18

 人の声は不協和音だ。子どもが泣いている。怒声、誰かに指示を出している男性の声、女性が泣き崩れている声も聞こえる。

 ざわざわとする気配に怯みながらも、ボクは人混みをかき分けた。

「きみ、ここから先は近づいたらダメだ!」

 規制線が貼られているところで、ボクはラガーマンみたいに体格の良い消防士に阻まれた。頭がズキズキと痛む。黒煙がもうもうと上がっているのが見える。考えたくない、怖い。けど、行かなければ。

 ボクはかろうじて出た声で尋ねた。

「どこが燃えてるんですか」

「路地奥の大山アパートだ。きみ、住人か」

 ボクは意識が飛びそうになるのを懸命に堪えた。噛んだ唇の端が切れて鉄の味が口中に広がる。

「はい、そこの一階の住人です」

「鎮火するまでここで待っていなさい」

「そんな」

 思考が現実を少しずつ認識する。様々なことが頭の中に閃いて、ボクはパニック寸前だった。

 コレクションの水晶たち。バイト先から預かっている原石。電動やすり。大学で使う教科書類に母が持たせてくれた鉄のフライパン。

 大学のレポートはノートパソコンの中だから大丈夫、ノートパソコンはいつも持ち歩いている。

 あ、先月の給料の残り。招き猫の貯金箱に入れておいた。あれでドーナツを買おうと楽しみにしていたのに。

 思わず走り出しそうになったのを後ろからはがいじめにされた。いやいや、行かせてくれよ。ボクのコレクションが、預かってる原石が焼け落ちてしまうのだけは避けたいんだ。

「黒水くん!」

 その声にふと振り返ると、泣きそうな顔の中年男性がボクの腕に縋り付くように立っていた。大家の下田さんだ。

「黒水くん、大変だ。火事だよ、焼けちゃったよ」

「下田さん」

 見ればわかるんだそんなこと。言葉でさらにダメージを加えないでくれ。

「なんで。どうして」

 声が震える。ああ、ボクの様々な宝物。小さなアンティークのティースプーンも、骨董屋で見つけた小さな地球儀も、玄関の守り神に置いてたアメジストドームも、全部燃えちゃったのか? 跡形も残らないのか?

「黒水くん、どうしよう」

 下田さんの震える声が耳を通り抜けたとき、ボクの鼓膜は普通の人間には聞こえない声をキャッチした。水晶たちの、可聴範囲外の叫び。

「う、わ、わぁぁぁぁ!!」

 からだが跳ねた。行かなくちゃ。救わなくちゃ。

「黒水くん、ダメだって!」

 下田さんは柔和で細身、いつも気弱そうな笑みを浮かべている人で、そんな人の腕とは思えないほど強い力でボクは止められた。

「もうじき鎮火するよ! それまで待とう、ね?」

「離してください! ボク、行かなきゃ!」

 くんずほぐれつのボクらを、近所の人たちがわらわらと寄ってきて遠巻きにする。耳の奥で水晶の音がキーンと響く。

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