おじさまとブローチ

 つまらない殿下とのお茶会を終え、私は軽やかな足取りでギルバート様の執務室へと向かう。今日のギルバート様への手土産は、我がスチュールズ領名産品のはちみつを使用したマドレーヌだ。二人で紅茶を飲みながら食べるのが待ちきれない。走りたくなるのを堪えて、長い廊下を歩いていると、遠くから見慣れたお姿が目に入った。

 「ギ――」 

 「やぁ、フィオナ」

 ギルバート様! と彼の名前を呼ぼうとしたところ、私よりも早くギルバート様が私の名前を呼んだ。いやだわ、私ったら。まずは挨拶ではなくて?! お姿が見えて名前を呼ぶだなんて淑女として恥ずかしいことでしょうか!

 「ごきげんよう、ギルバート様」

 動揺をギルバート様な悟られないよう、『スチュールズ家公爵令嬢』としてふさわしい挨拶をする。私の挨拶を見たギルバート様は少しだけ笑ったあと、

「ごきげんよう、フィオナ・サチェン・フォン・スチュールズ公爵令嬢」

 と美しいボウ・アンド・スクレープをした。まあ、まあ、まあ! ギルバート様ったら、なんて素敵なの! いつもはギルバート様の執務室で会うから、私たちは形式ばった挨拶ではなく、気軽な挨拶をする。それが今日はギルバート様のボウ・アンド・スクレープを見れるなんて。今日の私はきっと世界で一番幸せな人間だわ! 神様、あなたの恵みに心より感謝を致します。

 「今日はソフィアに渡したいものがあるんだ」

 心の中で神様に感謝の気持ちを伝えていたら、ギルバート様が話しかけてくださった。

渡したいもの? ギルバート様は私の誕生日に必ずプレゼントを贈ってくださる方だけれど、今日は私の誕生日ではないはずよ? それとも何か記念日だったかしら? 家と王族に関係する贈り物かしら? もしかしてこの前忘れ物をしてしまったのかしか? だとしたら、自分で気付かずにギルバート様直々に持ってきてくださったなんて申し訳ないことこの上ないわ。

 「百面相をしているフィオナを見ているのもいいけれど、ひとまず私の執務室に行かないかない?」

 あれやこれやと考えていると、ギルバート様が苦笑をしながら言った。

 「百面相だなんて! そんな顔に出ておりましたの?」

 ギルバート様のお言葉に顔が一気に熱くなり、私は熱くなった頬に手を当てて冷やす。今日は少し浮かれすぎているみたい。

 「それはもう。今日はフィオナの誕生日でもないし、記念日でもないし、忘れ物を返したいわけでもないよ」

 「もしかして私、すべて声に出していたのですか?!」

 考えていたことを全部ギルバート様に当てられて、私はさらに顔が熱くなる。ギルバート様に言われなくても、きっと私の顔は耳まで真っ赤だわ! しかもすべて外れているなんて、恥ずかしいことこの上ない。

 「まさか。フィオナが考えていそうなことを述べてみただけださ」

 つまり私は非常にわかりやすい人間ということなのね……。私はこの短時間にどれだけ恥を上塗りすれば気が済むのかしら。ギルバート様がまた私を見て苦笑した。

 「さぁ、行こうか」

熱くなった頬を冷ますために手で顔を扇いでいると、ギルバート様が肘を曲げ、私の手を置く空間を作る。当然のようにエスコートをしてくださるギルバート様の優しさに顔をほころばせ、私はその空間に手を置いた。顔はまだ熱かったけれど、ギルバート様からのエスコートを断るなんてこと、私ができるわけがないでしょう?

どちらからともなく、ゆっくりと二人で歩き出す。背の高いギルバート様は、ギルバート様よりだいぶ背の低い私に歩幅を合わせて歩いてくれる。

「図々しいお願いではあるけれど、フィオナが淹れてくれた紅茶をまた飲みたいな」

あら、なんて素敵な申し出なの!

 「ギルバート様が望むのなら、いくらでも紅茶をお淹れ致しますわ」

 私、ギルバート様に美味しく紅茶を飲んでいただくために、家で紅茶を淹れる練習をしているの。ギルバート様からお願いされるなんて、練習に付き合ってくれたミアのお陰ね。帰宅したらミアにちゃんとお礼を言わないと。

 「今日のお茶菓子はマドレーヌでごさいます」

 ギルバート様へ見えるように、彼に触れていない手で持っている紙袋を軽く持ち上げる。紙袋を見たギルバート様は「あぁ」と少し弾んだ声で言った。

 「スチュールズ家の名産品のあれかい?」

 「ご存知なのですね」

 ギルバート様にスチュールズ家の名産品を知って頂けているなんて、この上ないことの幸せね。お父様にも報告をしないと。それと、マドレーヌ以外にもはちみつを使ったお菓子を作ることも検討するべきね! まずはフィナンシェがいいかしら!

 「以前食べてから、お気に入りの品なんだ」

 「そうでしたの! なら、また持っていきますわ!」

 少し照れくさそうに言ったギルバート様に、私は笑顔で返す。次はマドレーヌとそれに合う紅茶も持っていきましょう。

 「ありがとう、フィオナ」

 貴方のはにかんだその笑顔に、私も釣られるように微笑んだ。


 ギルバート様の執務室の前に着く。ギルバート様がドアを開けてくださり、私はギルバート様に手を引かれて部屋の中へ入った。さぁ、お茶会の準備をしないと!

 ローテーブルに紙袋に置く。いつもの場所にあるティーセットを取りに行こうとしたところ、ギルバート様から「フィオナ」と名前を呼ばれた。

 「どうなさいましたか? ギルバート様」

 「これを、君に」

 そう言ってギルバート様から差し出されたのは、こぶりのブローチだった。

 室内の灯りを反射して輝く銀色のブローチは、控えめなサイズな緑色の宝石が一つ付いている。手渡されたブローチをまじまじと眺めれば、宝石は角度を変えると、少し青く見えた。それはまるで右は緑の瞳で、左は青みがかった緑の瞳を持つオッドアイのギルバート様の瞳を彷彿とさせるものだった。ブローチの銀色も、ギルバート様のプラチナブロンドの髪をつい考えてしまう。

 「素敵です……」

 彼にそんな意図はないことはわかっているけれど、ギルバート様を連想させるこのブローチを持っていると、ギルバート様の一部を私のものにできたような気持ちになる。嬉しい、ただその感情だけが私の心の中にある。

 「フィオナが喜んでくれたのなら、僕も嬉しいよ」

 目を細めて微笑むギルバート様。そんな言葉をもらったら、私、もっと貴方を好きになってしまう。……いいえ、もう愛しているのだから、これ以上の『好き』はあり得ないわ。私がギルバート様へ抱く感情はすべて愛だもの。

 ブローチを服に着けようとしたところで、今日のドレスは下ろし立てで穴を開けることがためらわれた。するとギルバート様はすぐにそれを察してくれたのか、ブローチが入っていた箱を私に差し出した。おそらくこれにしまっておきなさいと言いたいのだろう。物寂しいけれど、ずっと手に持っていることもできないし、テーブルの上に置いていてお茶をしている最中になくしてしまうことを考えると、箱にしまっておくほうがよいのは明白だ。

 「ありがとうございます」

 箱を受け取り、ブローチをしまう。小さなギルバート様のようなブローチをもう少し見ていたかったけれど、私には目の前の本物のギルバート様を見るほうが大切よね。

 「次にギルバート様に会うときは、必ずこのブローチを着けて来ますわ!」

 ブローチの美しさに負けないようにとびっきりのドレスを身に纏い、ギルバート様に会いに来ます!

 するとギルバート様は乾いた笑いをして、ため息を吐いてからぼやいた。

 「君が会うのは、僕じゃなくてヴィルのはずなんだけどなぁ……」

 ヴィル? それって殿下の名前ですの?

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