おじさまと舞踏会

 今晩は王家主催の舞踏会が開かれる。公爵家の長女であり、皇太子殿下の婚約者でもある私は無論招待されており、お昼から準備に追われていた。私、舞踏会は好きではないの。きついコルセットを巻き、殿下から形だけのドレスとヒールを身に付ける。それはどれもサイズが合わなくて、苦しくて仕方がない。舞踏会が終わったあとに靴擦れで足がじくじくと痛み、お風呂に入ると傷口にお湯が染みるのが余計につらい。それでも舞踏会に参加するのは、私にだって公爵令嬢としての矜持があるからなの。

 「フィオナお嬢様、王宮から贈り物が届いておりますよ」

 いつもは呆れ混じりにそう言う侍女のミアが、今日は嬉しそうに言った。ミアの手にはいつもとは違うラッピングの箱があり、私に早く開けてと言わんばかりにそれを差し出してくる。受け取った箱をまじまじと見れば、銀色の包装紙に緑色のリボンのラッピングに私はついギルバート様を思い浮かべてしまう。これはいくなんでも殿下に失礼ね、反省するわ。

 「早く早く」

 「もう、そう急かさないで」

 どうしてミアはそんなに楽しそうなのだろうか。彼女も殿下からの形だけの贈り物にはうんざりしていたのに、今日はどうしてそんなに明るくしているのかしら。なんだか寂しい思いをしながら、ラッピングを剥がして沈んだ気持ちで箱を開ける。そこにはいつもと同じようにデザインの合わないドレスとヒールが入っているのだろう。

 「まあ……」

 そう思っていたら、中にはプラチナブロンドの生地を基調として、緑と青の刺繍がふんだんにほどこされたドレスと、左右で色の違うヒールが収められていた。ヒールは右が緑で、左が青の色をしている。本当に殿下が選んだものなのかしら? 今までの殿下からの贈り物を思い返すと、私には到底信じられないわ。もし誰かに助言をされていたとしても、言う通りにするのかしら? 殿下には大変申し訳ないと思うけれど、そんなことを考えずにはいられない。

 「早速着替えましょう!」

 ミアが箱からドレスを取り出してハンガーにかけた。私はヒールを箱から出して、まじまじとそれを見る。……ああ、だめよ、フィオナ。またギルバート様を思い出してしまうなんて。それは送り手である方が誰であろうとも、相手に失礼なことこの上ないわ。

 「ねえ、ミア。お願いがあるのだけれど、以前ギルバート様からいただいたブローチを宝石箱から持ってきてくれないかしら?」

 失礼なことはわかっているわ。それでも私は、このドレスにはこれがぴったりだと思ったの。ミアに咎められてしまうと思いながら彼女の返事を待っていると、ミアは嬉しそうに笑って頷いてくれた。

 

 ミアからブローチを受け取り、それをドレスの胸元に刺す。顔を上げれば、憂鬱な舞踏会の前だというのに、緩んだ頬をしている私が鏡に映っていた。ドレスはきつくコルセットをしめなくてもウェストを細く見せてくれて、ヒールはダンス用のはずなのに柔らかく動きやすい。それにどれもサイズがぴったりで、身に付けていて微塵も苦しくない。

 「お美しいです、お嬢様……!」

 うっとりとした様子でミアが言う。

 「ミアのお陰よ。素敵なメイクとヘアセットをありがとう」

 今日もうねるような私の髪の毛を丁寧にブローしてくれて、艶やかなストレートヘアーにしてくれたミアにはどんなにお礼を言ってもきりがない。

 「ドレスとヒールがお嬢様にとても似合っています。ああ、こんな日がくるなんて、ミアは幸せです」

 「?」

 いつも通り殿下からの贈り物を身につけただけなのだけれど……。ミアの大げさな反応に首を傾げていると、ドアから軽快なノック音がした。あら、お母様かしら? でも、まだ王宮に行く時間ではないはずよ? 殿下も迎えにきてくださるわけがないし……。今に始まったことではないけれど、殿下はなんて非常識な方なのかしら。そんなことを考えていると、ミアがドアを開けて、「どうぞ」とノックをしていた方を迎え入れた。

 ひょろりとした細身の長身と、ドレスよりも輝くプラチナブランドの髪、穏やかに微笑む表情と、緑と青みがかった緑のオッドアイが私の心を射抜く。

 「やあ、フィオナ」

 「ギルバート様!」

 予想外の人物に、私は大きな声でその方のお名前を呼んだ。ああ、やだ! なんてことかしら! ギルバート様から私に会いに来てくださったなんて! 喜びのあまり、私はステップを踏むように軽やかにギルバート様のもとへと駆け寄る。

 「ごきげんよう、ギルバート様」

 どんなに気持ちが昂っても、挨拶は忘れてはならない。カーテシーをしたあとにギルバート様へ向けて微笑むと、彼は柔らかく微笑みかけてくれた。

 「ごきげんよう。贈ったドレスを着てくれたんだね。ありがとう」

 よく似合っているよ、とギルバート様が言う。私は『似合っている』と褒められたことに喜ぶよりも、別のことに衝撃を受けていた。ギルバート様が贈ったドレス? これは、殿下からのプレゼントではないの?

 「靴まで……。本当に嬉しいよ。ヴィルからじゃないから、突き返されないか心配だったんだ」

 ヒールまで? さらに驚き言葉を失っていると、ギルバート様が上着からジュエリーケースを取り出した。そしてそれを開けて、中に収められていた髪飾りを私へと差し出した。

「髪飾りも持ってきたんだ。フィオナさえよかったら、これもつけてくれないだろうか」

 「ああもうだめ夢みたいだわ」

 早口でそう言うと、ふらりとよろけてその場に倒れかける。

 「フィオナ!」

 「お嬢様!」

少し体がよろけたところでギルバート様が慌てて私の体を抱き寄せてくださった。

「大丈夫かい? 気分が優れないなら、少し横になろう」

 「慌てるギルバート様も素敵……」

 ギルバート様の困り顔についうっとりとしてしまう。ギルバート様に抱き締めてもらえるだなんて、私、今生きていて一番幸せだわ。

 「どうやら大丈夫なようだね」

 あきれ顔のギルバート様も素敵……。


 少し休憩したあと、私たちは舞踏会が開かれるお城へ向かうために馬車に乗り込んだ。スチュールズ家の家紋が入った馬車の中で向かいに座るギルバート様を見詰めていると、ギルバート様が額に手を置き「すまない」となぜか謝ってきた。なぜギルバート様が謝罪したのかわからずに言葉を発せずにいると、彼はゆっくりと口を開いた。

 「ヴィルは君にドレスを贈る気すらなかったんだ」

 なるほど、だから謝ってくださったのね。

「婚約者としてどうなんだとは叱ったんだが、あの子は例の女の子のことしか頭になくてね……。フィオナには申し訳ないけれど僕が用意したんだ」

 「気にしていませんわ。ギルバート様が気に病むことではありません」

 むしろギルバート様からドレスを贈られて私は天にも昇るほど嬉しいし、平民の女の子に惚れ込んでいる殿下には感謝しかない。愛してもいない婚約者に蔑ろにされて傷付くような、柔な女でもなくってよ?

 「せめても気持ちで、社交界で体に負担がかからないと噂になっていると聞いたドレスと靴にしてみたのだけれど、どうだろうか。苦しくはないかい?」

 まあ、そんなものがあるだなんて知らなかったわ。ギルバート様から贈られただけでも嬉しいのに、私の体のことまで考えてくださったなんて……。喜びのあまり、つい頬が緩んでしまう。

 「はい。それにサイズも合っていて、とても動きやすいです」

 するとギルバート様は安堵したように深く息を吐き、柔らかい笑みを浮かべた。

 「それはよかった。サイズは仕立て屋に一任したから、僕は知らないから安心してほしい」

 ギルバート様ったら、そんなことを気にしていらしたの? なんて紳士的な方なのかしら! それでも私にはギルバート様に隠すものなんて何一つだってない。

 「ギルバート様になら、ドレスのサイズを知られたって構いませんことよ?」

 「フィオナ、僕をからかうのはよしてくれ」

今度は眉を下げて困ったようにギルバート様は笑った。

 「からかってなどいませんわ。私の本心ですの!」

 その素敵な笑顔に負けないような笑顔を作って言うと、ギルバート様が軽めに頭をかいて苦笑した。

 「まったく、君には敵わないな」

 「ふふ、ギルバート様ったらそんなことおっしゃらないで」

 「ははは……本心だよ」

 私たちはお互いの顔を見て、今度はおかしそうに笑い声を出して笑った。

 それから他愛ない会話をしていると、お城が見えてきた。

 「まったく……迎えに来ることすらしないのか」

 私が見たことない、少しだけ怒りを孕んだ声がギルバート様の口から出る。私は迎えに来て頂かなくて結構よ、ギルバート様がいるもの。

 「最初のダンスはちゃんと君とするように、ヴィルにはきつく言ってある」

 私としてはダンスもしなくていいのだけれど、これを言ってしまったらギルバート様を困らせてしまう。それだけはしてはいけない。それにあの殿下のことですもの、殿下は私をダンスに誘いすらしないと思うわ。殿下には周囲の目というものを気にしてはほしいけれど、それはどだい無理な話でしょう。

 そんなことを考えていると、向かいに座っていたギルバート様が私の隣へと移動し、私の手に自分のそれを重ねた。

 「それまでは僕が君のそばにいるよ。フィオナを一人にはさせない」

 まあ、まあ、まあ! ギルバート様ったら、なんて熱烈なお言葉を私にくたさるのかしら! 私のそばにいてくださるだなんて、これはもう実質的なパートナーと言ってもよろしくて?

 「ギルバート様!」

 喜びのあまりギルバート様の胸へと飛び込もうとする。しかし馬車が停止したことで、お城に到着したことを知らされ、そうすることは叶わなかった。もう少しだったのに……と残念に思っていると、御者が馬車の扉を開いた。

 「行こうか、フィオナ」

 先に馬車から降りたギルバート様が、私へと手を伸ばす。

 「ええ、ギルバート様」

 その手を取り、私はプラチナブロンドのドレスを翻して馬車から躍り出た。

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