第六章 ヒント

20

 つい数時間前にいた場所に、再びいる。獅童さんはボクを気遣ってなのか機嫌が悪いのか、しかめっつらで運転していた。

 けど、怒ってるわけじゃないのはわかった。ボクのシートを倒し「少し眠れ」とブランケットを掛けてくれたから、彼なりに気遣ってくれていることがわかった。

 ボクは心身ともに疲弊していた。そりゃそうだ。自分のアパートが火事で燃えて、大切なものを失いそうになって、大家の下田さんとくんずほぐれつで組み合った。普段はしない肉体酷使に、限界寸前だったのだ。

 それでも眠るものかと必死に目を開けていたけれども、獅童さんのスムーズな運転と高級車のシートは、いともたやすくボクを眠りの中に引き摺り込んだ。

 気がつけば再び獅童さんの大叔母さんの家に着いていて、獅童さんは大切なものを扱うように、ボクが店から預かっている段ボールを持ってくれた。

 そして今、再び獅童さんが淹れてくれた熱い紅茶を啜りながら、ボクはどのタイミングで彼にお礼を言うかを考えあぐねている。獅童さんはリビングの隣にあるというキッチンで、夜食らしきものを作ってくれている、らしい。

「待たせたな。とりあえず簡単なもの作ったからこれ食ったら寝ろ」

 乱暴に観音開きのドアを足で開き、獅童さんが銀のトレイに何やら乗せて入ってきた。美味そうな香りに鼻がひくつく。

「よく噛んで食えよ、足りなかったら言え」

「いえ、充分です。ありがとう、ございます」

 トレイの上にはサンドイッチが乗っていた。コーンビーフサンド、ツナサンド、ハムチーズサンド。なるほど確かに、火も使わずすぐにできるものばかりだ。

 ボクは恐る恐る手を伸ばす。端っこのサンドイッチを手に取り「いただきます」と頭を下げて一口食べた。

「……うまっ!」

「うまいか」

「はい! おいしい、です」

 ボクが取ったのはハムチーズサンドだった。が、ハムもチーズもボクが今まで食べつけてきたものとは明らかに味が違う。何より、パンが違う! もっちりとした歯応えに、外側は少し固めで、ほのかな小麦の香りがする。ボクは思わず目一杯空気を吸い込んだ。

「何やってんだお前」

「あ、いえ、その、パンの匂いがすごく、良くて」

 獅童さんの声に思わずどもりながら返事すると、彼はふっと口角を上げた。

「パンは美味いのを取り寄せてるからな」

「そうなんですか」

 またしても住む世界が違うことを思い知らされる。ボクはスーパーの値引きシールが貼られたパンか、個人店の閉店間際のセールでパンを買うのが関の山。きっとハムとチーズも、スーパーとかじゃなくて専門店で買ったものなのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る