エピローグ 熱雷


「それじゃあ、私はこれで」



 皺皺の御坊様が、毛並みが艶やかな猪の剥製や片方の角が折れた鹿のハンティングトロフィーを載せた軽トラックの運転席から男に声をかけた。男は深々とお頭を下げ、「よろしくお願い致します」と言って見送った。



 生八は死んだ。挽肉になるほどの酷い事故を起こして。



 保範の死体と一緒に持ち去った男の上着は、実は大変に良いものだった。そこから男の身元が割れて呼び出され、生八とどんな関係にあったか聞かれた。男は懐に入れていた金を上着ごと盗まれただけ・恨みはないと答え、警察はそれ以上の詮索をしたがったが成果はなかった。男は生八と保範の供養について尋ねたが、それについては市役所の管轄になる、と、市の職員を紹介された。



 家族と絶縁状態にあり身寄りのないまま交通事故死した生八と、肉体の損壊が激し過ぎるあまり共に事故死したと誤って処理された保範の供養は大変に面倒らしい。これを担当した市の職員が、煩雑な手続きに協力してくれた男に感謝し「何か困ってる事があれば言ってくださいね」と言うので、男は「それでは動物の剥製の供養をしたいのですが、良い御坊様を知りませんか」と尋ねた。軽トラックに乗って去っていった御坊様と男は、そう言う経緯で知り合ったのだった。隣の県からわざわざ来てくれた、動物供養に熱心な心優しい御坊様だった。



 聞き慣れない車のエンジン音を聞いて、隣の両店からひょっこり中年男性がやってきた。この男性の名は勝野と言って、男の骨董品店の隣で酒屋を経営していた。その酒屋は一週間ほど前空き巣に遭った上に放火されてしまい、今はもう黒焦げの柱しか残っていない。勝野は外出していた為無事だったが、隣の店に居た男は犯人と遭遇し揉み合った末に足を刺されて入院した経緯があった。男の店も一部が炎上したが、移転の予定があった為に商品は大半が倉庫に収められており特段損害はなかった。



「おう、亀ちゃん。なんでぇあの剥製売り物かと思ってたのに、供養に出しちまったのかい」


「ええ。知人から借金のカタとして預かっていたのですが、返せないとのことでそのまま引き受ける事になってしまって。もう何年になるかも忘れてしまいました。引き受けてからずっと、出来る事なら供養がしたいと思っていましたし、店も移転しますし、そろそろ良い頃合いだと思いましてね」



 と、男は心底ほっとした様子で言った。ずっと供養されずに宙を見る彼らの視線が気がかりだったのだ。勝野は「そうかい、あんたがいいならいいんだけどね」と、からりと笑った。そういえば、と話を続ける。勝野は雑談が多い人物で話が長かったが、これが軽妙で耳心地の良い良い声なもんだから男もついつい話し込んでしまうのであった。



「そういえば、星月ってあっただろ?喫茶店の。あそこ酷い甲殻類アレルギー持ちのお客さんにエビのサンドイッチ出しちゃってさあ、すごい騒ぎになったんだよ。それから営業停止になっちゃって。まぁ、店主の深月さんボケ始めてたんだってね。前からメニューの取り違いとか多かったらしいんだよ。いい人でねぇ、可愛いおばあちゃんで、ピアスなんかも沢山開けちゃうもんだから、若い子にも慕われてて。料理もみんな美味しかったけどよぉ、アレルギー提供するようになっちゃったらいくら美味くても命に関わるからだめだね。



 あと緑山さんに伝言を頼まれてたんだけどね、探し物のチラシの回収出来なかったってよ。深月さん、チラシ貼っていいかって聞かれてオッケー出した事すっかり忘れててさ、捨てちゃったんだって。まぁ、自分の言った事を忘れちゃうのって認知症の症状だから、ね。怒んないであげてね。店を畳んで東京に住んでる息子夫婦とこれから一緒に療養しながら暮らすんだってよ。息子さんともお嫁さんとも相当仲良かったから、それだけは救いだね」



 勝野はうーんと唸りながら伸びをした。その手には新幹線のチケットが握られている。どこかお出かけですか?と男が尋ねると、宝くじで八億当たったので自分も店を畳み、北海道に引っ越すので物件の下見に行くのだと答えた。携帯電話と財布と新幹線のチケットだけを持ってポンと北国まで飛び出せてしまう勝野の気持ちの良い豪胆さに男は少し頬を緩めながら、疑問に思っていたことを尋ねた。



「そういえば勝野さん、おれのこと亀ちゃんって呼びますけど、あれなんでですか?」



「ん?言ってなかったけ?亀ちゃんねぇ、俺の家で飼ってる亀に似てんだよ。すっぽん。食おうと思ってそこら辺の池から拾って来たんだけど、寄生虫がうんとくっついててね。かわいそうで取ってやって、面倒見てたら愛着が湧いちまって食えなくなっちまってね。今も元気だよ。写真見る?…………まぁ、愛嬌があるってことだ。そんな顔しないで。なんだほんとすごい顔だな、初めて見た。……ああ!ほら、あの古本屋のかりんちゃん!あの子はつるちゃんって呼んでたろ、あっちは何でだい?」



「ツルツル頭だからだそうです」


「ンンッ」



 静かに笑いを堪えて黙ってしまった勝野に対して「子供の言葉というものは、何も遠慮がないもので……」と男は続ける。反対側の隣の小さな家電量販店の店先では、商品見本のテレビから、視聴率の魔物に取り憑かれた業界人の手垢まみれの台本通りに会話のリレーをこなす旬のタレント達による、ニュース番組の皮を被った醜悪なバラエティ番組が流れ続けている。




「複雑怪奇なすご〜い事件!ご紹介します!承認欲求に飲まれた猫殺しとそのストーカー!いや〜、ストーカーの被害者でもある花奈容疑者が怪死したことから様々なことが明るみに出ましたね」



「花奈容疑者は所謂パパ活で多数の男性からかなり強引に大金を巻き上げていて、恨みは様々な所で買っていそうですねぇ。ストーカー被害に遭っていると以前から警察に相談していたそうで!死亡時に持っていた鞄から盗撮カメラが見つかって!花奈容疑者が死ぬ瞬間、映像が途切れて猫の鳴き声しかしなくって、いやあ、不気味で驚きましたねぇ」



「ストーカーとして疑いのあった吉村鉄寺容疑者に捜査の手が及ぼうとした所、なんと鉄寺容疑者も失踪してしまっていたのは驚きですねぇ」



「同時に調査の手が進められていた至道市市民病院横領事件に鉄寺容疑者が絡んでいて、買収した医師から不当に譲り受けた医療用麻薬を所持していたことが判明しましたね。



 この件もあってやっと家宅捜索が行われ、鉄寺容疑者の自宅からは花奈容疑者と自分の写真を画像加工ソフトで合成したであろう大量の写真や、婚約指輪やウエディングドレスがあり、家の中には花奈容疑者が行っていた動物虐待の瞬間を含む膨大な盗撮映像があったことは、テレビの前の皆さんももう十二分にご存知かと思います。



 彼の手記には「彼女は寂しがっている。女を取っ替え引っ替えするのも動物を懲らしめるのも、寂しさが呼んだ心の病だ。自分が癒してあげなければ、彼女の他浜なんて変な苗字もきっとコンプレックスなんだ。自分が癒して、側にいなければ。これは男としての使命だ」とあります。凄まじい思い込みと行動力のある人物ですね。出身大学を詐称していたということも職場の同僚の証言で出てきていて……」



「市内で起きた輪蛇喜世世さん殺害未遂事件も彼の犯行であることが……」




 じゃあ、そろそろ、と勝野が言う。男も軽く会釈をし、それではこれでと別れを告げる。男も今日、別の土地へ引っ越すのだった。すっかり空っぽになった薄暗い店の畳の上には、寝転がっている真っ白な犬と藤の鶴で作られた籠だけがある。



「そろそろ行くよ」



男が犬に声をかける。犬は大きな欠伸をして男に文句を言った。



「今朝方、緑山がお前の寝ている間に来て今度ラーメンを食いに行こうと私に言いつけて帰って行ったぞ。ちゃんと個室のある良い店だ、ラーメンを食うと言って予約もきちんとしたと自慢げに言っていた。坊、あいつは私を伝書鳩とでも思っているのかね」



「そう拗ねないで。おやつ取られたから怒ってるの?」



「私はそんなせせこましい奴じゃないよ、フン!ほら行くよ、早くおしよ」



 ぷりぷり怒りながら犬が取っ手を咥えた藤の蔓の籠の中には、布で包んだ凍ったペットボトルのそば、柔らかなタオルの上で丸くなっている黒い猫がいた。犬の好物である豚の顔の皮を少し切り取ったものを齧ったまま、ぷうぷうと鼻を鳴らして気持ちよさそうに眠っている。首輪は既に無く、不釣り合いなサイズに苦しめられた痕跡も数ヶ月すればすっかり消えるだろう。散々蹴られて傷だらけになった値札のついている墨が玩具として入れられている。



「最初にうちに来た時は腹が減って興奮して暴れたんだろうな。豚皮を気に入ってくれたのか、戻ってきてくれてよかった。……なあおまえ、墨で遊ぶのは良いけれど、せっかくなら値札も剥がしておくれよ。それ間違っててさ、本当は五万円じゃなくて五十円なんだから」



 男と犬と猫は街の外に向かって歩き出した。途中の掲示板には「我が市は自然の猪と共存を目指します!つくります、猪の楽園を!」と、新たに建設される保護施設の告知ポスターが貼ってあった。増えすぎた猪を、未来の市の観光資源にしてしまおうという思考らしかった。現在進行形で困っている地元の農家や住民の生活については一切触れられておらず、ただただ可愛い猪の赤ちゃんや猪の豆知識等の文字情報がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。



 猪が繁殖している犬外山の写真も掲載してあったが、そこに男が立て直して欲しいと言った鳥居は影も形もなかった。写真の端には猪の尻が映っていて、それは街の方向を向いているらしかった。



 遠くで積乱雲の中の雷がゴロゴロと鳴っている。男は足を擦って、犬はコンクリートをちゃっちゃと削って、猫はぐーぐー眠って、街からゆっくり去って行った。



 彼らが豆粒ほども見えなくなった頃、雨が降り出してコンクリートに濃い灰色の滲みを作っていく。雨音が強くなる。このまま降り続けば水は道路の上を滑り、排水溝に流れ、尚も降り続ければ溢れてしまうだろう。








 人間にそれを止める術はなく、蝉は轟々と鳴き続けている。









【完】

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