとこだったんだぞ」
「帝国将校と革命軍将軍の決闘……」
ドゼの口からつぶやきが漏れた。言い終わるなり、再び彼は爆笑した。
数日後。ドゼとラレーは、見覚えのあるフランス人将校達と行き会わせた。
「あいつら……この間、郵便局で、君を愚弄したやつらじゃないか」
ラレーがドゼに囁いた。
「幸い俺は今日、軍服を着ている。君と違って俺は、何度も同じ間違いを犯したりしないからな。ようし。あいつら、思い知らせてやる」
するとドゼは首を傾げた。
「なぜそんなことを、親愛なるラレー」
「なぜって、」
言葉を詰まらせたラレーに、飄々としてドゼが言い放つ。
「ひょっとして君は、まだあのことを覚えているのかい?」
「覚えてるに決まってるだろうが! あんだけ侮辱されたんだぞ!」
思い出し、ラレーの腸は煮えくり返った。格下のフランス人将校どもは、ドゼを民間人だと思いこみ、さんざんに馬鹿にしたのだ。
ドゼに止められ、また、町中で派手な喧嘩になることを恐れ、あの時ラレーは、階級が下であったにもかかわらず、生意気な将校どもをやりこめることができなかった。
けろりとしてドゼは言い放った。
「俺は、郵便局を出た時に忘れたよ」
期せずしてラレーの口からため息が漏れた。
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ラレー
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