22

 真っ暗な部屋に、ボクはぽかりと浮いていた。

 真下を見ると、いぎたなく眠りこけているボクがいる。おいおい、初めて伺ったお宅でそこまで無防備に眠って大丈夫なのか、とツッコミを入れつつも、辺りを見渡す。

 ドアが目に入ると同時にボクのからだはドアの前に引き寄せられるかのように浮いていた。手を伸ばすと手はドアを通過し、そのままボクはからだごとドアを突き抜けた。

 普通ならば、たとえ夢だとしてもなかなか気味悪い状態ではなかろうか。しかしこれ……幽体離脱は、ボクにとっては幼い頃から頻繁に体験していることで、こう言っちゃなんだが慣れている。この状態で何をどうすれば移動できるとか、すべて理解している。

 ボクは暗い廊下をゆっくりと、ふわふわと進んだ。ボクの肉体が眠っている部屋の隣の隣、一際威厳を感じる彫刻が施された一枚板のドアがある。ボクは導かれるようにドアに手を触れ、いつものように中にするりと潜り込んだ。

 ドアに鍵がかかっていても問題ない。この状態のボクは、大体どこにでもいける、入れる。

 幽体離脱のおかげで、小さい時は相当母さんを悩ませたし問題を起こした。中学生の時はクラスメイトに窃盗の罪を被せられたものの、真犯人を捕まえるのにこの幽体離脱を使ったがために「薄気味悪い奴」として、孤立する羽目になった。まぁ、元々孤立していたし人間は苦手だから問題なかったのだけど。

 入った部屋は、書斎なのだろうか。壁に沿ってうすぼんやりと書棚が浮かび上がる。重厚そうな木のデスク。窓にかかったカーテンが、風もないのに翻って月明かりが部屋に差し込む。

 ボクは見るともなしに書棚を眺めていた。古そうな、価値のありそうな本が並んでいる。へぇ、ラヴクラフト全集だ。手に取れないことが残念だけれども、見た感じでとても古そうなその全集はしかし、きちんと薄紙のカバーがかけられていて大切にされていることが窺える。

 ボクはふと人の気配を感じ、デスクのほうに振り返った。思わず小さな悲鳴をあげそうになるが、幽体離脱中は声が出ないことを思い出す。

 ボクの様子に気がついたのか、その人はボクのほうにゆっくりと顔を向けた。

 眼光の鋭い八十代くらいの女性だ。髪は白髪で真っ白、淡いピンクのセーターとツイードのパンツがよく似合っている。お洒落な印象の人だな、と思った。

 彼女と目が合う。厳しい光。けど、怖くはない。彼女はボクに、手に持っている文庫本の表紙を見せてくれた。その左手人差し指に、指輪が嵌っているのを見て驚く。あの指輪だ。獅童さんが「石を読め」と渡してきた、あの、ムーンストーンの指輪だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る