第5話

「爆死……」

「爆死だねぇ……」


 スイーツの山を前にして呟く私の隣で、スマホを見ていたほむやんが肩を落とした。ええい! 爆死の意味が違わぁ!


「な、何故……!」


 半べそをかきながら、私はがっくりと肩を落とした。


 ほむやんのツテを頼って出来たオリジナルドリップバッグコーヒーは、スイーツによく合う味わいのコーヒーだった。

 酸味が少なくまろやかで、どちらかというと苦味が強い。甘いものを食べたあとにすっきりした後口になるよう調整されており、『もえぎ』の看板にもある優しくシンプルなデザインの施された包みは、手前味噌ながらとてもよく出来ていたのだ。

 満を持して今日から売り出されたドリップバッグコーヒー付きのスイーツは、レジ横に並べていた。表の看板にも「期間限定! 持ち帰りスイーツはじめました」とつけたし、ワンコインで買えることもしっかり書いていた。

 加えて、数々の賞を受賞した大黒 空のお手軽スイーツの謳い文句付きだ。価格に満足して貰えるような内容に努めたし、お客さん達の反応も「お、コーヒー付きか。いいねぇ」といった感じで悪いようには見えなかったのだ。

 ――だが。


「一個しか、売れんかった……」

「あら、一個は売れたのねぇ。良かったわね!」


 私の肩を、明るい声を上げながらヒメ姉が叩く。そりゃバウムクーヘンとラスクは日持ちするけど、プリンは今日食べないといけない。そう考えたらしっかり赤字だ。

 ポケットマネーから出ていく材料費を思って「えーん!」と嘆きつつ並べたスイーツを仕舞い始めた私に、おきっつぁんは「まー、初日はこんなもんだろ」と肩を竦めた。


「うちで持ち帰りスイーツなんて初めてのことなんだ。俺達だけじゃなく、客もな」

「そうそう。気長に考えましょ!」

「ってことでプリンタイムだ~」


 売れ残りのプリンを美味しそうに食べ始めるほむやんに、「あら、私も頂くわぁ」とヒメ姉も参戦する。おきっつぁんは仕込みがあるので、「冷蔵庫に入れておいてくれや」と頼んでいた。


「はぁ……。とりあえず明日の分のプリンはちょっと少なめで作るかぁ……」


 バウムクーヘンとは違ってプリンは個数の調整が容易なのが有難い。それでも最小ロットは作らないといけないので、私は溜息を吐きつつ明日売れるかも分からないプリンを作り始めたのだった。




「…………」

「……ソラ……」

「ソラ、ほら! 今日は天気が悪いから!」

「曇天だとスイーツ食べる気がしなかったんじゃね?」


 おきっつぁん達のフォローが、今の私にとっては傷口に塩だった。

 あれから二週間。持ち帰りスイーツは全くと言っていい程売れなかった。

 日に一個か二個、それも同じ人が買うのではなく、違う人が物珍しさに一個買うかどうかといった感じだ。最初に買ってくれたお客さんがスイーツのリピーターにはならなかったのだ。

 はらはらと見守るヒメ姉達の前に、私は着ていたエプロンを叩きつける。


「婆ちゃんに会って来る」

「え? 今から?」

「今から。皿洗いも終わっとるしいいやんね?」

「いいけど、婆ちゃん腰悪いんだからあんまり長話はすんなよ?」

「分かっとる!」




 永田町から婆ちゃんの家がある清瀬までは乗り換えを挟む。途中まで地下ばかりを走っていた電車が地上に出た頃には、曇天だった空はすっかり雨模様に変わっていた。

 清瀬駅の側には大きなショッピングモールがある。そこで傘を買おうか迷ったが、すでに家に何本もビニール傘がある事を思い出し、私は着ていたウインドブレーカーのフードを深く被って雨の下を駆け出した。

 歩いて十分の距離だ、走れば五分だと安直に考えたのだ。


 だが、その五分の間に雨足がもっとひどくなった。大粒の雨が横殴りに叩きつけ、撥水性のウインドブレーカーを着ていれど瞬く間にずぶ濡れになる。

 このまま婆ちゃんの家に行けば、腰が悪い婆ちゃんにタオルを取らせにいくことになると判断し、私は近くの公園へと進路を変更した。

 公園は、この雨のせいで人っ子一人いなかった。屋根の下にあるベンチは吹き込む雨のせいですでに濡れており、座れそうにない。

 上手くいかない時は、本当に何もかも上手くいかなくなるように感じる。私は大きく溜息を吐きながら、尻ポケットに入っていたタオルで軽く水を払い、私はスマホを取り出した。

 婆ちゃんに直接会いたかったのは、大事な話だからだ。でも、会えないとしても話さないという選択肢はなかった。

 何コールか後に、相手が電話を取った音が耳に伝わる。


『もしもし~? ソラちゃん?』

「婆ちゃん……」

『あら、どうしたの。元気がないねぇ』


「婆ちゃん」としか言ってないのに、婆ちゃんはあっさりと私の様子に感づいた。それが私と婆ちゃんの差なんだろうかと卑屈な考えに陥りつつ、私は電話を続ける。


「婆ちゃん、今電話してても大丈夫?」

『大丈夫よぉ。丁度ドラマ見終わった所だったから。この時間にも面白いのがやってるのねぇ。働いてる間は知らなかったわぁ』

「そっか。……あのさ、婆ちゃん」


「持ち帰りスイーツ、ワンコインじゃなくてもいい?」


 ――ワンコイン。


 手頃で、気軽で、親しみのあるそれが、今の私にとって最大のネックだった。

『もえぎ』は、開業してからずっとワンコインランチに拘って来た。あの赤坂の地でワンコインでやっていくのは本当に大変なのだと分かっていれど、未だにそれを貫いていたのだ。

 だって、周辺の店は大概ワンコインで済まない。ラーメン一杯八百円は超えるし、安いうどんでも六百円台は必ずいく。プレートランチは千円だ。それを『もえぎ』はずっとワンコインでやってるのが異常だった。

 そう。異常なのだ。だが、『もえぎ』に来るお客さん達はそれが当たり前だと思って来る。


 ――ワンコインで一汁三菜。そりゃ凄い満足度だろう。


 お腹いっぱい食べてレジに並んで、そこで同じ値段のたった一つだけのお菓子とコーヒー付きのスイーツが同じワンコインなんて、手を出すはずがないのだ。

 あのレジ前で、私のスイーツは『もえぎ』の定食と戦っていたのだ。

 勝てるわけがない。そもそも土俵が違いすぎる。そう判じた私は、婆ちゃんの拘りに背く形になるが、ワンコインじゃないスイーツを出させてほしくて直談判に入ったのだった。


 婆ちゃんは、しばらく無言だった。

 生唾を飲んで沈黙し待ち続ける私の耳に、強まる雨足の音が聞こえる。

 そんな中で、待ち望んだ婆ちゃんの一言が厳かに伝えられた。


『ダメよソラちゃん。もえぎで売るものは、全部ワンコインでやって頂戴』 

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