第五章 ありえない
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獅童さんの車に再び乗り込む。あたりはすっかり暗くなり、西の空には夕焼けの名残かほんのりとしたオレンジ色。金星の光が強い。南天に向かうにつれ紺色が濃くなっていく空にはそこかしこに星が輝き始めていた。
獅童さんは何も喋らない。音楽もなにもかけられていない車内は静かで、ボクは助手席でうとうととしかけてはハッと目覚める、を繰り返していた。
獅童さんは運転が上手く、不快な振動がほとんどない。スムース。その言葉がぴったりだ。
「まだ少しかかる。寝てろ」
立てかけたスマートフォンの地図アプリを見ながら獅童さんが言う。
「でも、運転していただいてるのに申し訳ないです」
「こっちが無理をさせたんだ。言うことを聞いて寝てろ」
獅童さんは正面を見据えたままだ。彼の声は耳心地が良い。最初は圧を感じて怖いと思った声だったのに、いつの間にかその響きには優しさが宿っている気がする。あの声とは偉い違いだ。
ムーンストーンにダイブしているときに聞こえた、あの声。獅童さんの声と同じような低い声だったけれども、彼とは違って優しさや思いやりはひとかけらもなかった。ただ、ボクが何者なのかを探り、正体を見極めるためだけに名前を聞いてきた、冷淡で低く響く、抗えない強さを持った、死者の国王ハデスのような声……。
ボクはいつの間にか寝入ってしまったのだろう。気がつくと、獅童さんの手がボクの肩を揺すっていた。
「起きたか」
「あ……すみません、ボク、つい」
「お前の家の前まで送ろうと思ったんだが、通行止めになってる。消防車が何台もでてるから、火事かもしれんな」
「え」
「この先は車は入れないから、ここで降りてもらうしかないが大丈夫か」
ボクはふるっと頭を振った。そして外に目をやる。確かに、ボクのアパートがある方面に何台もの消防車が止まっていて、何やら騒がしい。
「ご面倒おかけしました。ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
「おい、本当に大丈夫か」
「はい、大丈夫です。気をつけてお帰りください」
ボクはドアを開けて外に出た。途端、喧騒に耳を殴られたような衝撃を受ける。いや、この衝撃はボクが特異体質だから受けるのであって、通常の人にとっては許容範囲のはずだ。このハイパーにセンシティブな体質、本当にどうにかならないものか。
ボクは車を降りるとウィンドウ越しに見える獅童さんに頭を下げ、アパートに足を向けた。ざわざわと人の気配がする。いつもより多い。ボクはポケットの中のモリオンをぎゅっと握りしめた。
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