第38話 再会は誰の悪戯か

「…嘘だろ……買えなかった…」


 翌日、俺は昼からの講義に出るために朝から大学に来ていた。なぜ講義は昼なのに朝から来ているのかというと、俺が休んでいた分のレジュメを教授から受け取るためだ。


 俺の身に起こった事は教授も事情を理解してくれているので、欠席していた分の出席は認めてくれる代わりに受けられなかった分は、集中講義で取る事をレジュメを渡される時に厳命された。


(なんか最近ずっと朝から動いてるな……今度からは昼からにしよう…ねっむい。それにしてもホント良い教授だよな…温情がなかったらあの講義の単位危なかったし)


 それはそうと銀髪のあの子を助けたあの後、俺は走って漫画を買いに行ったんだが……俺がついた頃にはもう本の影も形も残っていなかった。


「いつもの奴は買えたけど……今回推しの作者さんが出した、新しくコミカライズされた奴が買えなかったんだよな……俺めちゃくちゃあの作者さんのファンだったから…新作が買えなかったのはショックだ……」


 まぁ人の命に変えられるものじゃないし…仕方ないと割り切ってはいるものの、やはりショックが大きいものには変わらない。


「手に入れられたのは限定版じゃない普通の漫画か…まぁこれでも悪いわけじゃないんだけど……限定キーホルダーが欲しかったっ!!こんな事ならちゃんと予約しとくんだったぁ!!!」


 あのマイナーな漫画がまさかそんなに人気が出るとは思っていなかった俺は、そう叫びながら誰もいない大学内をトボトボと歩く。まぁ二作品もコミカライズされてる時点でマイナーもクソもないけどよ…。


 すると近くの校舎前で、女子生徒にしつこく声をかけている男を見つけた。…あれは確かこの前美涼にちょっかいかけてた奴か?


 って…ま、またか…。昨日に続いてナンパ男が蹴りで沈められてる……。し、しかもなんかどこからか出てきた、ガタイの良い黒い服の男たちにどっか連れて行かれたぞ?


 その子は男を一瞥もせずに去って行こうとしてるけど…さっきなんか落としたよな?


 俺はそのままチャラ男を無視して、その女の子が落とした落とし物を拾い上げる。


(こ、これはっ!?俺が買い損ねた先生の初回限定版キーホルダーッ!?…しかもこれ……前作の限定版の奴じゃねぇか!?!?)


 俺はネットオークションでプレミアが付いて、最低でも数万円する伝説のキーホルダーを見て手が震えるが、ハッと我に返って落とした子に声をかける。


「お、おーい!そこの人!これ落とし…た…」


 俺が声をかけると、前を向いていた女性が俺へと振り返った。

 そしてこちらを振り向いたその白銀の髪に、綺麗に整った顔に俺は見覚えがあった。


「き、昨日の……」


「貴方は確か………永井秀人。まさかそちらから来てくれるとは思っていませんでした。昨日のお礼をやっと受け取る気になってくれましたか」


「なんで名前を…ってそういう理由じゃないです!これ落としましたから!」


 そう言って俺が拾ったキーホルダーを差し出すと、さっきまでの氷のような無表情ではなく焦った様な表情で俺から受け取る。


「これは私の…!……昨日に続いてありがとうございます。私からもこれを…昨日拾いましたので」


「あっ!これ俺の学生証!?落としてたのか…あっぶねぇ。拾って頂いてありがとうございます」


「いえ…ではお礼を聞きましょう。決められないと言うならば私が決めましょうか。これくらいで如何です?勿論桁は万です」


 俺の話を聞いていなかったのか、俺の目の前には四桁の数字が打ち込まれたスマホの電卓アプリをかざしている女の子……ちょっと待て、こんな金額…爺ちゃんの遺産の何倍かあるぞ!?


「いやいやいやいや!要らないから!本当に!」


「……何故です?何故貴方は命の危険を冒してまで、私の事を助けたのですか?この私からの見返りが欲しかったからではないのですか?」


「いや見返りって………そもそも君のこと知らないし…」


 俺がそう言うと、その女の子は少し驚いたような顔をしたかと思えば、再び無表情で俺に自己紹介を始めた。


「………その言葉が本当かは知りませんが、そういえば名乗っていませんでしたね。私の名前は沢城麗華さわしろれいかと申します。あの沢城コーポレーションの一人娘です」


「沢城コーポレーション……って!?あ、あの世界的大企業の!?!?」


 俺はその名前を聞いて今年一驚いてしまった。


 沢城コーポレーション。その名前を知らない人はこの世にいないと言える程の世界的大企業の名前だ。

 また多くの有名企業が沢城グループの系列で、この街にもその系列の企業は多くある。


(ま、まさかそんな所の一人娘って…ちょ、超有名人なんじゃ………そ、そういえば同級生にとんでもないお嬢様がいるとか聞いたことあったけど…まさかこの子だったのか…)


「…その様子ですと本当に知らなかった様ですね。ですがこれで私が何者かはご理解頂けましたね?なので遠慮は必要ありません。何なりと」


「い、いやだからそんなつもりで君を助けた訳じゃないんだって。つい体が動いたって言うか……極端な話、あの時轢かれそうになっていたのが君じゃなくても俺は助けたよ…。

 それに俺の勘違いじゃなければなんだけど……沢城さんって男の人苦手なんじゃない?だから無理して俺と必要以上に関わらなくても…いいんですよ?」


「………」


 俺が昨日から感じていた違和感。俺と話しているのに俺には興味なさそうな…いや、どちらかと言うと嫌悪しながら警戒している様な……


 俺がそう指摘すると、さっきの無表情と変わって少しだけ怒った様な顔をした沢城さんが小さく言葉を絞り出す。


「…何故…何故求めないんですか!?貴方はヒーローにでもなっているつもりなのですか!?そんなのは貴方の自己満足でしょう!!見返りの無い無償の奉仕なんてくだらないっ!!

 何かをされたなら相手がどんな者であれ、何か対価を払わなければならない!それが人の繋がりでしょうに!!!」


 初めて聞いた沢城さんのその声には、今まで俺と話して篭っていなかった感情がはっきりと伝わって来た。


「…それはさ、自分の親にも言えることなのかな?俺は沢城さんじゃ無いから家庭環境とかは知らないし、親が社長さんとかなら触れ合う機会が少なかったのかもしれない。

 でも確かに言えることは…君をその歳まで育ててくれた家族の愛情は、沢城さんに何か見返りを求めて君にくれた物なのかな」


「そ、それは…」


「勿論君の今の身の回りの世話をしてくれてるのは榊原さんって言うメイドさんかもしれない。でもあの人だって本当に嫌なら、金払いが良かったとしても沢城さんのメイドなんてしないと思うよ」


「……」


「まぁ俺だって沢城さんの親族でもなければ、友人でも知人でも無い。ただの顔見知り…そんな俺だけど、世の中には赤の他人に無償の奉仕をしたい人だっているんだよ。…もう出来ない人への怨念みたいな物だけどね…」


「…?それはどういう……?」


「ん…余計なこと言ったかな。まぁ分かりやすくいうと、沢城さんが俺の学生証を拾って俺に渡してくれた時に見返りを求めなかった気持ちと一緒って事だよ。俺にとってはね」


「…っ!?」


 俺がそんな説教まがいなことを言っていると、ちょうど大学のチャイムが鳴り響く。


「っと…俺このあと講義があるんだ。じゃあもうそういうことで、お礼はいらないからさ」


「…えっ!?ちょ、ちょっと!?」


 俺はその場から昨日の様に駆け出し、最後に振り返って沢城さんに声をかける。


「そういえばそのキーホルダーの漫画!面白いよな!!俺も好きなんだ!その先生の作品!!じゃあ!」


 そのまま俺は振り返らずに講義室へと駆けて行った。

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