第86話 訪問①
「改めてお邪魔しまーす………」
小春ちゃんに腕を引かれ、棗さんが入っていったドアを開けて中に入る。ドアの先には見たことも無いような広さのリビングとダイニングキッチンが目に飛び込んで来た。
広さで見れば明らかに一人暮らしのサイズ感ではなく、一家族で住めそうな程の広さがある。机やソファーなどは備え付けのものなのかとても大きく、座り心地がとても良さそうだ。
「しゅーにぃ、ほらこっちだよ!おねえちゃんがおいしいくっきーやいてくれてるの!」
部屋に入る前から少し香っていた甘い匂いの正体はクッキーだったようで、キッチンにあるオーブンからはとても美味しそうな香りが漂っている。
俺は小春ちゃんに腕を引かれ、ダイニングテーブルに座らされる。小春ちゃんは余程楽しみなのか、俺の横の椅子に座ってウキウキとお菓子が出てくるのを待っている。
「(ふー…落ち着いて私…さっきはちょっと取り乱しちゃったけど、こんな時こそ冷静に……)…コホン、ごめんね秀くん?あっちのソファーに座ってくれてもいいからね?」
「ここで大丈夫ですよ、それに…ここから離れられそうにも無いですしね。こんなに小春ちゃんに懐かれると思っていなかったので、ちょっと嬉しいです」
俺の視線を横に座っている小春ちゃんの方に向けると、片腕で俺の片腕をがっちりとホールドして、俺に見られていることに気がついた小春ちゃんは上機嫌でニパッとした笑顔を向けてくれた。
「えへへ〜♪」
「私も少し意外だったの、小春ったら幼稚園では人見知りでね?特に男の子相手なんか殆ど話しもしないし、告白してくる男の子相手なんか「むり!」とか言って、男の子相手に一刀両断だって前に迎えに行った時、幼稚園の先生に聞いたことあるもの。可哀想に男の子は号泣して…私が近くに行って慰めてあげたら、顔を赤くしつつ泣き止んでくれるんだけどね」
…そりゃ泣き止みますよ棗さん。小春ちゃんも可愛らしい女の子だけど、フラれて泣いてるところに小春ちゃんが大きく、めちゃくちゃ綺麗になったようなお姉さんに慰められたら惚れますって…。
その子たちは間違いなく年上好きの癖が芽生えてますよ…。
◇
少し経って焼きあがったクッキーを3人で食べながら軽く談笑し、テレビで小春ちゃんの好きなアニメが始まると、小春ちゃんは目を輝かせながらテレビの前のソファーに走って行った。
「そうだ、これ忘れないうちにお返ししますね棗さん。お借りしてた本です、全部面白かったです!」
俺は足下に置いていた紙袋から借りていた本を取り出し、机の上に置く。もちろんそのままではなく、ちゃんとカバーに包まれている状態でだ。
「ホント!?よかったぁ…内容も結構吟味して選んだんだけど、好き嫌いがはっきりするようなのもあったから…」
「確かにそんなのもありましたね…」
借りた本の中にサスペンス系もあったのだが、犯行描写が妙に生々しく、人によっては気分が悪くなるかもしれない程のモノが入っていたりもした。
しかし俺はそういう系も大丈夫だったので、没入感を楽しむことができた。
「頑張って秀くんのために選んだから、面白かったならよかった。でも本当にいいの?私的にはそのまま秀くんに全部あげちゃってもいいと思ってるんだけど…」
「この前にも言いましたけど、ウチに置いておけないですよ…そんな希少なモノ…。デリケートな本の保管状況を維持できるようなところに住んでませんし、そもそもセキュリティが甘いなんてレベルじゃ無いです。頂いたとしても、そのうち痛めさせたり虫に喰われでもって考えたら………棗さんの気持ちは嬉しいですけどね」
棗さんのこの家のようにセキュリティや設備が充実していればいいが、あいにく俺が住んでいるのはボロとまでは言わないものの、壁が薄い安アパートだ。
なので防犯なんてあってないようなもので、監視カメラが数台ついているくらい。鍵や扉も壊そうと思えば頑張れば壊せると思う。
オマケに湿度が凄くて雑木林が近くにあるから虫もよく出る。そんな環境で希少な本たちは管理出来ない。
「…わかった、でも読みたくなったらいつでも言ってね?この家の書庫に保管しておくから」
「やっぱり書庫あるんですね…羨ましいです」
ゴクッとさっきクッキーと一緒に出されたジュースを喉に通す。
俺の家なんて辛うじて狭いユニットバスやトイレが自宅内にあるが、ワンルームなので決して広いとは言えない。なんなら今いるこの部屋の方が俺の全居住スペースよりも広いんじゃ無いだろうか…。
俺も棗さん程ではないが本は好きだ。しかし買っても置いておくスペースがないので外で読むだけで満足している。
「よかったら後で見に行く?色々な本があるから、きっと楽しいと思うよ?流石に図書館並みとはいかないけど…」
「いいんですか!?是非!!ありがとうございます!!!」
「っ!?う、うん…もちろん………」
棗さんの提案に少しテンションが上がってしまった俺は、机の上にあった棗さんの手を両手で包み込んで目を輝かせた。
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