第88話 静かな夜 side:一条棗
「では棗お嬢様、小春お嬢様と共に私は失礼致します」
「はい、今日もありがとうございます由加里さん。じゃあね小春?お父さんとお母さんにワガママ言っちゃダメだからね?…秀兄ちゃんにもだけど」
「ぶーっ!わかってるもーん!でもしゅーにぃとおとまりしたかったんだもーん!!」
「そ、それは…ま、まだ早いからっ!!もうちょっと…待ってて!」
秀くんが遊びに来てくれた日の夜、私は小春を迎えに来てくれた実家のメイドさんである由香里さんを玄関まで見送る為、自宅の玄関先にいた。
この場に秀くんがいない理由は彼は夕方からバイトがあると言い、書庫で本を読んだり小春と遊ぶ時間を過ごしてから帰ってしまったからだ。
当然秀くんが帰る時は小春が「ヤダヤダ!しゅーにぃとお泊まりするもん!!!」とワガママを言って、秀くんの足を放さないという事態も発生したものの…秀くんがまた遊びに来るという約束をしてくれたおかげで、何とか丸く収まった。
…正直にいうと私も秀くんには帰って欲しくなかったというか……まだまだ一緒に居たかったというか…?……さ、流石にお泊まり―――同衾まではまだ段階が踏めてないし…!?い、嫌じゃない…けど………こ、こういうのはもうちょっと慎重にしないと私も…顔に出ちゃうし……。
「うふふふ…そういう事ですか、遂に棗お嬢様にも意中の殿方が出来たのですね」
「…へっ!?な、何でそういう事になるんですか!由香里さん!!?」
私が玄関で両頬に手を当て、ボーッとしていると不意に由香里さんからそんなことを言われた。
「今日のお嬢様だけでは私でもわからなかったでしょう。しかしここ最近のお嬢様は数ヶ月前より一層お美しくなられました、女という生き物は恋をすると美しくなると言いますからね。……それに今日の家事の途中、棗お嬢様から「家事を教えて欲しい」なんて言われましたから…意中の殿方の為に家事を覚えようとなされたのでは?」
「………そ、その通りです…」
由香里さんに私の思惑がバレていた事に恥ずかしくなり、さっきとは違う理由で顔を赤く染める。
それにしても由香里さんはこういう時に手強い。私が小春くらいの時から仕えてくれているメイドさんで、第二の母と言ってもいい存在。仕事で最低限しか家にいられない母に変わって、私も小春も由香里さんに育てられていると言っても過言ではないくらい。
「良いことではありませんか、私も夫と出会ってからもう25年になりますが…あの時の恋の感覚は今でも覚えております。それに私だけではなく奥様もお気づきになられていましたよ、私よりも早く。旦那様の方は…まだお気づきになられていないようですが」
「お、お母様もですかっ!?い、いつ…確かにお母様にはここ最近何度か会って世間話なんかはしましたけど…」
「さて…そこまでは私にも。ですが奥様も「娘にも初めて好きな人が出来たなんて…とても喜ばしいわぁ!」と目を輝かせてお喜びになられていましたよ」
「お、お母様……」
はぁ…と私は額に手を当ててため息をつく。もちろん嫌な感情ではなく、私の周囲の人に気付かれてしまうくらい私の感情が漏れ出ていた事に対してだ。
「小春お嬢様がおっしゃられていた秀兄様という方でしょうか?こんなに小春お嬢様も懐かれているご様子ですし…私もお嬢様の想い人のそのお方に、是非お会いしてみたいものですね。…おっと申し訳ございません、長話になってしまいました。では改めて私たちはここで失礼致します」
「じゃあねおねえちゃん!こはるもしゅーにぃのこと、だいすきだよ!!!」
由香里さんに手を引かれ、一緒に帰っていった小春はそう言い残すと玄関のドアを通って行ってしまった。
「はあぁぁぁ…そんなに私ってわかりやすいかなぁ…?………いや、私がわかりやすいんじゃなくて、お母様たちの勘が良すぎるのよ…きっと」
小春が帰るのを見送った私はキッチンに戻り、由香里さんに教えてもらった料理のメモを大切に引き出しの中にしまう。
そしてそのまま歯を磨き、自分のベッドの上に横になる。
ベッドで横になると家では普段、コンタクトの代わりにつけている大きめのメガネを外して、ベッドのそばにある机の上に置く。そのままゴロンと仰向けになると夏特有の薄いパジャマの下に後ろで縛った私の髪が触れているのを感じる。
「永井秀人…秀くん………私の…好きな人………」
寝転びながらそう改めて口にすると、胸の奥から暖かいものが溢れ出すような感覚に陥る。
私は彼のことが好き、これは事実で嘘は全くない。今もこれからも…ずっと変わらないだろうと断言できるくらいには。
彼のことならもっと知りたい…彼の力になりたい…。そう思えば思うほど、今日の秀くんに違和感を覚える。
◇
『……あっ…す、すみません!キッカケはなんだったかなって思い出してまして!そうですね、今思い出したんですけど…元々住んでた家が大学からすごく遠くて、通学を便利にするためって言うのと一人暮らしに憧れがあったからですね。ほら、一人で自由ですし…早く寝ろとかイヤイヤ言われることもないじゃ無いですか?』
◇
「あれは…嘘……だよね…」
彼が一瞬見せた表情の歪み…おそらく秀くんが言った言葉とは別の理由が何かあるはず。私が知らない何か…。
改めて考えてみると、私は彼のことを何も知らないような気がする。秀くんが語ってくれないということもあるんだろうけど、私の中では病院で出会ったあの女性のことが心に引っかかる。
◇
『そ、ならいいわ。貴女みたいな綺麗な子があの子とどんな関係かは知らないけど、あんまり深く関わらない方が良いわよ?良いことなんて1つもないから』
◇
「…あの人は誰なの……?秀くんのお母さん?それにしては似てないし…」
そもそもあの女性が秀くんの母親なのだとしたら、実の息子が死にかけているのにも関わらずあの侮蔑に満ちた表情をするだろうか…。
家庭環境が悪いという線も考えられるけど…何もかも考えるには情報が少なすぎる。
「秀くん…私は貴方のために何かしてあげたいの…。私を助けてくれた貴方のために…今は料理を覚えて貴方に作ってあげることしかできないけど……いつかは…」
私に貴方の辛いことを話してくれる、支えてあげられるような関係になりたいな。
______________________________________
リフレッシュがてら新作も数話書いてみました。興味がある方は読んで頂けると嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます