第6話

 婆ちゃんのその言葉に、私の頭に一気に血が上った。

 

「だって婆ちゃん! 五百円やで!? ケーキ屋やったら五百円でケーキが買えるねん! でも手頃な持ち帰りスイーツなんて縛りやったら、そんなん出来へんやん!」

『…………』

「五百円でお腹いっぱい定食食べたあとにさぁ! 同じ値段でスイーツなんて買ってくれるわけないやん! 西日本洋菓子コンテストも全国洋菓子技術コンテスト大会も最優秀賞とった大黒 空のスイーツって付加価値付けたって、誰も見向きもせぇへん! 客層見て作ったスイーツも、しまいにゃ『コーヒーだけって売ってないの?』って言われる始末や! だったら価格変えて品変えるのが商売人ってもんやろ!?」

『ソラちゃん、客層は見ただけ?』


 ヒートアップしていた私の耳に、婆ちゃんの静かな声が真っすぐ通る。


「見ただけって……研究もしたよ! 東京で流行りのサラリーマンのおじさん達向けのお腹に溜まってデスクでも食べやすいスイーツをちゃんと……」

『流行りのスイーツを食べにくるお客さんと、うちのお客さんは違うのよ、ソラちゃん』

「へ……」


 雨足が弱まってきたせいか、婆ちゃんの声がよく聞こえる。潤んだ目を瞬かせる私の耳元で、商売の大先輩の婆ちゃんは大事なことを口にした。


『うちのお客さんがどこから来てるか。どんなお話をしているか。そういうのに一度耳を傾けてみなさい。世間一般の客層の視点じゃなく、うちのお客さんをよく見るの』

「もえぎのお客さんを……」

『それにねぇソラちゃん。婆ちゃん、ソラちゃんのスイーツはワンコインで売れるって思ったから許可したのよ?』

「えっ」

『売れないものに許可出すほど、婆ちゃん、優しくないんだから』




 婆ちゃんと話した次の日は日曜日で『もえぎ』の定休日だったが、私はなんとなく店に足を伸ばしていた。鍵はおきっつぁんが持っているし、店に入れるわけじゃないとは分かっていた。だが、家で悶々と考えるよりも現場にいたいと思ったのだ。

 そうして『もえぎ』に訪れた私は、店の扉がほんの少し開いてることに気づいて驚いた。すわ空き巣か、と思い、忍びのようにコソコソと壁にはりついてそっと中を覗く。

 そこにいたのは、ほむやんだった。鼻腔に届いた香りはコーヒーで、どうやら店の中でコーヒータイムをしていたらしい。傍にはノートパソコンが置かれており、画面は人気のソシャゲが映っていた。

 一人かな、と思ったが、よく見たら店内の天井近くに神様がそこそこ集っていた。ほむやんのコーヒーを味わっているのか、カップを持ち飲むような仕草をして、んべ、と舌を出している。


「神様も苦いとか思うんや」

「おや? ソラじゃん、どうしたのぉ」


「今日はお休みだよぉ?」と笑うほむやんに、「ちょっと寄っただけ」と言いつつ店の中に入った。


「神様にも飲んで貰ってたん? コーヒー」

「そうそう。あれは持ち帰り用でここでは飲めないでしょ? でも香りは袋から漂うもんで知ってたから、一度飲んでみたい~って言われてさ。あ、ソラも飲む?」

「んー、じゃあ飲もうかな」

「はーい」


 わざわざやかんで湯を沸かしてくれたほむやんが、湯の注ぎ口が長くて細いドリップポットに移し替えてコーヒーを淹れてくれる。

「そんなんいつ買ったん」って尋ねたら「ドリップコーヒーをツテに頼みに行った時に買わされた~」とケラケラと笑いながら言われた。


「はいどうぞ」

「ありがと~」

「このコーヒー美味しいねぇ。今まで適当に飲んでたけど、一回美味しいのに出会うと拘りたくなる気持ち分かるなぁ~」

「豆買いたくなっちゃう?」

「なっちゃう!」


「沼だろうな~」と目を細めるほむやんに笑いつつ、淹れて貰ったコーヒーに口をつける。

 マイルドで酸味が少なく、苦味がしっかりあって美味しい。私のスイーツはともかくとしても、これは是非飲んでみて貰いたいなぁと思う味だった。

 ほっと一息吐いた所で、私が飲み終わるのを待っていたのか、ほむやんが神様と一緒に顔を覗き込んできた。


「ところでソラ! 相談なんだけど!」

「え、何?」

「スイーツ、神々も食べたいんだって。ちょっとお味見してもいい?」


 わくわく、といった風に神様達が頭の上で色めき立つ。してもいいっていうか、「します!」 っていう意思表示じゃんと苦笑し、賞味期限が近かったスイーツ達を取り出す事にした。


「あったかくなくても大丈夫?」

「大丈夫大丈夫! お供えされたらなんでも食べられるから!」


 それなら、と小皿にラスクとバウムクーヘン、プリンを少しずつ出し、お店に来ている神様達にお供えする。私とほむやんが同時に「頂きます!」と手を合わせると、神様達にも届いたのか黙々と食べ始めていた。


「美味しいんかなぁ」

「皆さん、美味しいですか~? って聞いてますよぉ」


 ほむやんの問いかけに、神様達がこくこくと大きく頭を縦に振る。うまうまとほっぺをいっぱいにしながら食べてくれる様を見て、私は心から嬉しく思うと同時に、ほろりと涙を零してしまった。


「ソ、ソラ……!」

「あれ」


 一度流れた涙は止められず、「あれ、へへ。いい大人のくせに泣いてもた」と誤魔化しながらへらへらと泣き笑う。

 しばらくおろおろとしていたほむやんだったが、タオルウォーマーからおしぼりタオルを取り出してきて私にくれた。


「ありがと……あっつい!」

「うちのおしぼりあっついよねぇやっぱり。火傷しないでね?」

「おきっつぁんの手の皮で合わせちゃダメだって!」

「言えてる~」


 私の涙が落ち着くように何気ない会話を続けてくれるほむやんの優しさが、胸にしみた。

 ほどよくおしぼりがぬるくなった頃に顔を上げると、横に座っていたほむやんより神様達の方が心配そうにこちらを見ていた。


「美味しいって言ったの、駄目だった? って聞いてるよ」

「まさか! めちゃ嬉しかったよ」


 それは、久しくお客さんの口から聞いていない言葉だった。身内やおきっつぁん達からの言葉は引き出せども、お客さんからはなかなか聞けていない。自分の店を持っていた時だって、そもそも客がほとんど入らなかったせいで食べて貰う機会すら少なかった。

 こんなにも腕に自信があるのに、それを振るう場に立てない。それが悔しく、やるせないと思った時、ふと、「そうじゃない」と思った。


 今、私が涙を流すほど嬉しかったのは、自分のスイーツを食べた神様達の笑顔を見れたことだ。

 やるせなくて悔しかったのは、お客さん達からずっとその笑顔を引き出せなかったことだ。


 腕があるのになんて、お客さん達はきっと分からない。神様達だって、私の受賞経歴に惹かれたわけではない。ただ食べてみたいという興味本位で言ってくれたのだ。

 その矢先に訪れた幸いに、私はあって当たり前のものだと傲慢な思いを抱いてやしなかったか。見る目がないと、ワンコインの設定がおかしいのだと、他責思考になってやしなかったか。



『うちのお客さんがどこから来てるか。どんなお話をしているか。そういうのに一度耳を傾けてみなさい。世間一般の客層の視点じゃなく、うちのお客さんをよく見るの』



 ワンコインに拘る婆ちゃんと、ワンコインの店だからこそ来てくれるお客さん。きっとそこに何かがあるのだ。


「ソラ……?」


 黙り込んでしまった私を心配そうに見つめるほむやんの前で、両頬をぱんと叩いて立ち上がった。


「ありがとほむやん、神様! 原点に戻れた!」

「原点……」

うちのスイーツで皆を笑顔にしたい。ちっちゃい頃から、私の夢は変わってへん!」


 パティシエの道の先。そこに抱いた夢はきっとこの店でも叶えられる。

 そう理解した私は、呆気にとられるほむやん達を置いて、店から飛び出した。

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