事件四 嵯峨野の夢

事件四 嵯峨野の夢 


 京の四条花見小路のあたりには町屋に埋もれるように隠れ宿がいくつもある。

 その何軒かと会社は契約していて締め切りに間に合うよう作家をカンヅメにして書かせるが、祇園町と呼ばれるあたりの宿は夜ともなるとお茶屋の二階あたりから三味線の音がもれ聞こえ、カランコロン、と、舞妓のオコボが石畳にひびき、よう、おこしやす、と、誘いかけ、作家先生の中には京都まで来て仕事が出来るかと、遊びほうけ、締め切りになって原稿を貰いに行くと白紙のままのこともあって、


「よう、見張っとけというたやろ」

 プロデューサーに叱られ、

「クランクイン、のばしてください」

「わしのクビがとぶ」

 作家と一緒に遊んでたの誰や、と、言いたかったが、

「給料、返します」

「なんぼもろてる?」

「一万五千円です」

 一年で、ちよっと、昇給していた。

「製作費、一千万や」

 月賦で十年かかる。

「代わりに書け」

「無理です」

「東大出てるやろ」

「東大でシナリオなんかなろてない」

 それでも、一晩で書き上げた。

 第二東映が本格的に動きだして、門前の小僧と言うか、シナリオの筆法は身につけていたから、出だしの十枚もあれば筋書きは分かる。

 中には、神社の境内、ラブシーン、よろしく、立ち廻りよろしく、ラストは目出度しでよろしく、と、最初から他人の直しをあてにする作家もあったから、好きなようになおせる。

 祇園のはずれの宿の二階に高田がカンヅメになり、作家が書き上げたシナリオをプロデューサーと監督、主演俳優のマネージャーが読んで意見をまとめ、原稿がだけが二階に上がって来て高田が手直しをする作業で十本以上書いたと思う。

 自分の仕事として世に出たのはテレビ向けの映画「白馬童子」で、年二十四本の世界記録を持つ結束信二先輩の後を受けて「柳生武芸帳」シリーズで、一本立ちして、「忍者狩り」や「十兵衛暗殺剣」などニューウエイブとされる時代劇映画が批評家に思わぬ評価をされた。

「シナリオで食べて行こう、ここ一番、勝負の時や」

 東京で待ってくれていた女(ひと)と結婚して撮影所に近い嵯峨野の地に居を構えた。 

 東映に辞表を出してフリーになったのはこの時期で、一本二十五万円、年五本の保障があったからわるくない。

 同期の友人たちは、高田は勇気がある、と、呆れたらしい。

 理由はスターシステムの東映映画にかげりが見え、欲がらみで立ち上げた第二東映の経営が思わしくなく会社そのものが危機にあったからで、オレが何とかしてやる、くらいの気持ちでいたが、人員整理の労働争議で京撮の映画製作がストップして仕事そのものがなくなった。

 子どもが生まれて流石に焦った。

 京都市内にテレビ向けの映画を造る小規模プロダクションがいくつかあって、恥をしのんで売り込み、最大手のN社の一時間ものの仕事を貰った。

 食うため食わすため、必死の気合で書いて社長が絶賛してくれて、引き続いてと言うことになり胸をなでおろしたが、一本書いただけで下りてくれと言われた。

 大阪電通から高田には書かすなと通達があった、OBの作家からクレームがあったらしい、代理店ににらまれたら会社はもたない、実力はみとめるがこらえてほしい。

 社長は頭を下げて過分のギャラをくれた。

 テレビ映画で生活する作家が映画の仕事がなくなったからと割り込もうとする理不尽者を許すはずがない。

 仕方なく身を引いたが、とうとう、行き暮れてしまった。

 東映は抜け目なく朝日新聞社などと共同出資で日本教育テレビ(テレビ朝日、現)を設立していた。

 京撮から大勢の所員が転勤になり、先輩や仲間の送別会で、後を頼む、京都の映画の灯を消すな、と、涙で言われた。

 今では考えられないことだが、映画製作の現場から東京のテレビ局に移るのを都落ちと嘆く思いはみなにあって、高田も誘われたが断った。

 映画ではなく京都に強い拘りがあった。

 千年の古都の文化の息づかい、逃げたら終わりや、理屈にならない物書きの意地、本気でハラをくくった。

 元々、病弱な妻と子ども東京の実家にあずけて、拾い喰いの仕事でしのぎつつ、劇場用の映画が書きたく準備をすすめていたが、思いがけなく、N者の社長から呼び出しがあって、子ども向けの連続もののテレビ映画を自社で製作する。儲かったら配当を出す。シナリオは任せる、と、言うので即座に引き受けた。

 社長が気にかけてくれていたと分かり嬉しかったが、どうやら、経営が苦しくなっていたみたいで、一話目のデモフィルムを持って

社長と同行して、東京のテレビ会社に売り込みの営業をしたが、なかなか、上手く行かない。高田も生活がかかっているからなりふり構わず頭を下げ、映画の仕事で知り合ったテレビ業界にも顔の利く大物演出家をたずねて力になってほしと頼むと、

「スポンサーは殿様、悪代官は代理店、テレビ局はその妾である、弱小プロダクションは百姓である、血を吸い取られて見捨てられるのが落ちである」

 本道の映画にもどれ、それが、君の使命だときつく諭された。

 妾の例えは女性を侮辱するようで申し訳ないが、思い当るフシはあり、がっかりしている社長に、

「百姓に吸いつく作家は、蛭や、どうせ、吸いつくなら、妾の足にしたる」

 2クールの予定を半分にしてシナリオを書き上げ映画を造って、安い買値を提示していたテレビ局に社長は売った。一時しのぎにはなったみたいで、シナリオのギャラは払うとの社長の言葉を信じて、その年の大晦日、会社に出向いた。

 スタッフ、俳優、取引のある業者などが集まって異様な雰囲気で、聞くと、社長以下幹部が入金を待っている。どう、配分するか会社の出方しだいでは血の雨が降りかねない。

 物騒な話や。

 帰ろうかと思ったが、素寒貧の文なし、正月を迎えるのにせめて聖徳太子一枚でもほしい。巨額配当の夢などどこへやら、他の債権者の目をぬすんで、そろっと、社長らがいる事務所にちかづいた。物陰から手を降る人影が見えた。高田にだけ先に渡してくれと社長に言われた。事務員の声が天女のささやきに聞こえた。

 約束のギャラは一本五万。その一回分の源泉を引いた四万五千円の小切手がたしかに手の中にある。銀行の本店が午前中開いてるのは確認済み。嵐電に飛び乗り四条大宮から走って四条烏丸の三菱銀行で小切手の現金化を頼んだ。掛かりが奥に消えてなかなかもどって来ない。会社に電話した。

「入金がなかった、小切手は不渡りになる、会社はつぶれる、大勢が首つらんならん、買い戻してくれ」

 そんなアホな。

 血の汗が吹き出た。

 小切手を買い戻すのに手数料として百五十円とられた。

 もはや、蛭以下。

 人間、こんな時に自殺するのか? 

 そんなこと思うヤツはぜったい死なん。

 嵯峨野の家にもどった。

 几帳面な妻は口に入れるものは歯磨き粉までかたずけてある。

 遊び好きの亭主は行きつけの宿で気楽に年を越しているに違いない。妻にそう思わせる自堕落は、この際、せめてもの気休めになった。

 年五本の保障の金は分割で銀行の口座に入っていて妻に渡してある。

 電気、ガス、水道は通帳から落ちるから凍え死ぬ心配はない。

 ハラは減る、何時も以上に。

 撮影所に近い食堂は六日まで休みで、家庭持ちの知り合いも近くに何軒かあるが、子たちに年玉もなしに食事にありつくのは気がひけた。

 水をのみガスストーブをつけて居間に椅子をおいてテレビのプロレスを見た。力道山が大男の外人レスラーに空手チョップを叩きこむ。何時もなら、ヤレと声が出るのにハラに力が入らない。ウトウトした。空を飛ぶ夢を見た。身体が浮いている。何かおかしい。目を開けようとしても瞼がうごかない。立てない。におう、ガスやーー

 クビをねじったら、椅子の足がガス管をもろにふんでいるのが見えた。

 あかんーーと、思ったが全身がしびれている。

「脚本家ガス中毒死、孤独、絶望」

 新聞記事がもうろうとする意識の中に浮かんだ。椅子ごと転んで、ガラス戸を叩き割って庭にクビを突き出して空気を吸った、と、言うか、喰った。

 我ながら惚れ惚れする生への執着。

 朝まで、そのまま。目覚めると、否、生き返ると顔に雪が積もっていた。

 九死に一生、と、言うが、この事件こそ、高田の人生で最悪、最高、一度入った棺桶からの足抜け、一人芝居だが。

 食おう、何でもよい、消化出来たら、それから、新しい年と向き合おう。

 当時の嵯峨野あたりはほぼ田んぼか原っぱで、嵐山は遠望が利いて百人一首で知られる小倉山がこんも丸い雪化粧で美しく、雪まじりの愛宕下ろしは肌を突き刺す痛さながら全てが快感になった。

 目当ては御池通りの鴨川に近い京都ホテルでベテラン作家の高岩肇さんが常宿にしいてフロントスタッフと親しかった。ホテルならつけが利く。電車賃がないので歩かねばならない。三日食べてないので、

「脚本家、行き倒れ、哀しい元旦」

 映画作家の変なクセ、何かあると新聞記事にして自分を見る。

 自作の映画をボロクソに言われた怨みがあるのか、小さい男や。

 三条通りへの手前に嵐電の有栖川の駅がある。

 元旦なのに辺りは田舎でひっそり静か。

 なんと、道端で大原女おおはらめのなりをしたお婆さんが美味そうな太巻きを売っていた。


 一巻き百円の値札が、いらっしゃい、と、風にゆれている。


 ポケットを探ったが小銭だけ。小切手と名の付く紙屑の釣り五十円しかない。

 目をつむって、通りすぎた。

「お兄さん」

 お婆さんが呼び止めた。太巻きを竹の皮にくるんで差し出している。手のひらの小銭を見せてかぶりを振った。

「ひとりやの?」

「はい」

「さびしいね」

「妻と子はいます、遠くやけど」

「なんぼ、ある?」

「五十円です」

「まけとく」 

 お婆さんが空いた方の手を差し出した。

 平等院鳳凰堂の出来たてほやほやの銭を五個一枚づつ拝むように手のひらにのせた。

「なにがあったか、しらんけど、こらえてな、男の一生は、一本道やし、きばりなはれ、きっと、ええことある」

 

もう、一本、足してくれた。

 

おかげで生きのび、八十九才の、今日、未だ映画とともに生きている。

                   

                               つづく。

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