毎日小説No.7  昼夜逆転世界

五月雨前線

1話完結 毎日小説No.7   昼夜逆転世界

 昔から、朝起きることが苦手だった。

「真美! いつまで寝てるの! 早く起きなさい!」

 母の甲高い声が苦痛だった。うるさい、眠いんだからしょうがないじゃん。

そうぼやきながら毛布を頭から被ると、母が部屋の中に入ってきて無理やり毛布を引き剥がされる。そんな日々がずっと続いていた。

 もう何歳だと思ってるの。学校はどうするの。授業に遅れるわよ。これから

大事な時期なのよ。入試は朝早くから始まるのよ……。今思えば、母の言葉は

全て正しかった。しかし私は母の言葉を受け入れることが出来なかった。朝早く起きて活動する、という当たり前の生活リズムを、高校三年生になってから窮屈に感じ始めたのだ。

 熱湯に触れたら考えるよりも先に体が逃げるように、明るい場所では瞳孔が

小さくなるように、私の体は普通の生活リズムを拒んだ。何故そうなってしまったのか、自分でも分からなかった。大して夜更かしをしていたわけではないのに、いつの間にか朝起きることが苦痛になり、深夜に活動することが当たり前になっていたのだ。

 当然、両親からは非難される。学校を連続で休んでしまったから、友達から私の身を案じるメッセージが何通も届いた。私も学校に行きたい。親に怒られたくなんかない。そう毎日願っていたのに、私の体は応えてくれなかった。睡眠障害の一種かと思い、複数の病院を受診したが、医者は首を傾げるばかりで何もしてくれなかった。

 何で? 何で? 何で私は朝起きられないの? 何で皆と同じ生活が出来ないの? 私の心は段々と傷つき、やがて鬱になった。SNSに毎日恨みつらみの言葉を書き込んだ。親との関係も悪化し、家の中は常にピリピリしていた。もう嫌だ

こんな人生……と嘆き、自殺すら選択肢に浮かび始めたその時、SNSのアカウントに一通のDMが届いた。

 そのDMが、私の人生を大きく変えることになったのだった。


「初めまして。大塚健斗と申します」

「は、初めまして……。えと、夜中真美といいます。高校三年生です……」

 三日後の深夜、私は二十四時間営業している飲食店に足を運んでいた。

私は貴方の苦しみを知っている、是非一度お話がしてみたい。そう書かれたDMに何かを感じ取った私は、話がしたいという誘いに乗ってみることにしたのだった。

 私を待っていたのは若い男性で、びっくりするほどのイケメンだった。よく

テレビで見るジャニーズや俳優と同じレベルのイケメンで、自然と胸の鼓動が高鳴ってしまう。昼夜逆転生活を送っているとはいえ、私は一応思春期真っ盛りのJKだ。イケメンを前にしてついドキドキしてしまう。

「来てくれて嬉しいよ」

「ど、どうも……」

「いやあ、君が来てくれるかとても心配だったんだよ。ほら、今の時代ネットには危険がいっぱい潜んでいるだろ? いきなりDMで、お話ししませんか、なんて誘ったらいかにも怪しいじゃん? まあ、他に方法がなかったからしょうがないんだけど」

「……『貴方の苦しみを知っている』という一文に、心を惹かれたんです。私の

辛い境遇を分かってくれる人がいるのかもしれない、と思ったらなんか嬉しくなって……。怪しい、とかそういうことは全く思いつきませんでした」

「そっかそっか。夜中さんは素直でいい子だね」

 大塚の眩しい笑顔を見て、胸の鼓動がさらに速まった。

「よし、じゃあ本題に入ろうか。SNSで呟いていたように、夜中さんは意図せずして昼夜逆転生活を余儀なくされている。その原因を僕は知っているんだ」

「……!」

「ウイルスだよ」

「ウイルス……?」

 予想だにしない言葉が飛び出し、私は目を丸くした。

「数十年前にコロナウイルスが世界中で大流行しただろう? あれと同じことさ。人々の自律神経を狂わせて強制的に昼夜逆転生活を送らせる。そんな悪魔のようなウイルスが全世界に広がっているんだ」

 あまりにも荒唐無稽だったので、当初私は大塚の話を受け入れることが出来なかった。しかし大塚はそんな私の反応を予想していたようで、難しい言葉を噛み砕き、パソコンで図や絵を示しながら何回も私に説明してくれた。そのお陰か、ようやく私は大塚の話を呑み込むことが出来た。

「あれ、でもそんなウイルスの話は、ニュースでは流れていませんよね? 

もっと大々的に取り上げられるべきだと思うんですが」

「そこなんだよ」

 大塚の目がきらりと光った。

「本来ならウイルスについて大々的に報道が為されるべきだ。しかし、世界各国の首脳陣はこのウイルスについて一切触れようとしていない。何故か。それは、まともに対処するつもりがないからだ。感染した人を昼夜逆転にさせる程度のウイルスなら対処する必要なんてない、我々にはそんなくだらない話に付き合っている暇はない、どうせ感染力は弱いしそもそも勝手に感染した奴が悪い……それが、首脳陣の総意なのさ」

「…………そんな」

 強く握りしめた拳に、涙の雫がぽとっとこぼれ落ちた。

「そんなのって……あ……あんまりじゃないですか……!!」

 めんどくさい存在は見捨てる。酷すぎる対応に私はショックを受けた。

そんな。私は一生このままなのか。強制的に昼夜逆転生活を送らされ続けるのか。悲しみに打ちひしがれ、肩を震わせる私の頭を大塚がそっと撫でた。

「ああ、酷い。酷すぎるよな。そこで僕は、僕達は、奴らに戦いを挑むことにした」

「……たたかい……?」

「これを見てくれ」

 大塚はバッグから試験管のようなものを取り出した。昔理科の実験で使った器具に似ているそれの中に、少量の紫色の液体が封入されている。

「これは、まさに今僕が話していたウイルスそのものだ。これをばら撒けば、人々はウイルスに感染する。そして僕や君のように、昼夜逆転生活を強制されるんだ。現時点で、僕らのようにウイルスに感染した人々は全世界で約七万人存在する。七万人の同志が同時に、少しずつ、このウイルスを世界中にばらまく。ウイルスに感染した人は強制的に僕らの仲間入りだ。そうやって仲間をどんどん増やしていき、最終的に昼夜逆転が『常識』となる新世界を作る。それが僕の考えだ」

 大塚の表情はこの上ないほど真剣だった。私は大塚の言葉を頭の中で反芻し、そして「……凄い」と呟いた。

「そんな壮大な計画を考えていたんですね。確かに、そんな新世界ができたら私や大塚さんが苦しむ必要は無くなりますよね」

「できたら、じゃない。必ず作るんだ」

 大塚が私の右手にそっと両手を重ねた。

「どんなに荒唐無稽だと思われても関係ない。俺は必ず、昼夜逆転が常識になる

新世界を作ってみせる。そうすれば俺も、そして君も、必ず幸せになれる。誰も苦しむ必要なんて無い世界を作るために、今は一人でも多くの同志が必要なんだ。どうか頼む、僕達の計画に加わってくれ」

 深々と頭を下げる大塚。誘いに対する答えは、もう決まっていた。私は大きく頷き、大塚の手を強く握り返した。

「ぜひ協力させてください。一緒に理想の世界を作りましょう」

***

 私達の『戦い』は約十年にわたって繰り広げられた。最初の五年間で少しずつウイルス感染者を増やしていき、ついに世界人口の八割以上を同志として仲間に取り入れるまでに至った。そして残りの五年で、新世界創造に反対する人々を片っ端から倒していった。私も銃を手に取り、何千人もの人々を銃殺した。全ては新世界創造のためだった。

 そしてついに、地球上にウイルス感染者のみが残った。ついに、朝寝て夜起きる、昼夜逆転が常識となった新世界が誕生したのだった。私は大塚と涙を流し合いながら喜んだ。これまでの苦しみから解放された喜びは計り知れないものだった。夕方に目覚めても誰からも文句を言われない。何故なら、夕方に目覚めるのが当たり前だからだ。そういう世界を私達が作ったからだ。最高だ。こんなにも幸せな世界が、ずっとずっと続いていきますように……。それが、戦いを終えた私達の唯一の願いだった。


***

 昔から、夜起きることが苦手だった。

「拓実! いつまで寝てるの! 早く起きなさい!」

 母の甲高い声が苦痛だった。うるさいな、眠いんだからしょうがないじゃないか。そうぼやきながら毛布を頭から被ると、母が部屋の中に入ってきて無理やり毛布を引き剥がした。

 もう何歳だと思ってるの。学校はどうするの。授業に遅れるわよ。これから大事な時期なのよ。入試は夜遅くから始まるのよ……。今思えば、母の言葉は全て正しかった。しかし俺は母の言葉を受け入れることが出来なかった。夜起きて活動する、という当たり前の生活リズムを、高校三年生になってから窮屈に感じ始めたのだ。

 熱湯に触れたら考えるよりも先に体が逃げるように、明るい場所では瞳孔が小さくなるように、俺の体は普通の生活リズムを拒んだ。何故そうなってしまったのか、自分でも分からなかった。

 何で? 何で? 何で俺は夜起きられない? 何で皆と同じ生活が出来ない? 俺の心は段々と傷つき、やがて鬱になった。SNSに毎日恨みつらみの言葉を書き込んだ。もう嫌だこんな人生……と自殺すら選択肢に浮かび始めたその時、SNSのアカウント宛に一通のDMが届いた。

『私は貴方の苦しみを知っています。かつて人間は、朝起きて夜眠る生活を送っていたのです。私達と一緒に戦いませんか? 私達と一緒に、朝起きて夜眠ることが常識となる新世界を作りませんか?』


 そのDMが、俺の人生を大きく変えることになったのだった。

                                 完

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