第六章 ヒント
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つい数時間前にいた場所に、再びいる。獅童さんはボクを気遣ってなのか機嫌が悪いのか、しかめっつらで運転していた。
けど、怒ってるわけじゃないのはわかった。ボクのシートを倒し「少し眠れ」とブランケットを掛けてくれたから、彼なりに気遣ってくれていることがわかった。
ボクは心身ともに疲弊していた。そりゃそうだ。自分のアパートが火事で燃えて、大切なものを失いそうになって、大家の下田さんとくんずほぐれつで組み合った。普段はしない肉体酷使に、限界寸前だったのだ。
それでも眠るものかと必死に目を開けていたけれども、獅童さんのスムーズな運転と高級車のシートは、いともたやすくボクを眠りの中に引き摺り込んだ。
気がつけば再び獅童さんの大叔母さんの家に着いていて、獅童さんは大切なものを扱うように、ボクが店から預かっている段ボールを持ってくれた。
そして今、再び獅童さんが淹れてくれた熱い紅茶を啜りながら、ボクはどのタイミングで彼にお礼を言うかを考えあぐねている。獅童さんはリビングの隣にあるというキッチンで、夜食らしきものを作ってくれている、らしい。
「待たせたな。とりあえず簡単なもの作ったからこれ食ったら寝ろ」
乱暴に観音開きのドアを足で開き、獅童さんが銀のトレイに何やら乗せて入ってきた。美味そうな香りに鼻がひくつく。
「よく噛んで食えよ、足りなかったら言え」
「いえ、充分です。ありがとう、ございます」
トレイの上にはサンドイッチが乗っていた。コーンビーフサンド、ツナサンド、ハムチーズサンド。なるほど確かに、火も使わずすぐにできるものばかりだ。
ボクは恐る恐る手を伸ばす。端っこのサンドイッチを手に取り「いただきます」と頭を下げて一口食べた。
「……うまっ!」
「うまいか」
「はい! おいしい、です」
ボクが取ったのはハムチーズサンドだった。が、ハムもチーズもボクが今まで食べつけてきたものとは明らかに味が違う。何より、パンが違う! もっちりとした歯応えに、外側は少し固めで、ほのかな小麦の香りがする。ボクは思わず目一杯空気を吸い込んだ。
「何やってんだお前」
「あ、いえ、その、パンの匂いがすごく、良くて」
獅童さんの声に思わずどもりながら返事すると、彼はふっと口角を上げた。
「パンは美味いのを取り寄せてるからな」
「そうなんですか」
またしても住む世界が違うことを思い知らされる。ボクはスーパーの値引きシールが貼られたパンか、個人店の閉店間際のセールでパンを買うのが関の山。きっとハムとチーズも、スーパーとかじゃなくて専門店で買ったものなのだろう。
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