第35話 ホンモノの気持ち side:一条棗
「長居をしちゃいけないから…またね?秀君、お大事にね?」
そう言って私は秀君の病室から出て扉を閉める。すると安堵からか、私の全身から力がフニャッと抜けていく。
「よ、よかった…無事で……本当に…」
ズルズルと秀君の病室の扉に背中を預けてポツリと呟いて、秀君が目を覚ます前のことを思い出す。
◇
三日前の事件の時…私はあれほど自分の選択を後悔した事はなかったと断言出来るだろう。何故なら秀君はあの日から私の為だけにわがままに付き合ってくれて、私だけの都合で毒島君からのアプローチをかわす為だけに彼に彼氏役を頼んだ。
優しい彼ならば私の提案に乗ってくれるだろうと思っていた事は事実だ。そこに言い訳をする気は全く無い。
そんな軽はずみなお願いから始まった全ての事は、私が彼を巻き込んでしまったからこそ起きた事…あの事がなければ、秀君は私をかばって刺される事も重傷を負う事もなかった。
彼は完全な被害者で、私は毒島君と程度は違えど加害者。あの日から私はずっと彼を巻き込んでしまった事を後悔して、夜も眠れない日々が続いていた。
そんな精神でも起きてしまった事は変わらない。だからこそ私は秀君に合わせる顔がないと思いながらも、彼が目を覚ますその時まで…それこそ何年でも通うつもりで毎日彼の病室を訪れていた。
『…非常に申し上げにくいのですが……永井さんは現在とても危険な状態です。最善は尽くしますが…最悪の場合このまま目を覚まさないかもしれません。それは覚悟しておいて下さい』
あの日、秀君の手術前に医師の先生に聞かされた言葉で私は目の前が真っ暗になってしまった。目からは自然と涙がこぼれ落ち、体はガタガタと秀君を失う事が恐ろしいかの様に震えが止まらない。
(もしこのまま秀君が死んでしまったら…?)
(一命を取り留められたとしても意識が戻らなかったら…?)
そんな事がずっと頭を巡って離れなくなってしまった。そんな私を見て看護婦さんたちは私を励ましてくれたが、私は秀君が目を覚ます今日まで自責の念でちゃんと眠る事ができなかった。
それでも数日前には警察の人が私に事情聴取をしに来てくれていたから、私は出来るだけ詳細に事の顛末を話した。…何故か途中、記憶が曖昧になりそうな部分が多かったけれど…あの時のことは絶対に忘れてはいけないと強く願っていると、記憶のもやが晴れた様に思い出す事ができた。あれは一体なんだったんだろう…。
そして今日、いつも通り私が病院へと顔を出すと…秀君の担当の看護婦さんが目を覚ましたと私に教えてくれた。
それを聞いて居ても立ってもいられなくなった私は、走らないくらいの早足で病室に向かって顔を合わせた瞬間に感情が溢れ出して…抑えが効かずに抱きしめてしまった。
こんな事を思ってはダメだと…私にこんな事を思う資格は無いと分かっていながらも、抱きしめた秀君の身体から聞こえる心臓の音…体温や匂い…その全てが幸せだと感じた。
(嫌われてもいい…私はそれだけの事に巻き込んでしまったから…。でも…秀君が生きてる…それだけで私はっ…!)
そんな気持ちで覆い尽くされていた私は、彼に謝罪をしている時にもポロポロと罪の意識から涙が止まらない。
(泣いちゃダメ…ダメなのに……涙が…止まらない…)
そう私が思いながら必死に涙を止めようとしていると、スッと秀君が私にハンカチを差し出しながら、私の好きな優しい目で言葉をかけてくれる。
『…わかりました、わかりましたよ。じゃあ棗さん、俺に負い目を感じてるなら今後しばらくの間でいいので、オススメの本を毎日一冊!俺が退院するまでの間持ってきて下さい』
『今の俺、棗さんが帰ったらずっと退屈なんですよ。だから毎日俺の為に、わざわざこんな所まで本を持って来て下さい。あっ!お見舞いの品も忘れずにお願いしますよ?……だからその…それで許しますから、もう泣かないで下さい』
その彼の言葉を聞いた瞬間、私は一体何を言われているのか理解出来なかった。
それはそうだ、私は彼から罵詈雑言を浴びせられる覚悟でここに立っていた。なのにそんな彼から出た言葉は………今までかけられたどんな人の言葉よりも温かく…優しい、私への慈愛が篭っていた。
(なんで…?なんでそんな事が言えるの…?そんな優しい顔が出来るの…?私は関係なかった貴方を巻き込んで、こんな大怪我までさせてしまったのに…)
その秀君の言葉を理解した瞬間、私の目からは再び涙が流れる。
優しさしかないその言葉は、私の中に深く突き刺さっていた罪の刃をゆっくりと引き抜き…底なしの優しさで私を包み込んでくれた。
そんな秀君の優しい顔と、秀君なりの私への優しい罰を聞いた瞬間………私は確信した。
(そっ…か………これが………好きって事なんだ…)
今まであった秀君への気持ち…私はずっと前から…それこそ彼に初めて声をかけた時からずっと彼の事が好きだったのかもしれない…。
そんな事を思いながら、私は彼に対して泣きながらも笑顔で彼と約束をした。
◇
「…でも今の私にはまだそんな事言えない…秀君に償いをするまでは。秀君はああ言ってくれたけれど…それでは私の気が済まないし…。他に何か出来ることはないかな?」
私がそんな事を考えながら秀君の病室の前から去ろうとすると、一人の中年の女性が私に話しかけて来た。
「ねぇ…そこの綺麗な貴女…もしかしてそこの病室で寝てる秀人って子の知り合いかしら?」
「え、えぇ…そうですけど…どちら様でしょう?」
「私は一応あの子の親みたいなものよ、血縁では無いけど。それで?あの子は目を覚ましてるの?」
「は、はい!今丁度起きていると思います。私が言うのもあれですけど…中にどうぞ?」
私がそういうと、女性は興味をなくしたかの様な顔で携帯を見たと思うと、クルッと来た方向に振り返って歩いていく。
「そ、ならいいわ。貴女みたいな綺麗な子があの子とどんな関係かは知らないけど、あんまり深く関わらない方が良いわよ?良いことなんて1つもないから。(…ほんとお金も時間もムダじゃないの…全く)」
「えっ…?それってどういう…」
私が聞き返すけれど、その女性はボソボソと何か言いながら角を曲がってもう見えなくなっていた。
「…行っちゃった。でも…確か秀君は『家族と別々で住んでるから、今は一人暮らしだ』って…言ってたっけ。そこで何か私にも出来る事があるかな…」
私はそう秀君の病室の扉を見ながら、今の女性の事も考えつつ私も帰ることにした。
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