第79話 嘲笑

「そ、そういえば棗さんはどうして大学に?今ってもう休みに入ってますよね?」


 棗さんの表情にドキッとしてしまった俺は、ドキッとした事が棗さんにバレないようにさりげなく話題を変える。この期間は補講や集中講義期間であり、普通の人は大学に来る必要がない。

 三枝みたいな不真面目な野郎ならともかく、棗さんのような成績優秀な人なら補講なんてないと思うんだが…。


「あーうん、実はゼミの教授に呼び出されちゃって…。最初はゼミの研究内容について色々言われてたんだけど、就職とか将来のことにも色々言われちゃってね…色々口出しされて嫌になっちゃったから、逃げて来ちゃった♪秀くんの方は?」


「そ、そうだったんですね。俺は普通にこれから集中講義ですよ、暇な2年生のうちに少しでも単位を稼いでおきたいので…」


 テヘッと悪戯っ子のような表情に変わった棗さんを見て、再び感情が揺さぶられるが平静を保ちながら返事を返す。

 あえて補講のことは言わなかった。察しの良い棗さんのことだ、それだけでもあの時のことを連想してしまうかもしれない。


 あくまでも友人…知人?としての話だが、せっかく前を向いてくれている棗さんの表情を曇らせたくはなかった。


「そっか、真面目だねぇ?秀くんは♪私はもう後は必修の講義の単位だけ取っちゃえば卒業できるし、就職もどこに行くかもうほぼほぼ決まったようなものだしね」


「そうなんですか?因みに棗さんはどんなところに就職するんですか?」


「最初はゼミでやってる研究に携わる研究者か、出版系の大企業に行こうかな〜って考えてたんだけど…それをやめてウチの系列会社に入ろうかなって思ってるの。勿論コネ入社とかじゃなくって、素性は伏せて真面目に選考を受けて入社するつもりよ?


 今まで私のお父さんは『棗は外で働かなくても良い!父さんの後を継いでくれ!』って言っててね…。最近まではお父さんの後を継ぐなんて考えてなかったけど…お父さんの秘書として働いてるお母さんを見たり…その………色々と心境の変化もあったから、会社の経営について勉強したり経験を積んだりして…ゆくゆくはお父さんの後をなって…」


 そう言うと棗さんは上目遣いで俺のことをチラチラと見ている…様な気がする……。身長は俺の方が10センチほど高いのもあって、若干の目線の差があるからそう見えるだけ…だよな?


「ん゛ん゛っ……棗さんならどんな会社にでも入れそうですよね。……そうだ、出版の話で思い出したんですけど、今日棗さんにお話ししたい事があって…」


「そんなことはないと思うけど…それはそれとして、話って何かな?」


「その…棗さんからお借りしてる本の事なんですけど―――「いた!見つけたぞ棗クン!探したよ!」


 俺が棗さんに入院中に借りていた本の返却について話そうとすると、近くの建物から見知らぬ女性が出て来て棗さんの名前を呼ぶ。


「……山本教授。まだ何かご用ですか?私はもうお話しすることはないのですが」


「まぁそう言わないでくれたまえ、でもさっきの話は君にとっても良い話だと思うんだよ?君のその能力の高さや研究の実績を捨ててまで、ただの一般企業に行くのは勿体無い!今からでも卒業後は私の研究室の助手としてからでも働かないかい?君のその能力で私のことを手伝って欲しいし、数年もすれば有名な歴史学者だって夢じゃないぞ?」


「山本教授、先ほどもお話ししましたが…他にやりたい事が見つかりましたので、そのお話はお断りさせて頂きます。在学中は教授の研究のお手伝いをするのは構いませんが、卒業後は研究者になる気はもうありません」


「し、しかしだね…君の資質は素晴らしいものなんだよ!?100年に一度の逸材、この大学1の天才と言っても良いくらいだ!私も長らく研究者をしているが、君以上に優れた学生は見た事がない!君が研究者にならないと言うことは、将来の学会で大きな損失になる!だから今一度考え直してくれはしないかい?」


 棗さんが断っているにも関わらずしつこく食い下がっている女性の教授。そんな教授に棗さんは普段通りの優しげな笑みを浮かべながら対応しているが、俺から見るととても嫌そうな雰囲気を感じる。…仕方ないここは俺が。


「あの、すみません山本教授」


「ん?…誰だね?君は、いつの間に棗クンの横に来たんだね?…まぁ良い、何かね?」


 声をかけると山本教授は初めて俺を視認した態度をとった。この人は恐らく嫌味などではなく、本当に俺のことが目に入っていなかったのだろう。


「初めまして山本教授、僕は2年生の永井秀人って言います」


「永井………記憶にない名前だね。これでも優秀な生徒の名前は覚えている自負があるのだが…私が名前を覚えていないと言うことは…ふっ…そういうことか。まぁ三谷君のように学力だけが優秀な生徒もいたが…。それで何の用かね?私は忙しい身でね、君のような学生に使う時間など無いのだよ」


 俺が名前を名乗ると、少し考えてから嘲笑する山本教授。…この際どうでもいい、早く帰ってもらおう。


「いえ少し私の意見を述べさせて頂こうかと、あまりしつこく言っていると棗さんの不興を買ってしまうのでは…と思いまして」


「なんでそんな事を君のような学生に言われなければ…………いや、一理はあるようだ。仕方がない、今日はこの辺にしておこう。あまりしつこく言って嫌われでもしたら目も当てられないからね」


 俺のことを興味なさそうな顔で見ながら、やれやれと首を降っている山本教授。この人は俺の言葉で意見を変えたわけではなく、棗さんの方を一瞥して考えたのだろう。

 こんな普通の人には暑い中、屋外で長々と話されても鬱陶しいだけだろうし長引かせたくない。もしかするとそれが狙いだったのかもしれないが、どちらにせよ棗さんがいい感情を持っているようには見えない。


「では今日のところは失礼するよ棗クン。また夏休み中でも意見が変わったら私の研究室に来てくれたまえ、君であればいつでも歓迎するよ」


「…わかりました、お気遣いありがとうございます。山本教授」


「ではまた………あぁそうだ棗クン、最後に一つだけいいかな?」


「なんですか?」


 山本教授が踵を返そうとすると、足を止めて言葉を残す。


「君はもう少し交友関係を考えた方がいい。君は非常に優秀な私の生徒だ、優秀な生徒は優秀な人間と関わっていた方がいい。君の親友の沢城クンは全く問題はないが……横の彼とはあまり親しくしない方が君の為だと言っておくよ。ではね」


 そう言い残すと山本教授は建物の中に帰っていった。

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