三 街のウワサ
夜風が公園の樹々の枝葉を、ざわざわと揺らす音が聞こえるのだ。
それに耳をすましてみれば、表通りを行き交う車の走行音も、遠くから微かに聞こえてきている……。
「音が、戻ってる……」
俺は慌ててベンチから腰を上げると、小走りに公園から外へと飛び出す。
すると、ちょうどそこへ酔っ払いのサラリーマンが千鳥足で歩いて来ていて、俺はえらく久方ぶりに自分以外の人間と
「音もあるし、人がいる……てことは…!」
俺は再び小走りになって、自分のマンションがある方向へと急ぐ……すると、今度はわずか3分と経たずに、その一階入口前へと楽々到達することができた。
やはり理由はわからなかったが、俺はいつの間にか気づかぬ内に、静寂が支配する無音の異世界から、こちらの住み慣れたもとの世界へと戻ってこられたみたいである。
「なんかわからんけど……ハァ〜…とにかく戻れてよかったあ……」
何がなんだかわけがわからず、俺はとりあえずスマホを取り出すと、念のために戻ってこれたことをさらに確信に変えようとする。
画面を見ると今度はちゃんと電波が届いているし、地図アプリを開いてみれば、ちゃんと俺の現在位置をマンションの前に表示している。
しかし……。
「えっ! 11時43分?」
時刻の表示だけがどうにもおかしい……あれだけ歩き回っていたというのに、あの公園に入った時刻からほとんど時間が経っていないのだ。
……いや、それどころか、公園からここまで来るのに3分かかったのだとすれば、あの長らく彷徨っていた間はまったく時が経っていないことになる。
あれほど疲れ果てるまで、少なくとも1時間以上はあの無音の世界を歩き回っていたというのに……。
単にスマホの不具合かもしれないと、俺は階段を駆け上がって自分の部屋へと急いで転がり込み、壁掛けの時計を眺めてみたのだが、やはり先程と大差ない11時44分だ。
自分以外誰一人としておらず、時間も進まず、何一つ音もしない静寂に包まれた夜の街……俺はいったい、これまでどこに迷い込んでしまっていたのだろうか?
アルコールに疲労も加わり、そのまま着替えもせずにベッドに倒れ込んだ俺は、いつしか深い眠りに陥ると、翌朝には普段と変わりのない、いつもの朝を迎えていた──。
昨夜の出来事は、単なる悪い夢か、あるいは酔っ払っていたことによる錯覚だったのだろうか?
まあ、常識的に考えればそうなのだろうが、足に残っている疲労感はなんだか妙に生々しい……。
どうにも釈然とせず、その後、ネットでいろいろ調べてみたところ、あの公園の周辺で、俺同様に奇妙な体験をしたという話がちらほら書き込まれているのを発見した。
それに異世界へ行ったという話では、やはり共通して非常に静かな世界だったという特徴が見受けられるようである。
考えられる原因としたら、やはりあの公園以外には思いつかない……。
いつになくあの公園を通ってしまったことで、俺はこの世界とは似て非なる、静寂が支配するあの異世界へ迷い込んでしまったのだろうか?
もしかしたら、一部の変な者達以外、皆があの公園に寄りつかないでいるのには、無意識にその事実を感知して、知らず知らずの内に危機回避をしているのかもしれない。
その推理が正しいのか正しくないのか? それを確かめるのは至極簡単なことだ。それはもう一度、あの公園を通ってみればわかることなのだが……やはり、怖くてさすがに無理である。
今度は、ちゃんと戻って来られる保証がどこにもないのだから……。
ああ、それから俺が戻ってこれた理由についてだが、ウワサ程度の信憑性ではあるもの、そのヒントとなりそうなものも見つけることができた。
異世界体験談の多くで、一休みしてタバコを吸った直後に戻ってこられたという証言がよく聞かれているのだ。
思い返せば俺もあの公園で一服した後に、気づけば音が戻っていて、それでもといたこの世界に帰ることができた。
理屈はよくわからないのだが、どうやら焦ってジタバタすることをやめて、気分転換に一服したことが図らずも功を奏したようだ。
ともかくも、異世界へ通じている場所というのは意外とあちこちにあるようなので、皆さんもご用心することに越したことはないであろう。
なんとなく、人々が近づきたがらない場所というのがご近所にあるのだとしたら、そこはあるいは、もしかするともしかするのかもしれない……。
(静かなる異世界 了)
静かなる異世界 平中なごん @HiranakaNagon
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