最終話 一生一緒



「ただいま!」


 勢いよく、とまではいかないが、わりと弾んだ声で、ぼくは家内に呼びかける。

 自分でも思っていた以上に明るい声で、びっくりだ。


 いつもであれば、リビングからおばさんの声と、料理のいいにおいが返ってくる。

 それが、いつもの日常。


 ……「おかえりなさい」……

 その返事が、ない。

 言葉が、返ってこない。


「……?」


 いつもとは違うそれに、ぼくは首を傾げる。

 とはいえ、おばさんも忙しいのだ。いつもいつも、返事があるわけではない。返ってこない時だって、あるじゃないか。


 ……なぜだか、胸騒ぎがした。


「おばさん? ……サキ?」


 家にいるはずのおばさん、そしてもう帰っているはずのサキ。

 再び声を投げかけるが、やはり返ってくるものは、ない。


 ぼくは、靴を脱ぎ……家に、上がる。

 その足で、リビングへ……


「ただいま。明るいとは言っても、さすがに電気つけたほうが……」


 リビングの扉を開けつつ、ぼくは中にいるであろうおばさんに、声をかける。

 扉の向こう側に広がっているのは……明るい笑顔が、あたたかな人たちが、ぼくを出迎えてくれる光景だ。

 暗みの中にあったぼくの心を救い上げてくれた、大切な人たちの……


 ……大切な、人たちの……











「………………え?」


 そこには……リビングであるはずのその部屋には、なにもなかった。

 いや、なにもないというのは、語弊がある。

 だって、見慣れた家具も、置き物も、植物も……あるのだから。


 ないのは……


「……キョウちゃん?」


 肩が、震えた。そこにいたはずなのに、気がつかなかった。


 そこには、捜していた、サキの姿があった。


「え、どう、して……今日、バイト、でしょ?」


 サキは、今までに見たことがない表情を浮かべていた。

 まるで、いたずらが見つかった子供のような……そこにいるはずのものを、見てしまったような……なのに、その表情は、どこか冷めていて。


 部屋が暗いからだろうか。

 その雰囲気は、いつもと……いや、ぼくの知っているサキのものとは、違うように思えて。


「え、と……今日は、早く上がらせて、もらって……

 その、プレ、ゼント、を……」


 なんだ、なにかがおかしい。なにがおかしい?


 サキはそこにいる。部屋だって、なにも変わったところはない。なにも、変なことはない……

 ……はずなのに。


 どうして……


「……おばさんと、おじさんは、どこだ?」


「……」


 自然と、それが口から出ていた。


 おかしな台詞だ。おじさんはこの時間なら、まだ仕事のはずだし……おばさんだって、買い物とかでこの場にいないだけかもしれない。

 ……のに……


「……いな、い?」


 いない、いないのだ……"この場に"という意味ではない……

 おかしい、なにかが、おかしい……


「あーあ、見られちゃったかー」


 そこへ、鈴と響く透き通るような声。

 それはこの場には似つかわしくなく……しかし、聞き馴染んだ声のもので。


 サキが、声と同じようにこの場に似つかわしくない笑顔を浮かべ、ぼくを見つめていた。


「ダメだよキョウちゃん、早く帰ってくるなら、そう連絡してくれないと。

 私にだって、準備があるんだから」


「じゅん、び?」


 なんだ……サキは、なにを言っているんだ?

 その瞬間だ……頭の中に、ズキッとした痛みが、走る。


「っ……」


「ありゃりゃ、そろそろだと思ってたけど、このタイミングでかぁ。

 それとも、この光景を見ちゃったからかな?」


「な、にを……」


 部屋が暗い、それ以外にいつもと変わらない光景……のはずなのに。どうしてこうも、胸をかきむしられる?

 頭が痛い……思い出さなきゃいけない……でも、思い出してはいけないような、なにかが……


 サキは、俺の頬へと手を伸ばす。

 いつの間にか、目の前にまで近づかれていた。

 気づかなかった……


「なぁ、サキ、教えてくれ。おばさんは、どこだ?

 買い物行ってるだけなんだよな、なぁ?」


「……ねぇキョウちゃん。

 それ、何回目だと思う?」


「……は?」


 耳元で囁かれる、サキの甘美な声。密着したことにより押し付けられる、柔らかな身体。

 細く、それでいて部分的に豊満な、体つき。

 平常時であれば、これだけで足が立たなくなってしまっていたんじゃないかと思えるほどの、恐るべき破壊力。


 だけど……今は、今だけは、そんな場合ではなかった。


「どういう、意味……?」


「そのままの意味」


 ペロッ……耳を、舐められた。

 不意の出来事に、反応ができなかった。声を出すことも。


 そして、サキは俺から離れる。

 どうしてか、その瞳から、目を離せない。


 サキの瞳は、赤く輝いていた。


「キョウちゃん、覚えてる?

 前、キョウちゃん聞いたよね。吸血鬼と人間、違いはあるのかって」


「……あぁ。血を吸う、以外には……その、色仕掛けが、どうとか」


「それだけ?」


 ドクン、と、心臓を打つような、声。

 他に、なにか……忘れている、ことが。

 頭が、痛い。


『お母さんが言うには、いろじかけ……サイミン? っていうのが、うまくなるんだって』


 それは、ふと思い出した。

 色仕掛け……いや、正確には別のものが。


 サイミン……催眠。

 それに気づいた瞬間、頭の頭痛はさらに、ひどくなる。


「あはは、気づいた?

 そんなキョウちゃんにご褒美、答え合わせをしてあげる」


「答え……合わせ?」


「そう!」


 わからない、わからないわからない……なぜ、サキはこんな嬉しそうにしている?

 なぜ、ぽっかりと、胸の中に穴が空いたような、感覚がある?


 サキは、その場で一回転する。


「キョウちゃんが見ていた景色。それは全部……じゃないけど、私が催眠の力を使って見せていた、景色なんだよ」


 そんなことを、サキは言う。


「……催眠で、見せた景色?」


「そ。キョウちゃんは、私とお母さんとお父さんと、三人と一緒に暮らしていたよね?」


「はぁ? そんなの、当たり前……」


「いないよ、お母さんもお父さんも」


 ………………は?


 今、なんて……

 サキは、なにを言って……?


「この家には、私とキョウちゃんの二人しか暮らしてないんだよ?」


「そ……んなわけ、ないだろ!

 だって、いつもおじさんも、おばさんも……ご飯だって、一緒に……」


「だから、それが催眠で見せていた光景なんだってば」


 ……意味がわからない。どうなっているんだ。

 つまり、なんだ……こういうことか?


 おじさんもおばさんも、この家にはいない。いたように、見せられていた……だけだと。

 あの温もりも、笑顔も、全部……


 ウソ……


「そ、んな……いつから……」


「うーん、いつだったかな。

 ごめん、忘れちゃった。あ、でもキョウちゃんのご両親が亡くなったとき、手を差し伸べたのは本物の両親だよ」


 ……忘れた、だって?

 そんな、なんでもないことのように、あっさりと。


 いや、それ以前に……


「いないって……おじさんとおばさんは、どこへ、行ったんだよ」


 その答えは……聞きたくない。でも、聞かなくてはならない。


 サキは、ニタリと笑った。


「言ったでしょ、お母さんもお父さんもいないって。






 ……この世に、ね」


 ……それは、聞きたくなかった、言葉。

 冗談だと、嘘だと言いたくても……サキの顔は、ただただ真実だけを、映していて。


「なん、で……」


「私だって、殺したくはなかったんだよ。

 でも、私が事故死に見せかけてキョウちゃんのご両親を殺したのがバレちゃってさぁ。

 だから、致し方なく、ってやつ」


 …………は? は??

 殺した? 自分の両親を?

 それに……俺の両親を、事故死に、見せかけて……


 殺した?


「なに、言って……」


「あは、すごいっ、前とおんなじ反応してる!

 言葉通りの意味だよ?」


 サキに、悪気は見られない。いや、悪びられればいいという問題でもないが……

 ぼくの中には、ただ疑問が。

 怒りよりも、悲しみよりも、疑問があった。


「どう、して?」


「どうして……?」


 ぼくの、精一杯の疑問。

 それを受けて、サキは……己の身体を、かき抱いた。


 その表情は艶めかしく、口から話される言葉は艶っぽく、瞳は色っぽく……

 ぼくを、見つめていて。




「だって、だって……ね? あの日から、私の体変なの、おかしいの。初めて吸血本能が目覚めたあの時から……発情したときから。キョウちゃんの血を吸って、私思ったんだ。キョウちゃん以外の血は飲みたくない、いつもキョウちゃんの血を飲んでいたい、って。でもね、困ったことがあったの。いくらお隣同士とはいっても、四六時中キョウちゃんと一緒にいられるわけじゃないでしょ? だから私、思ったの。ずっと一緒にいられるようにすればいいって。だから……ね。事故に見せかけて、そしたら、キョウちゃん、一人になって。身寄りのなくなったキョウちゃんを、お母さんやお父さんなら引き取ってくれると思ったから、正解だったよ。だけど……それから、しばらくしてね。私が、キョウちゃんのご両親の事故死を細工したことが、バレちゃったの。だから、仕方なく……でもね? いきなりお母さんやお父さんがいなくなったら、キョウちゃんびっくりすると思って。私、考えたの。で、思いついたんだ。吸血鬼の力を使えば、キョウちゃんに以前のままの光景を見せられるんじゃないかって。それは見事に成功して、やったって思ったよ! 普通催眠にはにおいとか温かさとか、そこまで再現できないみたいなんだけど……そこは、キョウちゃんへの愛が大きかったおかげかな、キャッ♪ でもね、この催眠は永続的なものじゃなくて、定期的に効果が切れちゃうの。だから、キョウちゃんから血を貰うとき、一緒にキョウちゃんに催眠をかけ直してたんだ。今回の頭痛は、もうすぐで催眠が切れるよーってサインだから。でも大丈夫、また催眠かけてあげるから」


「………………」


 うっとりした表情で、話すサキは……ぼくの知っているサキと同一人物とは、思えなかった。

 なにも、理解できない。できるはずがない。


 ただ、一つだけ理解できることが、あるとするならば……

 サキが……この女が、ぼくの両親を……おじさんとおばさんを……!


「サキィイイイイ!」


「きゃっ、怒鳴らないでよキョウちゃん。

 でも嬉しいなぁ、やっぱり記憶なくても、キョウちゃんはキョウちゃんなんだ」


「イイイ……き、おく?」


 頭の中が、ガツンと殴られたような感覚。


「そだよ? さっき言ったじゃない、それ何回目だと思う、って。

 キョウちゃんは、何度も真実に気づいてたんだよ。でも、その度に私が、記憶を消してた……ううん、操作してたの」


「記憶を、操作……?

 え、いや、だって、できるのは睡眠、だけって……」


「でも、現に覚えてないでしょ?

 だから、これもキョウちゃんへの愛のなせるわざかなって」


 きゃっ、と、再び顔を赤らめ、頬に手を当てている。


 ぼくは、この光景を……何度も?

 怒り、悲しみ、悔しさ……それらすべてが、ごちゃまぜになって……


「ごめんね。私、キョウちゃんから大切なものをたくさん奪っちゃったよね。

 だから……」


 サキが、ぼくに抱きつく。今度は、腰に手を回し、しっかりと密着して。

 目の前には、薄い笑みを貼った、サキの顔。




「その代わり、私の全部をあげる。

 身も、心も。

 ほら、いつも男の子から、この胸にたくさん視線が集まるんだ。鬱陶しいし気持ち悪いんだけど、キョウちゃんから感じる視線は全然気持ち悪くないんだ。男の子って大きいのが好きなんでしょ? この胸も好きにしていいんだよ?

 女の子からは、すべすべで羨ましいって褒められるんだよ〜、この美脚、ってやつ。この脚も、好きにしていいんだよ?

 全部あげるよ。胸も、足も、唇も、髪も、手も、目も、おしりも、心臓も……




 全部、ぜ〜んぶ好きにしてくれていいんだよ?」



 そのままサキは……恋する乙女のように、顔を赤らめ、ぼくに、顔を寄せてくる。


「さ、サキ……やめろ、おい……!」


 なんでだ……なんで、体が、動かない?

 なにか、されたのか? それとも……




「……一生、一緒だよ?」


「やっ……」











 かぷっ











  安藤 京谷……それがぼくの名前だ。

 ごく普通の高校二年生……これといって頭もよくないし、運動神経がいいわけでもない。

 顔だって、かっこいいわけではない。平凡だ。

 まさに普通の、学生……で、あるはずだ。


 ……ただ、ぼくに両親がいないことを除いては。


「キョウちゃん、おはよう!」


「あぁ、おはようサキ」


 朝、目が覚めて、制服に着替え、今や自分の部屋であるそこから出る。

 リビングに降りると、そこには一人の少女の姿。


 夢宮 サキ……ぼくの幼馴染であり、今一緒に暮らしている人物だ。

 ぼくのことを、『キョウちゃん』と呼ぶ。

 この歳にもなると、若干恥ずかしいものだが。


 黒髪ロングの、美少女……学校のアイドル的存在である彼女が、ひとつ屋根の下にいるなんて。

 この暮らしを初めて三年以上経つが、未だに夢じゃないかと思うことがある。


「おはよう、京谷くん。

 よく眠れた?」


「おはようございます。はい、おかげさまで……」


「もう、堅苦しいわね。

 もっと柔らかくていいのよ?」


「あはは……」


 キッチンに立っているのは、サキのお母さんだ。

 もう四十代であるはずだが、まるでサキの姉だと言われても、信じてしまうだろう。


 手洗いを済ませ、並べられた朝食にありつく。

 隣に、サキが座る。


 今やこの光景も、すっかりおなじみだ。

 これこそが、ぼくの日常とも言える。


「いただきます」


「いただきます!」


 俺とサキは、手を合わせて朝食をとる。

 白飯に味噌汁、それに目玉焼き……うん、どれもいいにおいだ。


 まずは目玉焼きを、一口。

 ちょっとピリッとした塩気は、ぼくにとって好みの味付けだ。


「その目玉焼き、私が作ったんだ。

 ど、どうかな?」


 こてん、とかわいらしく首を傾げるサキ。

 その仕草だけで、ほとんどの男は落ちてしまうだろう。


 吸い込まれそうなほどにきれいな、桃色の瞳……

 それに見惚れてしまわないよう、俺は咳ばらいを一つ。


「サキが? へぇ……すっげーうまいよ」


「えへへ、よかった」


 ただ味を褒めただけで、彼女は満面の笑みを浮かべてくれる。

 こうも甲斐甲斐しい幼馴染の存在、ありがたい以外の言葉が見つからない。


 両親のいないぼくを、本当の家族のように扱ってくれる。

 夢宮家の人"たち"には、日々感謝しかない。


「二人共、あんまりのんびりしてると、遅刻するわよ」


「わ、本当だ!」


 おばさんの指摘に、サキは急いでご飯をかきこむ。

 ぼくも、食べるペースを上げていく。


 朝食の時間が終われば、学校に登校だ。

 ぼくとサキは同じ高校に通っているため、いつも同じ時間に登校する。


「じゃ、いってきまーす」


「いってきます」


「はい、気を付けてね」


 サキと共に、家を出る。今やこれが、ぼくの日常だ。

 寂しさがないといえば嘘になる。けれど、不満はない。


「キョウちゃん、私今幸せだよ!」


「なんだよいきなり……

 ぼくもだよ」


 二人笑い合って、歩いていく。

 ぼくにとって、今が一番、充実した世界だ。

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となりの吸血鬼がぼくの血ばかり吸ってくる 白い彗星 @siro56

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