第81話 お誘い
「い、家って…流石に冗談っすよね?あはは…」
「冗談じゃないよ?秀くんさえ良かったら…だけど……明後日くらいならどう?」
俺を気遣って冗談を言ったのかと思い、笑って流そうとしたのだが…俺を見る棗さんの表情は恥ずかしげにしながらも、本気で言っていることが伝わって来る。
「ど…どうと言いましても…いいんですか?いくら仲良くさせてもらっているとはいえ、女性の家で年頃の男女が二人きりっていうのは…」
棗さんが俺のことをどう思っているか、俺の勘違いでなければ人としての好意はあると思っている。共通の友人がいる知人として…仲の良い先輩後輩として…助けてもらった恩人として……いろんな関係性ではある。
冗談ではなく家に招かれるというのは…それらを踏まえても俺への好感度が低くない事はわかる。でなければ彼氏のフリなんてものも頼まれないだろうし、本を返すだけで家にも招かれないだろう。
しかし棗さんは言い寄ってくる輩や毒島のストーカー事件のこともあって、男には十分に警戒したほうがいい。もちろんそれほど気を許してくれていると考えれば嬉しいが…男として認識されていない線もあり得るのか………?
「ご、ごめんね?一人で舞い上がっちゃって……。やっぱり家に来るのは嫌…だったよね…?大丈夫、気にしないでね?本は夏休み明けに渡してくれても良いから…」
「そ、そういう意味じゃないですよ!?その…棗さんはそのストーカーの事件とかもありましたし、いくら俺とはいえ家で二人っきりっていうのは怖いんじゃないかなって思っただけで、棗さんの家に行くのが嫌とかでは決してないです!むしろ他にはどんな本があるんだろうなとか、棗さんが普段どんな部屋に住んでるのかなとか色々興味津々で、行けるものならすぐにでも行きたいですよ!!」
俺の言葉を聞いた棗さんは一瞬悲しそうな笑顔になったが、すぐになんでもないような表情に戻る。棗さんに一瞬でも悲しむ顔をさせてしまった情けなさから、つい本心を漏らしてしまった。
(や…やっべぇ…今俺なんて言った?本はともかく、どんな部屋に住んでるのかって気持ち悪いこと言ってねぇか!?)
焦りからついぽろっと本音を隠すことなく伝えてしまったことに気がついて、俺の頭がフリーズする。
しかしこれは許して欲しい、俺だって健全な非モテ側の男子大学生だ。女性の部屋に入ったのなんて小学生の頃に美涼の部屋で遊んだ時くらいで、彼女の一人もいたことのない俺は同年代の女子がどんな部屋なのかは気になる。
「………うふふ、あははははっ!ごめんね秀くん、今の顔は演技だよ♪最近秀くんのアワアワした顔を見てなかったから、ちょっとからかってみただけ♪」
「…………勘弁してくださいよホント、一瞬めっちゃ焦りましたよ…」
急にケラケラと笑い始めた棗さんをみて数秒ポカーンとマヌケな表情をしていた俺は、棗さんを傷つけていないことに安堵して溜め息をつく。
「ごめんね、秀くんの事だから嫌には思わないってなんとなくは分かってたけど、断られるかもってドキドキしてたのは本当。秀くんがそんな風に考えててくれて嬉しいし、明後日は小春が遊びに来るから丁度いいかなって。あの子ったら「つぎはいつしゅーにぃとあそべるの〜?」って電話で言ってるのよ?」
「なるほど小春ちゃんが…そういう事なら是非行かせてください。小春ちゃんが喜びそうな手土産くらい持って行きますから」
「本当?少し悪いような気がするけど…せっかくだからご厚意に甘えようかな。私はいい紅茶でも用意しておくわね。…そうだ長々と引き止めちゃったけど、そろそろ秀くん講義が始まっちゃうんじゃない?詳しい事はまたチャットで送っておくから、遅れないようにね」
棗さんが腕につけている時計を見てそう言ってくれる。外で少し話し込んでいたからか、棗さんの白い肌にも少し汗が浮かんでいる。先ほどまで外野でチラチラと棗さんを見ていた学生たちの姿も無く、講義開始の時間が迫っているので近くには殆ど学生はいない。
「すみません暑い中!じゃあ詳しい事はまたそっちで連絡取りましょうか」
「うん、じゃあそんな感じで♪……そうだ秀くんは…さ?他の女の子の部屋に入ったこととか…あるの?麗華とか……」
「な、ないですよ…家に行った事はありましたけど、小学生の頃以来は女性の部屋に入った事はないですよ…」
あれ…なんか言ってて悲しくなってきた………。
「ふーん…そっかそっか………じゃあ今日の夜にでも送っておくから、集中講義頑張ってね♪」
そう言って棗さんは手をヒラヒラと振りながら去って行った。
「…?なんか現実味はないけど……取り敢えず講義は出るか…」
俺は棗さんが去って行った方とは反対方向の講義室に歩いて行った。
◇
【一条棗side】
「…はぁ……バレてない…よね?」
私は秀くんと別れて、ゼミ移動の申請を出すために学生課へ向かってしばらく歩いた後、後ろを振り返って秀くんがいないことを確認してからドキドキと鳴る自身の鼓動と、先ほどまで我慢していた恥ずかしさからくる赤みを帯びた表情を緩ませる。
「秀くんが私の家に……!?わ、私ったらなんて大胆な事言っちゃったんだろう!?しかも見栄張ってからかってました〜みたいな雰囲気まで出しちゃって…バレてないよねぇ?」
周囲に人がいないのを確認してから立ち止まり、両頬に手を当てながら「はぅ…」と声を漏らす。
「同年代の異性を家に誘うなんて今までした事ないし、ましてや初めて誘う相手が初めて好きになった人なんて…嬉しさと緊張で心臓が飛び出しそうだよ…」
さっきの秀くんを誘ったときに聞いた秀くんの返事、一瞬断られたのかと思ってくじけそうになったのは事実。でも優しい秀くんは私のことを思って慎重に返事をしてくれたことがわかって、最初に受けた少しのショックなんて吹き飛んでしまった。
「実質私の部屋が彼が初めて入る女性の部屋って…事だよね?」
私の情報には麗華だけじゃ無く、後輩の女の子とか幼馴染の女の子が秀くんの近くにいる事は知っている。その子達のことはまだ詳しくは知らないけど…その子たちは絶対に秀くんに気があるはず…麗華はわからないけど……。
あんなに人としてカッコいい男の子なんてそうそういないだろうし、知れば知るほど魅力的に見えるんだもん…ずるいよね。
「…まだ情報は少ないけど、それでもその子たちが好意を持ってると仮定したら…うかうかしてられないもんね。誘った時は心臓が飛び出ちゃいそうなくらいドキドキだったけど、少なからず彼の初めての女性の部屋に入るっていう予約は私が貰えたんだし…小春もいればまだ大丈夫…な筈!」
小春が来てくれる事は緊張しすぎないという意味では有り難いけど、好きな人とふたりっきりで過ごしたいっていう気持ちを考えると複雑………。可愛い妹だし、邪魔だとは一切思わないけどねっ!
「と、取り敢えず今日帰ってから掃除をしっかりしとかないと…下着とか見られたら困るものはきちんと棚とかに隠して、お客様用のカップとか椅子とかも出しとこうかな」
未だにドキドキとしている胸を抑えながら、私は学生課へと向かう。嬉しいことがあったからこそ思い出したくなんてなかったし考えたくなかったけど、秀くんをバカにしたあの教授の事は――――――絶対に許さないから。
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