外観 4

 ロビーは吹き抜けのようになっている。冷静な印象の配置。ガラス張りの勾配天井に夕焼けがさす時刻には、火炎のような情景をこのロビーに映し出して、それが終業の合図になるという。

 今日は青年は長居するつもりがないから、この昼頃の実物とよく撮れた宣材写真とを重ね見て想像するにとどめた。


 人入りはそれなり。少なくはない。、そのための人が来ている。待合の席に退屈そうに腰掛けてパンフレットをめくる人たち。あるいは窓口で、わかったようなわからなかったような話を繰り返す人。彼らの用事は交付金の申請だとかギア所有の届け出だとか、よくあるものだ。


「あのゥ…で引っ越しに…なんですが、…」

「…ですね? …はお持ちですか?」

「ええと? …なんてありませんが、…」

「…が届いているはずですから、…、一旦できる範囲で…」

   …


 暇しているギアの態度はまちまち。顔馴染みは勝手に遊んでいる。傾向があるとすれば大型ギアほどおとなしく人のそばにいることか。わんぱくに駆け回る小型ギアを蹴飛ばさないよう気をつけて青年が歩く。ちょっかいをかけに行こうとするモチビを青年の手が塞いだ。


 この光景は外国から訪れた旅行者の目には物珍しく映るのだというが、青年には慣れたものだ。

 青年は住民課の窓口には用がなかった。その隣の窓口に。人手が足りないのか、受付の係はカウンターの向こうで事務仕事に没頭していて青年に気づかない。一息ついたあたりで声をかける。

「すみません、音声ガイドをいただきたいのですが」

「新規発行ですね? こちらに必要事項をご記入いただいて」

 スタイラスペンをすらすらと滑らせる。の都合で文量が必要だ。氏名、生年月日、個人番号、…、ランダムに選ばれた詩句の一片の写経までやって、やっと筆を置ける。

 照会のためにしばし待たされる。手際が良さそうには見えない。この間に、離れすぎない範囲で自由にしていていい、とのことだった。


 ラックには淡い色遣いのパンフレットが並べてある。市政だより、展示の案内、ゼミナールの募集、任意移動手当の案内、短い報告、…。気の滅入るものが重力に従う。

 青年はパンフレットを一部引き抜いてみた。ネイビーの細線が波打つ表書きには怜悧に見せた「ギア」の文字。ここにあれば言うまでもないと控えめにいう。

 なめらかな手触り。ぱらりとしなう二つ折りのコート紙に指を滑り込ませる。

 強い照明のせいで紙面が眩しい。少し傾けて光沢を落とす。都市の写真――ギアの溶け込んだ、この日青年が見てきたような光景のスナップだった。主に公共施設。左上から右下へ、博物館敷地内からティスリル港湾各スポットの写真へと。紙面の上半分はよく撮れている。下半分は慎重なアングルだった。私高速はライノセラJCTの写真に少しだけ映り込むのみだ。


 写真のうち、駅前の広場や公園、蝦蟇の座るビルは実物を見た。青年の見ていない残りについて、撮影地を大まかに調べてマップアプリにブックマークする。ふむ、と地図を目でたどる。ちょうど青年の今日泊まる予定のホテルまで、なめらかな一筆書きにスポットが並んでいる。ホテルとライノセラJCTはすぐ近くなのだ。今日博物館を離れたあとには、これらを見て回るのもいいかもしれない。こういう思いつきのせいで後道に迷うのかもしれないが。


 裏返すと、常設展の紹介が掲載されている。このパンフレットでは使い回しのためか、コアな展示だけを選りすぐっているようだ。いわばいつ見てもいいもの。……メディアでも何度となく取り上げられるものには違いない。初めて訪れた青年の目にさえ新鮮味はなかった。実物を直接見たならまた違うのだろうから、こうして見に来ている。

 奇妙な空白。

「…………うん?」

 空白あるいは空欄。この裏面にテキストの欠けがあるような気がした。青年が自身の直感に理由を求める。裏面のレイアウトは静止した印象があり、均整に見えるよう慎重にデザインされているのが見て取れる。背景として主張しない幾何学図形の中にあって、ひとつだけ、さながら透明な文章に引いた打ち消し線のような、…。

「……今はいいか」

 ただの装飾かもしれない。あるいはデザイン上の苦肉の策か。ミニュームベロが不服そうに青年の頬をつつくが、青年は今興味を持ち続けていても仕方がないだろうと予感していた。気に留めておいて、いつか話の種にでもなればいい。リュックサックにしまって、遠からず取り出す頃に。


 ふと呼ばれる。音声ガイドの用意ができたらしい。

 少額のデポジットと音声ガイドの端末を引き換える。受け取った端末の見た目は、ICカードを数枚束ねたような、といえば近い。デポジットの多寡でクリアランスが決まる。

「こちらの端末を、かざしていただくと」

 受付の差し出した台座の上にカード型の端末が近寄せられると、静かに震え、小声でささやくように音声を再生しはじめた。少しくたびれたような女性の声だ。

「指向性のスピーカーなので、聞こえにくい場合は角度を調整していただいて、この面がお顔に向いていると音声が明瞭になります」

「なるほど。再生が始まった後は、端末を台座から離していても問題ないんですか?」

「短時間であれば平気です。小容量のバッテリーが内蔵されていまして、かざしている間に無線で充電されますので」

 足元のモチビには音声が聞こえていないから、不思議そうに首を傾げている。青年が肩の高さまで抱き上げてやると、急にささやき声が聞こえて驚いたらしく周りを見渡していた。


 このカード型の端末を、各展示のそばに設置された台座にかざせばいいらしい。

 少しくたびれた声がささやく。

『わが国において一般的な――つまり、国公立の――博物館は、市民の皆さまに開かれた公共の場であることを誇りに思っています』

 入館料は取らない。

『デジタル化のますます進行する現代社会では、素朴な物質主体の価値観が揺らぎ、情報――アイデアや思想の価値こそが問われるようになりました』

 物品に価値はない。

『難しい言葉を怖がる必要はありません。音声ガイドが皆様をご案内します』

 漠然と見るだけならやはり価値がない。


 だから、音声ガイドが事実上の入館証ということになっている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アーバンモダンギア 霜路 @froststeps

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説