第3話

 ここ最近、帰り道にいつものコンビニに行くのをやめた。少し遠回りになるが、自分の家を通り過ぎたところにある場所に行くようにしたが、それが億劫に感じるときがある。それは、今日みたいに帰りが遅くなって、早めに帰ってすぐにでも寝たい時だ。コンビニに寄らずにさっさと家に帰ればいいと言われればそれまでなんだけど、今日は寄りたい。なぜならいつも吸っている相棒が、ラスト一本しか残ってないと知っているから。

 今日はストレスの嵐だった。服屋の中は飲食禁止がルールであるのにもかかわらず、若者が大好きな何とかフラペチーノを飲みながら入ってくる客や、意味の分からないことを永遠と口にするクレーマー。閉店の案内が流れ始めてから来た客は、時間を過ぎても会計をしに来ず、何なら「試着いいですか?」なんてほざいた。やっと終わったと思ったら、わざわざ退勤後に上司からダメ出し。やる気がないなんて、もっと他に言う奴いるだろ。店を出れたのは、退勤から三十分経った頃だった。イライラ、イライライライラ。不機嫌が態度に出すぎていたのか、電車のドアが開いて乗り込むときなんか、ドア付近に立っていた青年がぎょっとした顔で私に道をあけた。

 そんなこんなあって、今日はさっさと帰って、食べて飲んで寝ると決めていた。コンビニへ足を進めながら、明日は休みだしお菓子とかも買ってやろうと考える。暗い夜道の中、異様に明るい場所に吸い込まれるように近づいた。自動ドアがいらっしゃいませの音楽と共に開いた瞬間に、ハッとする。

 違う、ここじゃない。

 あまりにも疲れていたのか、無意識のうちに通り道にある、しばらくは寄り付かないと決めていた方に来てしまっていた。私が店内に入ったと思ったらしい自動ドアは閉めかかり、そしてまた私の姿を認識して左右に広がっていく。店内の中、レジにいるアルバイトらしき男の子は不思議そうにこちらを見ていた。

 深いため息が思わず出てしまう。仕方ない、今日はいいだろうと足を進める。レジの子はあの男ではないし、そういつもタイミングよくいるわけじゃないだろう。あの日と同じように買い物かごを手にして、店内を歩きだす。

 お酒を二缶かごに入れて、弁当コーナーに向かうときにちらりとレジを確認する。前回はこのタイミングで変わっていた。ぱちり、と目が合ったその子は、やっぱり不思議そうに私を見つめている。よしよし、ずっとそこにいれくれよ、なんて心の中で語り掛け、いったん弁当よりも先にお菓子コーナーに向かう。ポテトチップスは量が少し多い感じがするので、じゃがりこを手にする。サラダ味が一番飽きないし、シンプルで好きだ。次はレジ前にあるコンビニスイーツコーナーに向かう。その途中に美味しそうなチョコレート菓子を見つけて、それもかごに放り込んだ。

 スイーツコーナーにはシュークリームやエクレア、期間限定である桜のスイーツなどが光っていたが、私は迷わずプリンに手を伸ばす。なめらかプリンは、私の中のスイーツランキング堂々の一位だ。この時間には売り切れていることもよくあるから、残っていることが嬉しくて口元が少し緩む。最後に弁当、というところで気づいた。酒のあてを買うのを忘れている。今来た場所をUターンし、お酒の商品棚近くにあるおつまみコーナーに行く。チータラにするめ、ビーフジャーキーもいいな。ポンポンと好きなものを買い物かごに入れていくのは、大人になったからこそできることだ。かごの中を見てふんっと満足げに鼻を鳴らして、今度こそお弁当を吟味しに向かった。

 時刻は22時47分。さすがにこの時間にもなると、残っているものが少ない。まあでもお菓子類もあるし、そんなにたくさん食べたいわけでもない。残っているおにぎりの中から梅と鮭を選んで、レジに向かう。

「お預かりします!」

 あの男よりも若そうではきはきとした、大学生くらいの男の子は笑顔で私の買い物かごを受け取った。つられて私もにこやかにお願いしますと言って、煙草の番号を伝える。

「こちらでお間違いないですか?」

「はい。ありがとうございます」

 コンビニで働いているのがもったいないくらい、気持ちのいい接客をする子だな、なんて思いながらぼうっと袋に物を詰めている姿を眺める。

「2190円です!」

「2200円からで、お願いします」

「2200円、お預かりします!」

 こんな夜に、本当に元気だな。若さというモノなんだろうか。なんてまだ26歳の私が言っていいことじゃないのかもしれないけれど。お釣りと商品を受け取って、頭を下げてコンビニを出る。背後では大きめのありがとうございましたが聞こえ、また口元が緩んだ。


「で、なんでこんなことになってんのかね…」

 アパートの階段を上がったところで、玄関前を見ながらボソッと呟いた。

 あの元気のいいコンビニ店員の気持ちいい接客のおかげで、あんなにひどかったストレスが少し薄まっていた。さあ今から晩酌だと少し浮足立ちながら住んでいるアパートに着いた時、一番に目に入ったのは、私の家の玄関の前でうずくまっている笑香の姿だった。いくら温かくなってきたとはいえ少し寒いのか、小さな手で自分を抱きしめている。

はあ、と本日何回目になるのかわからないため息をついて近づき、私が着ていたキャラメル色のトレンチコートをかけてあげるとゆっくりと顔を上げた。彼女の顔に施された最近流行りの可愛らしいメイクは、涙でボロボロだった。ピンクベースのカラコンが入った大きな目が真っ赤になっているのを見て、顔を顰める。とりあえずここでずっとこうしているわけにもいかないと、身体を支えながら立ち上がらせ家の中に入れた。

 リビングに通すと、勝手知ったるという風にのそのそとソファに座って、また膝を抱え始めた。とりあえず服を着替えようと脱衣所に向かう。来ていた服を洗濯かごに放って、部屋着に着替える。といってもジェラピケのパジャマなんて女の子らしいものはうちにはなく、実家から持ってきた高校生の頃の体育ジャージだ。これが一番落ち着くな、なんて思いながら長い前髪をポンパドールにしながらリビングに戻る。笑香は先ほどと体制一つ変えずに、そこにいた。

 笑香の向かい側にクッションを置いて座る。テーブルに置いておいた袋から、おにぎりとおつまみ、それからお酒を二缶とりだして、残りは袋に入れたままテーブル隅に追いやる。

 カシュッという音と共に、アルコールの匂いが鼻に届いた。おにぎりを食べながら、いつも通りハイボールを喉に流し込む。食べ合わせなどこの際気にしない。行儀が悪いことは百も承知で、かといって外じゃないんだし気にすることもないか、と食べながら携帯をいじる。そこに笑香がいることなど気にしていないかのように、むしろいないものとしていつも通りにすごす。

おにぎりを二つ食べ終えてビーフジャーキーの袋を開けたころ、やっと動く気になったのか、笑香は膝にうずめていた顔を上げ私を見つめた。涙は、今も絶え間なく流れているらしい。それに対して嫌な顔を隠さずいると、ぎゅっとその眉根にしわが寄って眉尻があり得ないほど下がった。

「栞までそんな顔する~!」

 うわあっと大きな声で泣き始め、耳をふさぐ。ああ、さっきまでみたいにずっと静かに泣いてくれてたらよかったのに、なんて薄情なことを思いつつ、少しの違和感を感じた。

「…までって何よ、までって」

「うぅっ…、二人してさ…っ! 私、そんなに鬱陶しい…!?」

「そんなことないよー」 

「棒読みやめて!」

 どうしろっていうんだ。この感じだとしばらく収まらないだろうと、これまでの経験上わかっている。とりあえず好き勝手喚かせておこうと、お酒を一口飲んだ。それが気に入らなかったのか、こちらをキッと睨んだと思ったら、私が次に飲もうと思っていたお酒を手に取って、勝手に開けて飲み始めた。ごくごくとその白い喉が動いたのを見て、私の…と悲しくなった。ストレスを紛らわすために二缶も買ってきたというのに。

お酒の缶を思いきりテーブルにたたきつけて、かと思えばマシンガンのようにつらつらと文句言い始めた。ボリュームマックスの声が部屋中に響く。

「面倒くさいですって思いっきり顔に出しちゃってさ! なに? こんなにかわいい女に詰め寄られて面倒くさいって何!? ありえない! 意味わかんない意味わかんない! そりゃ私はお望み通りの大人っぽさ満点お色気お姉さんじゃないかもしれないけどそこがいいんじゃん! 年上なのにあどけない感じが売りなんじゃん! ねえ!?」

「そうなんだ」

「そうでしょどう見ても!」

 なんとなく状況が分かった。大方この間店に来た時に言っていた、今狙っているらしい男に打ちのめされたんだろう。ご愁傷さまだ、笑香も、その男も。ただ一つ疑問なのは、そんなに泣くほどのことなのかということだ。笑香は私と似ていて男を見下している節がある。男はいつまでたってもおこちゃまだよねえ、と前に笑いながら言っていたし、今まで付き合ってきた男に対しても特別執着しているように見えず、別れてもケロッとしていた。今回もうまくいかなければいかないで、まあいいかくらいで済ますものだと思っていた。

「泣くほどのこと?」

 ふと思ったことが口をついて出た。それにさっきまで勢いよく話していた笑香が、ピタリと止まる。

「いつもならそんな泣いたりしないじゃん。わざわざ私のところまできて、メイクまでボロボロになるくらい泣く? あんたらしくない」

「……だって」

 小さな小さな声で、「今回は割と本気だったの」と呟いた。

「かっこいいとか、背が高いとか、見た目ポイントも高かったし、年下なのに大人なんだもん。そんなの、狙うでしょどうかんがえても」

「自分に靡かないから躍起になって落とそうとしてたんじゃないの?」

「ちがうもん…。最初はそうだったけど、段々好きになっちゃったんだもん…」

 子供みたいに口をとがらせる彼女を、訝しげに眺めた。それはさぞ、いい男だったんだろうなあと思ってもないことを言うと、またポロポロと大粒の涙を流し始めた。

「やっと出会えたと思ったのに、運命の人…」

 両手で顔を覆う彼女を横目に、お酒を煽る。

「ばーか。私たちにはないよ、そんなもの」

 あるわけがないだろう、運命なんて。そもそもその男に対しても見た目ポイントなんて言っている時点で、うまくいくわけないに決まってる。まあでも、私もそこまで鬼ではないので、それは言わずに笑香の隣に移動する。それからは彼女が落ち着くまで、その小さな頭を撫で続けた。

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ネバーランドには行けない 寧々子 @kyabeko

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