第2話
なんでこんな仕事をしているのだろう、と感じることは誰でもあると思う。かく言う私も、このアパレルの仕事をしたくてしているわけではない。ただ単に、目標もなくしたいことも特にないから、大学時代のバイト先に誘われるまま面接を受け、就職しただけ。毎日服に囲まれる生活は嫌いではないが、どこか退屈だった。
「いらっしゃいませ~」
普段よりも声を高くして、客を招き入れる。バイトとしてだったら楽だった仕事も、社員になってからというもの売り上げを気にしなければならなくて億劫だ。
【女らしく、かっこよく】
それがこの店のコンセプトらしく、売っている服といえば大人っぽい、綺麗めなものが多い。すっきりとしたパンツや、タイトのワンピースやスカート。体の線が出るものが多いここの服は、私のお気に入りである。
「栞! 遊びに来たよ~」
ぼうっと、服をたたみながら店内を見回していると、入口の方から声がかかる。顔を見なくてもわかる。笑香だった。ため息をつきながらそちらを振り向き、ジトッとした目を向ける。
「ここ、遊びに来るところじゃないんだけど」
先ほど出した声とは打って変わって、低めのあまり女らしいとは言えない声でそう言った。彼女は、そんなこと全く気にもしていないという様子で、にこにこと笑う。
「わかってるよ~。でも結局いつも相手してくれるでしょ?」
あ、この新作可愛い~、なんて言いながら、服を手に取る始末である。この店にしては珍しく可愛らしい、薄いピンクのマーメイドスカートを手に取って、鏡の前で自分に合わせてみる笑香に、眉を顰める。
「あんた、タイト系好きじゃないでしょ」
「好きじゃなーい。でも、狙ってる男の子が大人っぽい人が好きなんだって~」
そうやって男に合わせて服を変えるのはどうかと思うけど、という言葉をすんでのところで止める。だって、これはただの嫉妬であると理解しているから。私には、誰かに可愛いとか、綺麗とか思われたくて服を買ったり、メイクを試行錯誤したり、ましては髪の毛をきったり伸ばしたりすることは出来ない。だからこそ、その行動力を羨ましく思うのだ。
「あ、そういえば! なんでこの間先に帰っちゃったの?」
「え?」
「ほら、合コン。割と選りすぐり集めたつもりだったんだけど」
「ああ、あれ…」
笑香主宰の合コンのことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。というよりは、そのあとに起きた出来事の方が自分の中で印象的すぎて、あんなつまらない飲みの場なんて頭の隅の隅に追いやられていた。
「笑香と私の男の趣味が合うと思う?」
「ええ~、割と栞に合う感じも選べてたと思うけどなあ」
「あんたの中での私のイメージどうなってんのよ」
少なくとも私は、あんな大学生のように女に群がってはしゃぐ男、好みでも何でもない。それは、大学からの付き合いである彼女だってわかっているはずだ。私の言いたいことが分かったのか、さっきまで自分にあてていたスカートを戻して、私に向き直る。
「お酒が入ったらみんなあんなもんでしょ、男なんて」
そう嫌味のない笑顔を浮かべながら言う目の前の女は、男に媚を売るのが得意なくせに、男を見下している。私とは違う種類の人間であっても、そこは二人とも同じなのだ。私たちは、似ていないようですごく似ている。
「…クズな女」
「ん~?」
「少なくとも、思わせぶりな態度を見せて痛い目合わせてるあんたよりマシだよ」
「わ、酷い言い草~。夢を見させてあげてるって言ってほしいんだけど~」
見た目に似合わない、ギャルのような話し方でケラケラ笑う笑香を、やっぱり私は嫌いにはなれないのだ。
笑香が帰った後も、私の仕事は続くわけで。閉店後の作業を終えて、電車で家の最寄り駅まで揺られる。平日の夜の電車内は仕事から帰る人でごった返していて、座る場所なんて当然ない。扉の前に立ち、外の暗さのせいで鏡になっている窓を眺める。立ち仕事のせいでパンパンの足に顔をしかめていると、ぐぅ、とお腹の虫が鳴いた。夜ご飯はなにか、味の濃いものが食べたいな。そんなことを考えていたら、最寄り駅まであっという間だった。仕事終わりでも立っていられるのは、割とすぐに最寄りまで着いてくれるからだな。窓に映る疲れた顔の自分を見て、力なく笑った。扉が開いて、人の波に押されるようホームに降り、改札に向かった。
家に帰ってから自炊をする元気なんて今の自分にあるわけがないので、おとなしくコンビニにでも寄るとしよう。別に料理ができないわけではない。ただ食べるのは自分だけなのに、無駄に体力を使うようなことはしたくないのだ。なんて言い訳を、誰に向けるでもなく考えながら、帰り道にあるコンビニに向かう。
私の姿を認識した自動ドアが開くのと同時にコンビニの中に足を踏み入れると、おなじみの店内BGMが頭の中に流れ込んでくる。レジに立つ女子大生っぽい店員が、可愛らしい声でいらっしゃいませと言ってくれたのを横目に、買い物かごを手にまずはまっすぐお酒コーナーへ向かった。いつも通りハイボールを片手に取った時、ふとこの間このコンビニで起きた出来事を思い出した。ちらりと飲み物たちの隙間から奥の方を見てみたけど、あの時の男の姿はない。ほっと息を吐いて、手に持っていた缶をかごに入れる。
次はご飯でも選ぼうとお弁当コーナーに向かい、残り物を物色する。普段からあまりご飯らしいものを食べないし、お酒もあるから適当につまみになるやつがいい。
「お…」
おつまみキュウリに、パックに詰められた串のない焼き鳥たち。丁度いいのが残ってるじゃん、なんて思いながらその二つを手に取った。自分の手元にある商品たちを見て、買い物かごはいらなかったかもなあと思いながらレジに向かった。
「お願いします」
「…商品お預かりします」
聞こえた声が、さっきまでいたはずの女子大生のものじゃない。パッと顔を上げて、思わずその顔を凝視してしまった。
この間の。
彼は私のことなんか覚えてないのか、商品のバーコードを読み取っている。
「袋、いりますか?」
「…っあ、はい、お願いします。それと、煙草なんですけど」
「はい」
「201番、お願いします」
番号を言うと、彼は私の煙草探しの旅に出かける。その間に、つまっていた息をふう、と吐き出した。どうやらやっぱり、彼は私のことを忘れてしまっているらしい。それもそうか、コンビニのバイト君にとって、私は大勢いる中の客の一人にすぎない。覚えているはずがない、と安心した。だってもし向こうも、私の顔を見て私と同じようなリアクションをしたら、帰り道に寄るコンビニを変えなきゃいけない。客と店員、その距離感がいいのだ。それを崩されたら、別に生活に支障はないけれど、何となく嫌だから。
煙草を手にして戻ってきた彼は、私に軽く確認をしてからバーコードを読み取る。
「1643円です」
「2000円で、お願いします」
「お預かりします。…357円のお返しです」
お釣りを受け取るために手を差し出す。彼はそっと、私の掌に小銭を乗せた。
「…今日はビールじゃないんだ」
「は?」
ボソッと呟かれた言葉に、勢いよく顔を上げる。緩いパーマがかかっている、重めの前髪の隙間から笑っている目が見えた。綺麗な並行二重に、女がうらやむほどぷっくりとした涙袋。あの時は暗さと、短時間の出来事すぎてわからなかったけど、しっかり顔がいい。
「お酒に煙草、やさぐれてんね」
私の顔を見ながらからかうようにそう言った目の前の男に、顔が歪む。丁寧に商品が入れられたレジ袋をひっつかんでその中にお釣りを乱暴に入れる。財布に入れる手間すら惜しかった。カツカツとヒールを鳴らしながら出口に向かう。
やっぱりコンビニ、変えなくちゃ。
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