事件五 祇園の暗殺者
事件五 祇園の暗殺者
京都八坂の社の東にある大鳥居を出ると祇園下河原と呼ばれる料亭や土産物の店でにぎわう通りがある。
「清水へ祇園をよぎる桜月夜、行き交う人のみな美しき」
春になると想いうかぶ与謝野晶子女史の名歌にさそわれ、清水坂へと向かうと、左手に目だたない木戸があり狭い石畳の露路をくねくね折り曲って行くと、高台寺、霊山寺、圓徳院などなど、安土桃山、江戸幕末へと日本の歴史で最も多く映画や芝居で取り上げられた時代の建物が東山を借景に立ちならんでいる。
今では「石塀小路」として観光名所になった、この露路の中ほどにある和風の旅宿「田舎亭」で、高田が脚本家として経験した、最大、最悪の映画の事件があった。
枯山水風の広い庭に小さな離れ屋がいくつか立ち並び、秘めた出会いに、どうぞ、と、迎えてくれる絶妙の隠れ宿で、品良い女将と女中さん、雑種の犬だけの静かさ、高田は仕事だけでなく、折ふしの秘め事、つまり、デートによく利用していた。
映画脚本作家として働きざかりの四十才半ば、時代劇から、任侠、実録やくざ、なんでも来いの脚本家人生で最も本数を稼いでいた時期で、
「日本の首領(監督中島貞夫)」、「北陸代理戦争(監督深作欣二)」で、第一回日本アカデミー賞にノミネートされ、「幸福の黄色いハンカチ(監督山田洋二)」に小さな幸せを持って行かれた、一九七八年の末のこと。遊びも仕事も長い付き合いの日下部五朗プロデューサーから裏社会の伝説的大物を題材にする仕事のオファーがあった。
児玉誉士夫氏(一九一一年ー一九八四年)、当時、存命であった。
国粋主義による愛国運動で知られるが、第二次大戦中、児玉機関を設立して軍需物資の調達や諜報活動に尽力して、戦後は政界に介入して総理を造る闇のキングメーカーと呼ばれる人物で、映画と言う娯楽であつかうのはかなりの冒険であり大衆の興味を引くかどうかも大いに疑問であった。
映画の題は、「日本の
「日本の
社員プロデューサーながら「仁義なき戦い」など卓抜の実績を持つ日下部は自分にしか出来ない企画と大見得を切った。
正月映画、芸術祭参加も考えている。
監督は、大島渚。
「えっ」、と、言う、感じ。
一九六二年、所属の松竹と喧嘩別れして、東映で「天草四郎時貞」を世に出し、記録的な大コケをした。
主演は東映時代劇の二枚目スター大川橋蔵で、大島さんは東映と言う新たな仕事場で映画を造り、自分を見捨てた古巣の松竹を見返そうとしたに違いない。
あえなく失敗して、以後、自身のプロダクションをつくり娯楽色の濃い小品を連発、一九七六年、満を持して勝負に出た、ハード・コアー「愛のコリーダ」で大成功して、世界の映画界に名を知られる存在になっていた。
その名声にあやかろうとしてのオファーならば、いかにも東映らしいが、気になったのは日下部プロの大島監督についての評価である。彼は「天草四郎時貞」の製作に進行係でついている。
「五朗さん、寮の風呂場で大島さんの話になって、あれだけ製作会社にも観客にも関係なく、自分の思うがままの映画を造る根性はすごいと言うたやろ」
「言うた」
「大コケして、企画の辻野さんら、大川社長から大目玉くろうた」
大川さんは東映初代社長、辻野さんは企画部の自分の上司、後に二代目社長になった岡田茂さんは製作部長で、その下にいた日下部もにがい思いをしていたはずで、
「名前だけで、商売でけんで」
「脚本の段階で注文つける」
「書くのオレや」
「打合せを綿密にして、大島の意図を上手く取りいれて書いてくれたら、納得させる、俺にまかせとけ」
押しの強い日下部なら、と、引き受けた。 大ヒット作になれば、大島渚の名声を借りて自分の株も上がる。日下部も同じ魂胆であったにちがいない。さもしい根性。
最初の打合せは、くだんの田舎亭で、会社が決めて、問題の人は離れでなく母屋に泊まっていた。
女将も犬も、気を利かせて初対面の顔で迎えてくれた。
ちょっと、ホッとした。
二階の広間で大きい座卓をはさんで浴衣にくつろいだ大島さんが当然のように床の間を背に座り、日下部が向かいあい、共同企画者の本田さんと高田が左右に控えた。
殿様に拝謁する家来のかっこうや。
大島、日下部、ご両人は旧知でもあり、この企画について予め話合いもあった様子で、大島さんはテレビなどで見る熱気をおびた口調で思い描く映画のイメージを語った。
戦時は影の軍隊として暗躍し戦後も日本の政治を金権と人脈で裏であやつる児玉誉士夫と言う人物のすごさは周知のこと。
本人や家族など脇役への大島さんの着想は娯楽性もあったから、今日は白紙で話を聞こうと本田さんと言い交わしていた通り、一言一句、神妙に承った。
ザックリ、ながら、要点を記すと、
児玉誉士夫のファミリードラマにしたい。
女性は、娘だけ。夫人は娘の母で暗い影を持つ謎めいた存在。
男は児玉を神と崇敬する門下生と、児玉を狙う暗殺者の美しい少年だけ。
ほか、雑談的に、娘が狂乱して踊る、童謡「赤い靴はいてた女の子」を歌い、終始、上機嫌であった。
何しろ、四十年近く前のこと、大島さんの発想と自分のものが記憶の箱にごちゃ混ぜになっていて正確な区別は出来ないが、暗殺者の少年を児玉が自分の分身として異常な愛をそそぐ発想は、現実に左翼政党の領袖を暗殺した山口二矢少年に衝撃を受けた自分の構想にもあった。
山口は自衛隊員の父を持つ十七才の学生で拘留中に、「七生報国、天皇陛下万歳」と壁に書き残して自殺した。
あの忌まわしい戦争のさなか、小学生の高田は朝な夕な天皇を神として拝むことを強いられ、近所の知り合いや友達の父兄が天皇の名のもと始まった戦争で死に行くのを立派なこととする大人たちをうたがうことはなかった。
敗戦の後、天皇は自分と同じ人間と教えられ、天皇などなくても良いと声高に言う教師もあって、一体、どっちやと、子供心に腹立たしく苛ついた記憶がある。
天皇の二文字はエンタメとしての映画では禁句である。
ドラマにしようがないから。
「日本の黒幕」では、どうするか。
今の若い人たちは天皇ご一家をアイドルのように親しみをもって観ている。
あまり関心がないのかも知れない。
触れないでおこう。
高田も逃げた。
結果として、その曖昧さが、高田脚本の説得力の弱さになった。
結論から言うと、この映画のシナリオは
高田が書いた準備稿と、
大島さんと内藤誠監督の共作のモノ、
最終的に監督が降旗康男に交代して高田が完成した撮影台本、
合わせて三作ある。
実を言うと、高田は大島さんと初対面ではなく、京祇園の別の宿で深作欣二監督と仕事をしているときに紹介されたことがあった。 四条花見小路上る、北へひと路、観光客に人気の辰巳稲荷があり、小橋に立って白川の上流に目を向けると、右手に流れすれすれの出窓を持つ黒板塀の家がある。
抒情の歌人、吉井勇が、
「かにかくに祇園は恋し、寝るときも枕の下を水の流るる」
と、詠んだ、正に、その宿で、歌舞伎の役者や地方の定宿で、映画関係者も使うようになり、大島さんや深作欣二さん、高田も、と、言う成り行きであった。
そのころ、初夏、白川は蛍が乱舞してね。
宿の主室十二畳の間には池があり、
蚊帳をつると蛍がいっぱいとまって、
想像してください、
みなさんなら、誰と一緒にいたいと思いますか。
高田は、いつも、深作さんでした。
残念、たぶん、作さんも。
「仁義なき戦い、完結編」「赤穂城断絶」「資金源強奪」「復活の日」みな、ここで書いた。
作さんはホンに厳しく、常に、骨身を削る戦いで、気に入る直しのアイデアが出ないとどこでも寝てしまう。
パチンコで時間つぶして、ヤケクソで、男の役を女にかえたらどうや、と、言ったことがある。
それや、と、作さん、飛び起きた。
観客は最悪の不入り、だが、高田は、深作欣二の最高傑作、と、信ずる「北陸代理戦争」でのこと。
麻雀、酒、映画を二人で観たり、楽しかった、最高の思い出の一つです。。
大島さんに紹介された日、作さんと京極をあるいていて、大島さんと飲もうと金を出し合ってワインを買った。
「ボクはこんなワインのみません」
あっさり。
アイソもクソもない。
この人とは、付き合いたくない、付き合うこともないやろうと思った。
それなのに、こうなるとはーー
一回目の打合せのあと、食事に出た先で、大島さんは、高田の脚本で世に出た映画の中で、「三池監獄凶悪犯(監督小沢茂弘、主演鶴田浩二)」が面白かったと激賞してくれた。
嬉しいと言うより、驚きが先にたった。
たいがいの映画関係者は挨拶代わりに、多少でも話題になり、興行成績も良かった作品を取りあげてくれる。
問題の映画は、明治の世、重い刑の囚人を収容する九州三池の集治監で一生海底の炭鉱で労働させられる生き地獄が舞台である。
一人のやくざが仲間を惨殺した獄吏たちを皆殺しにする残虐なストーリーで、あまり評価もされず、客も入らなかったが、主演の鶴田浩二の芝居は鬼気迫るものがあって、自分は気に入っていた、
「書くの、しんどかったやろね」
「炭塵が鼻につまり、急性の喘息になりました」
大島さんは確かに観ていた。
笑いと涙、それなりの情感のある他の任侠モノとは異なり、脚本家、監督、俳優、スタッフ、お客さんまで、地底に閉じこめる異様な暗さがある。一言で言って、楽しくないのだ。推測だが、主演の鶴田浩二が従来の型にはまった芝居に飽いて、俊藤浩滋プロデューサーに持ちかけたみたい。
準備稿が出来た時、俊藤さんは高田を連れて東京撮影所で仕事中の鶴さんに会いに行った。めったにないことで、俊藤さんにも迷いがあったにちがいない。わずか十分ほどの面談。台本を読みこんでいた鶴さんは、立ち上がって、高田が書いたセリフを、持前の流麗な
「お前たち看守が人間なら、おれたち懲役も赤い血の通った人間なんだ、一体、どっちが正しいか、誰がどうやって決めるんだ」
映画を観ればわかるが、日本映画界きっての二枚目が泥まみれの裸身をさらし眉毛を潰し丸坊主で体当たりで演じている。
死を覚悟のこの決めゼリフは、生で味のない、作家として自慢できるモノではないが、人間対人間の生存をかけた戦いに正邪があろうはずがなく、極貧のどん底から這いあがって銀幕のスターに上り詰めた鶴田浩二の、まさに、傷だらけの人生から出た啖呵である。 高田も、この地獄から早く抜け出したいと口から泥を吐き出す思いで書きあげた、文字通りの労作。
鶴さんは高田の手を握って、ありがとう、と、一言、だけ。
その後、「日本の
大島さんも、多分、この決めゼリフを気に入ってくれたのだと思う。
高田はセリフに凝るほうで、それなりに、世に知られた啖呵もあるが、
「これを、書いてしまえばおしまい」
殺しあいで決着するヤクザモノの啖呵として、ほかに何がある。
鶴田浩二のほか、だれが言える。
今度の映画、「日本の
「鶴さん、使えないかな?」
日下部に言いたかったが、俊藤さんの向こうを張った日下部の企画であるから、あきらめるしかなかった。
執筆に与えられたのは、二か月、文書による資料、写真などは本田さんの尽力でととのっている。
大島さんは多忙で日本をはなれることが多く、初稿を上げて、それからの勝負と日下部は言う。つまり、本台本への叩き台を早く作れと言うこと。
再会は、場所は同じ田舎亭の母屋の座敷。 大島さんを正面に、日下部、本田、自分が同じ位置、かなりの緊張で対面した。
前回と違うのは、大島さんの前に、準備用、とある刷りたての台本が置かれていること。
日下部の第一声、
「高田が良いホンを書いてくれました」
大島さんの第一声、
「こんな、つまらないホンで映画がとれるか」
つまらない、と、言ったか、くだらん、だったか、定かではないが、
浴衣の袖から朝湯上がりの血色鮮やかな手がのび台本をつかんで
座卓に叩きつけた。
バシッ、
音は未だ耳に残っている。
何が起きたのか、ただ、唖然。
東映側は凍りつき、大島さんは頭から湯気を立てている。
初稿は準備用とあるように決定稿への叩き台だが、机に叩きつけるものではない。
会社、主演俳優、監督の意向で一から書き直すことも珍しくなく、高田は直しでシナリオがガラリと良くなるとの自慢にならない評価もあり、当然、大きい書き直し覚悟の二度目の出会いであった。
任侠映画の俊藤浩滋さんの企画による仕事など、
「あかんな」、
の一言で一から出直しになることもあったが、飯でも食うて話そうか、と、労わりがあり、台本を叩きつけるとは、武士なら刃傷沙汰になるところ。
テレビの討論会で突然ぶち切れる大島さんを、てっきり、演技と見ていたが、もろ、性癖と知って、腹が立つより呆れかえり、張り詰めていた気が抜けて、ポカンと。さぞかし阿呆面であったと思う。
気がついたら、小柄な本田さんが背後から身を寄せ、高田の腰のベルトを必死につかんでいる、
「高田君、出よ、五朗に任せて」
撮影所の女子寮に乱入したチンピラを大立ち回りで叩き出した高田を知っているから、
「よう、我慢してくれたな」
常識人の本田さんは怒りで声がふるえて、
「五朗も、だまっとらんだろ」
結論ーー非常識人の日下部は、大島さんを取り、あっさり、高田を切った。
京都と言う町は花街が五か所あり、四条通りの東のドン付き花見小路をはさんで祇園甲部、乙部(東)があって飲み食いの店がかたまっている。
事件、の、当日、とにかく、独りになりたく、未だ、陽は高かったのでサウナでマッサージをしてひと眠りした。
京都撮影所の裏に東映寮があり、独自の仕事場を与えられていたが、本田さんの報告を聞いた企画部長らが興味津々待ち受けているに違いなく、兄貴分笠原和夫や舎弟分の脚本家松本功ら仲間の失敗を酒の肴にする先輩後輩の同情顔の揶揄にさらされるのはかなわない。
深夜まで時間をつぶして、祇園乙部、路地裏にあるスナックを訪ねた。
マスターの名は浦野英一、芸名はタンクロー。
ちんちくりんの漫画顔、能登半島の端から映画スターになる夢を抱いて日本映画発祥の地京都に出て来て、たまたま、高田と知りあい、ちょい役で出してやってから、親と呼び、高田のためなら例え火の中水の中でもと本気で放言していた。
「大島さんと組んで、大作をやる、出れるよう、五朗さんに頼んでやる」
「殺し屋、やりたい」
役名が、A、B、C、で、大衆と呼ばれるちょい役ばかりであったから、殺し屋なら一人芝居で目立つとの魂胆、故郷への錦の土産になると言う。
「分かった、まかしとけ」
胸をたたいて、ほんのひと月、脚本、下ろされた、五朗さんに裏切られた、と、言えば、どんな顔をするか。
店に入ってから、タンクロー、一言も口をきかない。看板の灯りも消えて、グラスなど綺麗に片づけてある。
「どした?」
「今から、行きます」
「どこへや?」
「大島の命、取りに」
「何に?」
「せんせの脚本、投げたと聞きました、ゆるせん」
手ぬぐいで巻いた出刃を掴んだ。
「ながいこと、お世話になりました」
ドアを開けて出ようとする。
「止めんかい」
「なんでや、親が顔潰されて、子がやり返すの、あたり前でっしゃろ」
「あたり前やない、俺に言うて、やったら、俺が殺人教唆で主犯になるんや、やるなら、だまってやれ、それが、子分のスジ道や、任侠もん、いっぱい、見て、分かってるやろ」
怒りながら、バカらしくなった。
憤懣は、大島さんより、日下部に向かっている。
「殺るなら、日下部を殺れ」
と、言いたかったが、先々の仕事に差支えがある。
世の中、ザラにあることや、と、なだめたが、タンクロー、嗚咽しながら、カウンターに小指をおいて包丁を押しあてている。
芝居のつづき?
「わし、本気でっせ」
チンピラは、たいがい、ええカッコして、引けんようになって、ヤクザの深みにはまって行く。
「わかった、俺も悔しいんや、大島や、五朗さんにやない、乗ってた、仕事、できんようになったんが」
「センセ」
号泣、これ、芝居やない。こっちも、泣けて来た。
一本の映画にかける思いは、タンクローみたいな端っこにおる者んも同じや。
それにしても、
「今日のこと、なんで知ってる?」
「祇園中、評判です、大島がセンセの脚本叩きつけたの」
京都は、やっぱり、映画の都や。
タンクローは、後に降旗監督に起用され、「日本の黒幕」で念願の殺し屋で出演している。店に近い祇園新橋のロケ、彼が宣伝したのか、大勢の黄色い声援、男の花道やった。
良い嫁さんをもらい、可愛い娘も出来て、店を大きくすると言うのでいくばくの金を出してやった。
高田は東京に仕事場を移し、「鬼龍院花子の生涯」、「極道の妻たち」と、新たな東映女性路線で多忙な日々が続き、何年も会ってなかったが、ある日、タンクローの嫁さんから電話があった、
「先生、タンちゃん、死んだ」
元々、持病があって、医者から無理をしないよう言われていたが、嫁さんが手伝うと言っても、女は家を護れと頑固に独りで仕事をして、撮影所から声がかかると、どんなちょい役でも喜んで役者をつづけていたらしい。
高田が日本アカデミー賞に何度かノミネートされ、賞状を見せると、自分も(賞状を)欲しいと言う。
「これ、脚本賞やで」
「わしの親やと、みんなに自慢しまんねん」
京の山科に小さな家を買って、玄関に飾ってあって、
「うちに来た人、おたくの旦那さん、えらい人やねんな、と、みんな、びっくりしやんねんで」
嫁さんが笑って言った。
アカデミー賞日本版、もらって良かった。
事件の結末は、大島さん自身がシナリオを書くことになり、東京から親しくしていた監督の内藤誠を呼んで、「田舎亭」で共作と言うか、大島さんの語りを内藤君がシナリオにする作業をしたが、行き詰まり、日下部との最後の話し合いで卓袱台返しをして東京に帰ってしまい、
大島監督による「日本の黒幕」は幻になった。
この間のイキサツは、大島渚と言う、未だ熱烈な支持者がある映画監督の本質が見えて極めて興味深く、大島、高田、二通りのシナリオを題材にして、様々な資料や証言を参考に、善き映画を造るには、どうすればよいのか、高田の視点でみなさんにお話しようと思ったのが、このカクヨム投稿の最初の目的であった。だが、あまりにも、(内容が)プロ向きで、高田のスタッフから、
「六十年の高田のクロニクルには くだけたおもしろい話がいっぱいあるから」
と言われ、事件一から四まで、投稿して、
やはり、ガマンできず、
ほんの序の口ですが、ご披露しました。
映画にかけた一生に悔いはなく、この年になったら、誰に気がねする事もないので、思いつくまま気の向くまま、気楽にお話しします。
もし、早く、大島さんとのことを聞きたいと思われるなら、コメントなり、いいねをしてください。ありがとう。
つづく。
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