第6話

「菊蜂殿、私は片暝を斬れるでしょうか。十蔵とは苦楽を共にした仲。たとえ郷抜したからといってそれが無に帰すわけではない。思えば私はもっと十蔵の話を聞いてやればよかったのやもしれぬとあの日以来考えてしまいます」

「雲雀様の胸懐はお察しいたします。しかしこれは掟。残る十傑にも既に命が下っておりますゆえ雲雀様も何卒」

「私の忠義は無論狗渓にある。ですが菊蜂殿、私は優しくありたい。愛こそが泰平には必要。であれば私は十蔵を赦してやりたい。これは間違いでしょうか」

「雲雀様は優しいお方です。その優しさゆえにこの者達を常世へと送られたのでしょう」

 血風、月夜、獣の眼。

「かの者達はもとより死ぬ定めにありました。苦しまずに死ねたろうか」

「片暝とてその定め。それが御館様のご意向」

「菊蜂殿は意地の悪いお方だ。これより私が十蔵と見えることがあれば」

 男は刀身を振った。

「斬りましょうせめて我が手で」

 男はそう言い残すと直ちに姿を消した。菊蜂は屠られた死体の山々を見据え確信し不敵に笑んだ。この者が必ずや裏切者を討つであろうと。




 十蔵と太助は山道、その頂を目指して歩いていた。

「腹減った」

「……」

「もう歩けない」

「ならここにとどまれ」

「何があるってんだよこんな山道に」

「日榮山蓮子院」

「何それ」

 日榮山蓮子院にちえいざんれんしいん。かつての戦で焼き討ちされるも十年足らずで再建された大寺院。その歴史は古く凡そ二〇〇年の間この地を守り続ける一派があった。日榮衆と呼ばれる僧兵団は信仰と共に日々武芸を鍛錬し外敵を退けてきた。その勢力は幕府にとっても強大であり源条氏先代将軍、源条景綱によって焼き払われるまでは無敗の鬼僧団として恐れられていたものの源条との戦以後はその勢力の大半を失い沈黙を貫いていた。

「よう参られたの。泗水の子」

 太助は十蔵の腰元を掴んで隠れる。目の前に鎮座する老いた僧侶から放たれる畏怖の念。

「門番がおったはずじゃがな」

「あれで守りなら日榮も堕ちたと見える」

「ほっほっ、そうじゃな。貴様のような犬に討たれるようではここも終いかの」

 老僧侶の脇を固める屈強な僧兵達の目つきは殺気立っていた。余所者を今にも仕留めんとする構えを取り老僧侶の合図を待つ。

「して何用じゃ泗水の子。ここにお前が求むものなど何もない」

「その泗水を返してもらいにきた」

「ほっほ、あの娘はもうこの世におらぬ。それはお前がよく知っておろう。目の前で斬られる母を見ていたんじゃからの」

「坊主、お前達が泗水の亡骸を秘匿していることは分かっている」

「口を慎め童ッ。大僧正の御前なるぞ」

「よいよい。しかし知らんのう。仏を祀るは我らが使命。されど泗水はここにはおらぬ。かの者は大罪を為しその罪に飲まれ朽ちた。我らとしても十年の怨敵。それをわざわざ祀ってやる道理はなかろうて」

「腐れ外道は俺もお前達も同じ。ならば信ずるは己が信念のみ。泗水をこれ以上利用することは許さん」

「餓鬼よ。腐ってもこの蓮子院、お前如きが破れるものではない。左玄、右白。蓮子院大僧正、甚慧の名において命ず。犬を殺せぃッ」

 左玄の薙刀は既に十蔵の首元に迫っていた。十蔵は太助を壁際に投げ飛ばすと身を後方へと逸らしこれを躱わす。次いで右白の棍が脚元へと突き出されるのを両脚で絡め取り、右白の身を引き寄せ顎下を蹴り飛ばした。二者からの追撃を躱しつつ十蔵は二本の刀を抜き、薙刀の刃部を斬り落とすと昏倒する右白の首筋に刃を充て大僧正に向けて叫んだ。

「もう一度だけ申す。泗水を返せ。腐れ坊主とこれ以上じゃれあうつもりはない」

「左玄、退け」

「しかし大僧正」

「我が退けと言うておる」

「御意」

「小僧、残念じゃが泗水の身はもうここにはない。これは誠じゃ。お主は一足遅かった」

「どういう意味だ」

「まだ気づかぬか。まだまだ小僧よ。泗水どころかここにはもう何もないのじゃ」

「大僧正ッ」

「お前達ももう頃合いじゃ。老耄に付き合わせたこと、申し訳なかったの」

「坊主、先程から何を言っている」

「オッサン! オッサンこそさっきから何ひとりでぶつぶつ言ってんだよ!」

 太助の一声で十蔵は我に返った。先程まであった大僧正や僧兵の姿が忽然と消え去る。十蔵の耳には残り香のような呻きが届いた。

「数日前に狗渓衆がここを襲った。お前の力はしかと見受けさせてもらった。狗渓衆十傑くけいしゅうじっけつ咎暮雲雀とがくれひばり。我らを滅し泗水を拐った者の名じゃ。頼む泗水の子よ。我らの無念を晴らしてくれ」


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蝸牛忍法帖 るつぺる @pefnk

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