外観 3
自転車で移動できる範囲は、ちょうど、この正方形のミニチュアに重なっている。
青年は一泊二日の予定。今夜は居酒屋でも見繕って夕食を摂り、それからビジネスホテルへ。それまでの七時間か八時間くらいを自由時間にみていた。内訳はほとんど白紙のまま。いきあたりばったりだ。
二日で見てまわれるスポットは限られている。今日は東の埠頭に行って、明日には西半分の市街を訪ねようという大筋は考えている。
ミニチュアの中心は旧市庁舎跡のこの公園だ。まっすぐ右端に向かって辿ってゆくと、陸地の突き当りに博物館がある。それが最初の目的地で、まずそこに向かうのは決まっていた。
青年を乗せたミニュームベロが車道の脇を軽快に走っていると、地方の住宅街ではなかなか見慣れないギアがたちまち目に入る。
たとえば歩道に列をなして歩いているギアだ。モチーフはトラスと
一番小さいのは一番後ろ、体長でいえば人間の三歳児くらいのサイズだ。それを四歳児が背負い、五歳児の後ろを跳ねている。その前には六歳児相当の。同様に少しずつ大きくなる行列の、先頭だけはおじさんが率いている。保育園児の散歩みたいで微笑ましい。
これが車道にもいる。最後尾は歩道の行列の一番前より少しだけ嵩張り、ちょうどミニュームベロに乗った青年と同じくらいあった。また前に数えるにつれて一回りずつ大きさを増す。それが車線いっぱいの幅になるまで。おじさん二人を頭の上に載せられるサイズだ。
ふと青年に影がさす。見上げると、落成間近の高層ビルの屋上で、でっぷりと肥えた巨大蝦蟇が釣り人みたいに垂らしたワイヤーロープを手繰り寄せている。おじさん何人分かというのは想像がつかない。
その蝦蟇たちが何かといえば、屋上の蝦蟇を地面まで降ろすために向かっている。今まで摩天楼の資材を吊り運んできた巨大蝦蟇を、ビルが完成してからもずっと屋上に取り残してはおけない。かといって自力で飛び降りろというのは無茶な話だ。
屋上の蝦蟇親分が、自分より一回りか二回り小さい蝦蟇を、慎重に、慎重に吊り上げてゆく。真剣な眼差しだ。吊られた蝦蟇もなんとはなしに精悍な面持ちをしている。
手順は簡単だ。蝦蟇XXLが蝦蟇XLと蝦蟇Lを吊り上げる。蝦蟇XLと蝦蟇Lが支えて蝦蟇XXLを降ろす。次に蝦蟇Mを吊り上げて、蝦蟇XLを降ろす。繰り返して段々小さい蝦蟇になる。
実のところ、十分小さくなったらエレベーターで降ろせばいいのだから、歩道を跳ねる小蝦蟇はいなくてもいい。交通整理の場に立たせておくと可愛がられて、通行の邪魔になっているときも人間の不満を買いにくいのだとか。
コミカルな蝦蟇たちの塞いだ道を迂回して、道に迷うこと十数分。ようやく大通りに戻ってこられた。
「どうも、助かりました」
「いいってことよ。こっから先はもうまっすぐ行くだけだぜ。長えから頑張れよー」
青年が礼を言うと、助け舟をくれたお姉さんはひらひら手を振って、ポリカーボネート装備の騎馬にまたがり去っていった。
この先に博物館がある。
木の根が一点から広がるように、この都市の主要な道路は、この先のティスリル港湾博物館から放射状に伸びている。海岸線を境目にして木の幹と枝に相当するのが海運の航路だとすればよくできたアナロジーだ。木の根は地中の岩にぶつかって複雑に進路を変えるが、交通網もさまざまな事情に妥協して折れ曲がる。トンネルは地上の線に沿うという。
元は冴えない港町だった。良港の素質が入り組んだ内海にあるとすれば、ゆるやかな弓なりの海岸線しかなかったのだから、良港とはいえない。陸地の切り欠きに海を引き入れた掘込港にやっと大型船の泊まれる埠頭を築いてきた。
その中軸が博物館にある。
片側三車線の大通り。それをまたいだステンレスのアーチが陽光を受けて瑞々しくきらめいている。
そのアーチをくぐり抜けた瞬間、いま敷地に踏み入れた、というのがはっきりと知覚できる。それまで視野の左右を整然と立ち塞いでいたビル街がふっと開けるのだ。道の意味合い、建築物の配列、そういうメタメッセージがまったく変わる。ここからは市中にあって異なる。教会、劇場、スタジアム、それらに連なっている霊感の享受のための施設。
だが、機能としては宮殿にも近いだろうか?
圧巻のひとこと。モダニズム建築、ホワイトセメントの扁平な宮殿を前にして、一度立ち止まる――が、このアーチからの距離を理解して、青年はかっと恥ずかしくなって自転車を飛ばした。遠近感を見誤った。施設は妙に遠い。ここからはゆっくり歩いて吟味しようなんて、依然自転車に乗って走り続けないとしんどい距離だった。
駐車場の脇を通り過ぎると、車道と歩道の仕切りがしだいに解体されてゆく。別け隔てなくすべてのギアのための道になってゆく。
正面の門扉は――近づくにつれよくわかる――縦横ともに市井一般の建築を三倍にしたスケールになっている。
開け放たれたエントランスは、出入りする人々が悠々すれ違えるだけの幅がある。それは単に人間だけでなく、連れ添う大小さまざまなギアも含めてのこと。リュックサックに収まるのもいれば、人を乗せて車道を走れるのもいる。そのいずれもが人々と生活を共にしている。どうして同じたったひとつのエントランスに出入りできないだろうか。
青年を降ろしたミニュームベロの姿形がアルミ色の蛇に戻る。青年の背負うリュックサックからモチビが飛び出てきて、半刻ぶりの地上で伸びをする。
ここは、上空からの視点で鳥瞰すれば、南に口を開いた蹄鉄形の建物の西側面に位置している。
ここがティスリル港湾博物館、その本館の入り口だ。
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