事件八 「日本の黒幕」のドタバタ劇。

事件八「日本の黒幕」のドタバタ劇。


 事件五 「祇園の暗殺者」で取り上げてから、「どうなった」と、続きを待ってくれている読者がいるようなので、ちょっぴり、かたい話になるけどお話しします。


映画「日本の夜と霧」(監督大島渚)に、ついて。

 一九三二年生まれの大島さんは、高田の二才年長で、京都と東京の違いはあっても、同じ時代に青春を過ごしたのは間違いない。

 一九六〇年、安保騒動のさ中、デモの中にいた東大の女子学生が死去する出来事があった。

それに触発されてか、大島さんが、松竹の社員監督として急遽と言う形で撮影を強行して世に出したのが「日本の夜と霧」である。

 運動家どうしの結婚式を舞台に、在り来たりの男女の愛のもつれをスジにして、学生運動についての意味を問おうとするディスカッションで終始する劇である。

客の入りが悪いとの理由で早々と上映を打ち切った会社に、政治の介入があったとして大島さんが抗議した会社への抗議文がある。

「長い間、観客は愚劣な映画を余りにも多く与えられつづけた、「日本の夜と霧」は、初めて、日本の映画が生活の中で真面目にものを考えている人達のところまで達した記念すべき作品なのだ(中略)私はこうした作品をつくり続けるだろう」

 他者の作品を愚劣とけなし、自作を生活の中で真面目にものを考える人たちのもとに達した記念すべき作品と言いきる論理はどこから来るのか?

 生活の中で真面目にものを考える人たちと言うのは、どんな人種なのか?

 伊藤彰彦氏(映画史家)は言う。

 映画「日本の夜と霧」は、政治が介入するような内容ではないし、松竹と言う保守的な会社が、お得意さんに、お金をとって見せる商品ではないと断じただけのことで、ファンにもそっぽを向けられたことへの憤懣(強い怒り)ではないか」

「日本の夜と霧」のDVDのジャケットには、

「ガラガラ回して撮りまくる

 二週間足らずで完成させた、

 全編二〇七分

 わずか四十七カット」

と、ある。

こんな、映画の売り、お目にかかったことがない。 

中身を説明しても売れない、関係者の苦肉の策、だが、観たい、との要望があるから商品になった。

大島さんは元々自分の言葉でしか映画を撮らない監督で、松竹を退社して自身のプロダクションを設立したが、製作資金や映画の配給は一個人では難しい。

 松竹以外の大手プロダクションの力を借りて映画を造ったことが二度あった。

「天草四郎時貞」と、「日本の黒幕」。共に東映で、前者は興行的に惨敗、後者は幻に終わった。

 「天草四郎時貞」の脚本は気心の知れた石堂淑朗との共作で、思いのまま映画が撮れた。

「日本の黒幕」の脚本は、大島さんが愚劣と決めつけた種類の映画で売り出し中の高田である。

 水と油、と、言うより、ガソリンに燐寸マッチの火を放り込むようなやり方。

 前作で失敗したから、次はこっちの言う通りにするやろう、と、東映側が目論んだとしたら大間違い。

 企画者としての言葉は、

「存分に思い切ってやれ」

 しか、ないはず。

 今の日本の政治を陰であやつる暗黒組織の巨魁が主役や。国家のためと言いながら、権力にしがみつこうとする獣たちの人間喜劇を赤裸々に、ドキュメンタリ―タッチで、日本だけでなく世界を驚愕させる映画を造れ。

 それくらいの太っ腹を見せたらよかった。結果、クビになるなら高田も納得です。

何事であれ、中途半端はあかん。


 高田を見限って、大島さんは親交のあった内藤誠監督を東京からんで、自分の言葉による「日本の黒幕」のホンを書き始めた。やる気は十分にあった。

 日下部も、本田共同企画者も、高田をのけ者にして、大島監督による正月映画の準備に入っている。

 そのころの高田は仕事に不自由はなく、次回作(角川映画「復活の日」、監督深作欣二)の南極ロケハンティングの支度に夢中で、東映側と大島監督の動きはまったく知らない。最初の打ち合わせから、そこに至るまでの一か月半に何があったか、四十年後の「大島渚全映画秘蔵資料集成、樋口尚文著編著・大島渚プロダクション監修」(国書刊行会)で初めて知ってね。黙ってはおれないと、事実を検証する気になったのが「日本の黒幕」事件の始まりです。

 なお、この章での大島さんの言葉や手記は、樋口氏の著書と、「大島渚著作集、四方太犬彦 編・解説」(現代思潮新社)からの引用です。


 高田が書いた「日本の黒幕」事件の原稿は昭和と令和、二種類の高田のシナリオと大島さんが書いたモノを比べて検証しているので書物一冊分くらいある。

 映画のスジは事件五の、京都「田舎亭」での大島さんとの打ち合わせ通り、政治を金と暴力であやつる暗黒組織の首領ドンとファミリーの血の戦いと破滅の悲劇です。

 高田が準備稿を書いた一か月半の間、大島さんとは会っていない。東京か海外に行ったと思いこんでいた。

 

驚いたことに大島さんは京都に居た。 

大島さんの手記を読めば分かる。


最初の打ち合わせから半月後(推定)。

「六月二十六日十七時、田舎亭、六十枚、以下、ストーリーの流れのアウトラインの描写につづいて、高田さんのホンがだいたいまたどんどんイメージを出し、意見を言うんだけれども、書いてくることはまたまたちがってくる、これはだめだと言う感じがだんだんしてくる」


 どう言うことや?

「高田は脱稿するまで、ぜったい、執筆中のホンを人手に渡したことはない」


 大島さんは京都に詰めて、主要スタッフの選定で、東映側、つまり、日下部の要求をはねつけ、自身の布陣でロケハンなど強引に進めて、後は、ギャラの交渉だけと、手記は強気に書かれている。

 

「東映に高田氏来て、シナリオ、九十枚、少し良くなっている、今泉と雅子の近親相姦の話出す、日下部氏、北大路欣也を出せという、営業」


少し、良くなっている?

つまり、良くなっていないモノを大島さんはよんで、意見を出した。

誰に?

東映に高田が来た?

明言しておくが、準備稿の執筆中に監督と打ち合わせはしない。まず、たたき台をつくって、それを読んで打ち合わせをする。

最初のシナリオには、監督以外、プロデューサー、時には俳優の意見も入るから。この段階で大島さんの意見を入れて書きすすめていたら、つまらないと、台本を叩きつけることにはならないはず。

 

 この手記は?

 大島さんの造り話?

 まさか、と、思うが、ミステリーとしか言いようがない。

 

 参考書籍の著者樋口氏は、

「人物の「個」に深く落とし込んだ作劇やダイアローグ創作は脚本家高田宏治の資質にはないもの」

と、断定している。

経験も年齢も、はるか上にある人間によう言えるな。

高田のブレーンは、相手にすることはないというが、「個に、深く落とし込む」とは、どういうことか。どの映画の大島脚本に、それがあるのか。説明するのが、批評家としてのスジ道やろう。

 

 この小文を書くに当たって、内藤君に電話で仔細を訊ねたところ、大島瑛子氏(実妹、大島プロ代表)から直ぐ京都へ行って大島のホンを書いてくれと電話で依頼があったとのこと、 

内藤監督談。

「高田さんの生の原稿、僕は一枚も見ていない、大島さんが語るのをシナリオ化して行っただけ、準備台本も目にしていない」

一緒に居たら、高田の執筆中の生原稿を見ているはずや。

 内藤君が大島さんと田舎亭にこもって書いたとされるホンを高田が目にしたのは、令和四年四月である。

 大島・内藤ホンは、スジの流れ人物配置など、高田の準備台本とあまり変わりはない。

 

高田ホンの何が気に入らなかったのか。

何を書こうとしているのか、まったく、分からない。

ここで、大島ホンの一部を紹介します。

 

ラストシーン。

主役のドンの葬式です。


 正夫(ドンを殺そうとして人柄にうたれ弟子になった少年)が一人で来る。

 懐中からピストルを取り出す。

 愕然とする人々。

 正夫、山岡(ドン)の遺影に向けて、ダーンと発射する。

 砕け散る山岡の顔。STОPしてーー

 エンド・マーク


なぜ、このシーンを引用したか? 

東映で、日下部で、高田のホンで映画を撮ろうとして、「仁義なき戦い」シリーズを観ていないとしたら、東映を、映画をなめているとしか言いようがない。知らない人がいるかも知れないので説明するが、「仁義なき戦い」一作目のラストシーン、親分の葬式で、

「弾はまだ残ってるがよう」

菅原文太の世に知られた名セリフ。

そっくりゃ。

織田信長が父親の葬式でもやってるし、いずれにしても、オリジナリティー、ゼロ。

プライドの固まりみたいな人が、どうしましたか、投げたのですか?

高田は言いっぱなしの批評はしない。

  

 正夫、ピストルを取り出す。

 愕然(※びっくりすること)とする人々。

 正夫、撃つ。

 ピュッーー

 水が遺影にかかる。

 水鉄砲やった。

 人々、ポカンとなる。

 正夫、冷笑を残して、去る。

 

吉本新喜劇と違うぞ。

痛烈な皮肉や。


 大島ホンが行き詰まり、締め切りを過ぎて正月興行に間に合わなくなって来て、

「平山総理を殺せばええでしよう」

しびれを切らした日下部が言った。

東映娯楽映画のルーティン。

 

大島さんは、目の前の座卓をひっくり返して東京に帰ってしまった。 

 

台本を叩きつけ卓袱台をひっくり返して、大島監督による東映の芸術祭参加映画は幻になった。

 

 この幕引きは、シナリオを共作した内藤君が目撃している。

説明すると、平山総理とはロッキード事件で総理の犯罪として世界に恥をさらした、田中角栄氏がモデルです。

この一連のドタバタは吉本新喜劇そのものや。

高田以外の被害者がいっぱい居てる。

一番気の毒なのは、内藤誠や。

東京から電話一本で呼び出され、可なりの期間、缶詰にされ一人取り残されて、

「金、持ってなくて、おふくろに電話して、新幹線代と当分の生活費、送って貰った、ひどい目にあった」

大島さんには生活に困った知人の監督をさりげなく助けたエピソードが美談として伝えられているが、内藤君のあつかい、最期まで監督としての期待を捨てなかった日下部に対しての儀礼、どう見ても、人として、あってはならない行為と言わざるをえない。


「高田よ、大島は下りた、時間がない、すぐ、ホンにかかってくれ」

「監督は?」

「土橋を呼んだ」

土橋亨どばしとおる、高田の「極道の妻たちⅡ」の監督をした若手の俊才である。

休暇中の土橋は張り切って撮影所にすっ飛んで来た。


ところが、


「佐分利さんが、若い監督では、この芝居はやりにくいと言ってる、降旗ふるはたに変える」

日下部はごく当たり前のように監督の首をすげかえた。


 何も言わず、降旗組のチーフ助監督として頑張ってくれた土橋亨、社員の身分ゆえの忠節か何とも健気で、内藤君も合わせて、小市民的カツドウヤの揃い踏み。

「思いきり、オーバーランしてくれ」

降旗監督には、大島渚には負けないぞ、との東映育ちの意地があったにちがいない。

火事場のクソ力、ギリ、正月映画として陽の目を見た映画「日本の黒幕」は、降旗演出、中島徹のカメラ、佐分利信さん以下の俳優陣の演技、イキサツを知ってかどうか、掛け値なしに異様な凄みがある。だが、「芸術祭参加や」とか、東映らしくない意気込みが空回りして、重く暗い映画になってしまった。

 

 令和になって、「今なら、こうする」、との構想はあるので、スカッとする壮大なスケールアクションとして再び書いてみたい思いはある。 


亡き、大島さんや日下部のためにも。


「大島さんはリッチやな」

日下部らしい感想。

そうではないはず、「戦場のメリークリスマス」が待っていたとは言え、内情は大変だったと察せられる。

赤穂浪士ではないが、殿さんのご乱行は家来だけでなく火の粉はあちこちに飛ぶ。

日下部は自分の非を認める男ではない。高田にはねぎらいも詫びの一言もなかったが、内藤監督を気の毒として東映京都作品の仕事を回した。

「高田さんには、食事に連れてもらったり、すごく、歓待してもらった、嬉しかった」

彼は東映定期採用の後輩に当たる。

大島さんの手伝いをするとき、高田のことを気にしたらしいが、やりがいのある仕事と思ったのやろう。多才な人で、著述や翻訳でも、現在も活躍している。

 

 以上、バカのつく、職人揃いの東映一家の楽屋話である。

実態を知って、アホらしいと思うたら、正常な人間やと自信を持ってええ。

 

 大島さん自身の「日本の夜と霧」についての後のルポがおもしろいので紹介する。

池袋の盛り場にある映画館、高田の旧作など上映してくれる、今でもある映画の聖地、文芸座で、「日本の夜と霧」は、何か月に一度は上映され、いつも満員であったと満足そうに書いておられる。

「映画が造られた当時は学生たちが深刻な顔でにらむように見ていたが、今では初めから笑い声がおこるようになっている、クスクス笑いから、爆笑、拍手と言うわけです、硬直した左翼用語や紋切型の態度を今の学生は笑い飛ばす自由を持っている」

 ーそれは、そうかも知れないー(高田)。

「残念なことに、ラスト近く、笑い声がたえてしまう、ゴリゴリのスターリン主義者の長々として演説がつづくからです、こうした人物が今の革新勢力の主流をなしている重い事実に突き当たる沈黙ーーところが、この沈黙を吹き飛ばす傑作な野次が飛んだと聞きました、

健さん、こいつを叩き斬ってくれ。

満場、一瞬呆気にとられたのち、拍手、喝采、大爆笑が起こったと聞きます」

 

 大島さんには悪いけど、高田は笑えなかった。

何度も見直し、笑えるところ、拍手が来るところを探した。

高田がいやと言うほど耳にした、反動、革命、戦線などの学連用語が連発されるが、訴える力のない舞台劇の口調で、独りよがりの滑稽さはあるが、二百七分の大島渚の言葉の洪水に辟易して、

「健さん、叩き斬ってくれ」。

斬れと言われたのは、大島さん自身かも知れない。

自分の映画にかける愛着の深さ、いじらしいほど。

 

 こんな純粋な人を利用して商売にしようとする東映のあさましい商魂は恥ずべきです。高田も同罪、その気になっていたから。



「映画は暴力とエロしか当たらん」

 プロデューサーとしての岡田茂会長の信念は東映の攻めの映画製作の原動力のはずであったが、一部上々の大企業の経営者になった人の変貌は所謂「東映調」を微妙に変えて行く。


「社長がウンと言わんやろ」

日下部からも、そんな言葉が出るようになった。

 

 大島さんについて、岡田さんがどう見ていたのか。

「社長、どう、説得した?」

日下部に聞くと、

「大島さんはカンヌのグランプリを喉から手が出るほど欲しがっている」

「カンヌに出すの?」

「商売がうまいから」

監督の手腕よりも、と、までは言わなかったが、そう、聞こえた。

  

樋口氏は言う。

「日本の黒幕」は、大島さんにオファーがあった時点で、脚本が未着手のうえ公開まで五ケ月を切っている突貫工事の企画であった、前年にカンヌ国際映画祭で監督賞をとったばかりの監督としては注目の次回作には格別の慎重さで臨むはずであり、このようなキャリアーを持つ他の監督ならばスケジュールを見ただけで一蹴したかもしれない、しかし、「ケツカッチン」の仕事こそやりたい放題の勝機ありと考えてきた大島はこの思い切ったオファーを面白いと感じた」


 カンヌで監督賞(「愛の亡霊」)を撮って満足気な大島さんの姿に、そんなに、賞が嬉しいのかと、いささか白けた記憶があるが、思うに、大島さんにとって栄誉以上の意味があったに違いない。

 

 良い映画を造りたいから。

 

 このところ、カンヌをはじめヨーロッパ系の映画の催しに、監督はじめ製作者が異常に入れ込む傾向がある。コンテストに出品する映画を決めるのは外人さんらしい。

五輪やサッカーでもややこしいから、信用となると?

それでも、賞にありつくとメディアが大仰に待ちあげるので商売にはなる。高田が購読している、日本で最大発行部数を誇る新聞の映画評や紹介欄など、「詐欺やで」、と思うほど褒めたおすので、ブレーン諸氏の意見を聞いてから観るようにしたら、観る映画がなくなってしまった。

 樋口さん、 

 批評の文化の堕落が原因やで。

 

その樋口氏の言葉で、「日本の黒幕」事件は、ジ・エンドにする。

「高田脚本では厳しいと判断して大島は東映側に内藤誠とのバージョンを見せ、この素案をもとに、笠原和夫、松田寛夫、神波史男、大和屋竺をたてることを求めたが果たせず、そのまま、内藤と脚本をすすめたが、結局、時間切れで頓挫する」

 

 映画ドン底のある時期、真冬でも風吹きすさぶ京都撮影所裏の寮で、博奕と酒で、笠原さんを親分格に、野上竜雄、村尾昭の両先輩、松田寛夫、神波こうなみ史男ら仲間と、遊びか喧嘩か分からない時を過ごし、辛酸、甘美、ない交ぜの時を共有した東映脚本一家や、笠原さんは言うにおよばず、松田、神波が話を受けると本気で考えたのか。

 

 映画監督として、大島渚の名が話題になったことは一度たりともなかった。

評価でなく、無関心と言うこと。

高田は何を得たのか?

何も得なかった、

それが、大きい何かを得たと言うこと。

 

 次は、「昭和の青春」を。

荒れに荒れた時代です。

映画の世界に入ったのも、偶然でした。

神がさだめた、偶然、それを、天命と言います。

青春の珠玉として、みなさんに、大事にしてほしいから。

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